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多村仁志 - (2012/10/20 (土) 14:42:39) のソース

多村仁志 

背番号6 外野手 

-1994年に横浜に入団。2007年からトレードでホークスにやってきた輝く彗星。
-呼び名は「タム」「タムさん」「スペ」など。
-本名は「多村仁」であるが、2009年怪我から復帰の際に登録名を「多村仁志」に変更した。

-ここに挙げていくのが面倒くさいほど故障と縁があるため(スライディングしただけで 「ああ、多村の残機が減った…」 と言われるほど)、いとも簡単に死んでしまうゲームのキャラにちなんで &bold(){「スペランカー」 }と他球団ファンからも呼ばれている。入団時に王会長やボブさんに「彼は怪我が多いから」と、まず怪我の心配をされていた。ちなみに本人は怪我キャラとして認知されているのが気に入らないもよう。が、たかせん住民の中には「少しの期間だけ現れて、活躍してくれる助っ人外国人みたいなくらいに捉えた方がいい」という意見の者もいる。
-特に、2005年運転中に車がスリップして激突し検査入院→全治3日の左肩挫傷、全治2週間の左外傷性複視、網膜震盪症と診断され、復帰には倍かかるということでシーズンを棒に降った事故は記憶に新しい。事故の際、本人はこのまま死んでしまおうかと一瞬考えたが、家族の顔が浮かびとっさにハンドルを切ったとのこと。&italic(){多村の応援歌歌詞に&bold(){「輝く彗星」}とあるが、なんだか不吉以外の何物でもない。}
-上記のようなこともあり、2010年はキャリアハイの成績を残したことよりも、&bold(){たった4試合しか休まなかった}ことに誰もが驚いた。
-2011年5月5日の試合ではヒーローに選ばれるも、それまで不調が続いたため「監督、コーチ、スタッフ、選手…。みんなが励ましてくれるから頑張れた。つらいことばかりは続きません。自分を信じてやれば報われる。頑張っていきましょう」と涙ながらに話した。 そのため、以後のシーズンは多村お立ち台のたび「多村号泣www」と嘘書き込みが出回った。なお、このお立ち台後はロッカールームで、アンソニー・レルーに&bold(){Tバック姿で出迎えられる}など、ナインから祝福されたらしい。
-2011年後半は、またも不振に喘ぐもスタメン起用が続き、結果日本シリーズで大活躍。[[監督>秋山幸二]]に 「おまえは考え過ぎ。思い切り楽しめ。サインを出さないということは 打ってほしいということ。ホームランをな」 と声を掛けられて吹っ切れたとのことである。監督イケメンすぎ。


**エピソード

-相川亮二(燕)とは横浜時代から仲良しで、タムさんの娘さんは相川ファンらしい。タムさん曰く、「あいつには嫁にやらない」とのこと。
-低音ボイスがとても渋く、ローカル番組で麒麟の川島の物真似「麒麟です」を言わせられたことがある。
-元チームメイトの[[森本学]]とは特に仲が良く、&bold(){多村の方が年上であるにも関わらず}「タムちゃん」呼びに始まり、タメ口で会話が行われているらしい。
-壁にぶつかるたび、たかせんをヒヤヒヤさせるものの、基本守備力は大変高く、打ち上がったボールを余裕を持って優雅にキャッチする姿は &bold(){「お散歩キャッチ」} と呼ばれるほど。
-酒に弱いため、ビールかけの際は当日に備えて毎日少しずつアルコールを摂取して慣らしていくらしい。
-選手内でも評価の高い、&bold(){真のオシャレ番長}。[[この人>小久保裕紀]]とは違うようである。 
-福岡出身のバンド「ビーグルクルー」のファンで、彼らのライブに行って感動した旨を綴ったこともある。