「あーあ。すっかり遅くなっちまったな」
とっぷりと日も暮れた中学校の下足室で、上履きを片付けながら一人呟く少年。普段は一緒に帰る
ことの多い幼馴染も、この日ばかりはさすがに待ってられず先に帰ったらしい。
静まる校舎の中、
岬陽太は一人きりだった。そう、少なくともつい五秒ほど前までは。
「おい、野球部部長さんよ。いるんだろ? 出て来いよ」
「ククク。さすがだな岬君。オレが見込んだだけのことはあるな」
「フン。あんたの禍々しい気配は五十メートル離れててもわかるさ」
陽太の呼びかけに応じ、下足室に壁のように並ぶロッカーの陰から姿を見せた男。
小さめの陽太と比べるまでもなく、中学生としてはかなりの長身。細身の体型が、彼の身長をより
際立たせる。
そしてその頭髪は――いわゆる坊主。丸刈り。マルコメ。はっきりとした顔立ちと相まって、やや
強面そうな印象を与えている。
「何の用か、なんて聞くまでもねえか。まったく懲りねえ人だよな、あんたは」
「ククク。もちろんだとも。我々野球部は君の力を必要としているんだ。部の輝かしい未来の為、君
を野球部に引き込む。これが野球部部長としてオレが果たすべき使命なんだ」
「フン。使命、ねえ。一応聞くがその使命ってやつは、誰が決めたもんなんだ?」
陽太の質問を受けて、野球部部長は一瞬怪訝そうな顔になった。まるで「そんなこともわからない
のか」とでも言いたげに。
それは陽太としては不本意だった。実際のところ、彼には答えはわかっていたのだから。だからこ
そわざわざ「一応」と断りを入れておいたというのに。
「ククク。君はまだ若いしな。オレが当然のように知っていることも知らないというのは致し方ない
ことか。使命っていうのはな、「人」と「人」の間で成り立つようなちっぽけなものじゃないんだよ。
それはつまるところもっと高次の――」
「もっと高次の存在。「神」と「人」との間で成り立つ契約、ってか?」
「……オレの発言を遮るとはな。ククク、まあ許す。どうやらちゃんと理解しているようだし」
青々とした頭を撫でながら、発言とはあまり一致しない爽やかな笑顔を浮かべつつ、部長が言う。
その答えに、陽太は完全に納得した。自分はもう、何も遠慮などすることはないのだと。右手を
握って、軽く力を込めながら言葉を返す。
「なあ、部長さん。俺の本当の名前を知ってるか?」
不意の問いに、部長の顔は「?」が張りついたような表情になった。まあ当然か。そう思いながら
陽太は、少し自嘲気味に息をついた。
「俺の名は岬月下。神に、その神が定めし理(ことわり)に叛く男だ。だから俺は断じて叛かなきゃ
ならねえ。神に託されたあんたの使命ってやつに」
名乗り終えて、陽太は右手をスッと差し出した。そこには、一つの真っ赤に熟れたトマトが出現し
ていた。
「こいつは宣戦布告ってやつだ。ありがたく……受け取れよ部長!」
差し出した右手を大きく後ろに引き、溜めを作る。そのまま流れるように肩から腕を振り抜く。
ちょうど野球の投球、しかも理想的フォームに近いそれで放たれた真っ赤なトマトは、過たず野球
部部長の顔面に向け、一直線の軌道を描いて飛んでいく。
部長は微動だにしない。もはや避けることも諦めたかのように。そうして部長の顔面がトマトの果
肉で赤く染まる、かに見えた時。
「なっ!?」
部長に向けて飛んでいるはずのトマトが、なぜかだんだん自分に近づいてきているような気がした。
「くそっ! ……ふう、危なかった。自分で投げたトマトに当たるとかマジあり得ねえ」
首を左に逸らし、間一髪の回避。背後で壁かロッカーにでも当たったんだろう、グチャッと耳障り
な音がした。
状況を整理できず一人焦る陽太を、部長は物言わず爽やかな笑顔で眺めていた。当然その顔はつぶ
れたトマトにまみれたりなどしていない。
「ククク。岬君。君は本当に素晴らしい。君の肩の正確さはイチロー並だと思うよ。だからオレはそ
の力が欲しい。我が野球部の輝かしい未来のため、たとえ力ずくでも、な」
打ち切り
登場キャラクター
最終更新:2010年07月17日 23:48