的山哲也 背番号85 バッテリーコーチ -1993年に近鉄バファローズにドラフト4位で入団。その後、大阪近鉄バファローズ-オリックス・バファローズと経由し、2008年にホークスに加入した。 -正捕手争いに勝つことはできなかったが、英語が堪能で、外国人投手が先発する場合はよくマスクをかぶった。 -2002年は故障の城島の代わりにオールスター出場。普段が打撃はお察しください状態だったのが、MVPを取得し&bold(){「大勢の有名選手と一緒にプレーできたのは本当に良かったです」}との迷言を残す。その後、全パの監督であった梨田さんにも「多分雨が降ると思いますので、皆様気をつけてお帰り下さい。非常に珍しい事ですので」と笑いながらコメントされた。 -また、選手時代最も印象的だったのが、なんといっても&bold(){靴下事件}。2008年6月15日の試合で、ボールと判定された足元への変化球を「デッドボール」とその場で抗議。&bold(){患部を見せるために靴下まで脱いだ}ことがある。しかも判定は覆らず。なお、本人は引退の際に、プロ野球生活の「失態」としてこの件を挙げている。 -2009年からバッテリーコーチをつとめるが、ベンチに座っているとまだまだ選手のように思えてくるから不思議。目が大きいためか、なんとなく[[攝津>攝津正]]と親子のように見える時がある。 -2013年からは二軍バッテリーコーチをつとめることになった。 **エピソード -生まれつき右耳が難聴とのこと。 -選手が選ぶ『グルメそうな人ランキング』では、「味にうるさそう」など捕手陣の圧倒的な支持票が入り、[[かぷてん>小久保裕紀]]に次いで2位にランクインしている。