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Funeral For Mr.Sherlock(上)


消灯時刻を過ぎ闇に包まれた廊下に、月明かりに照らされた人影が浮かび上がる。
ゆっくりと歩を進めるその人影は、前方に横たわるなにものかの姿を認め足をとめた。

人の形をしたモノが倒れている。

赤い水たまりの中に、くずおれるように体を丸めたそのモノを目の前にして立ち尽くしていた人影は、しばしの
沈黙の後ゆっくりと右手をかざした。

中世の女王が騎士に手の甲への接吻を許すときのように差し出された右手に、口づけを行うべき騎士である人型のモノ
は、当然のごとくうつむいたまま反応しない。

怪訝な表情でそれを見つめていた人影は、やおらかがみこむとそのモノの体と床を染める赤い水溜まりに右手の
人差し指を浸した。そのまま指を這わせ、赤く湿った指先を口元へと運ぶ。液体は、

―――もぎたてトマトの味がした。

※※※

「トマトジュース?」
「うん」

桐野沙夜は気怠げにうなずいた。
黒髪長髪の美少女である。眠たげに細められた目は切れ長で、病的なほど白い肌色と合わさって幽霊か
なにかのように非現実的な雰囲気をまとっている。こんなみずぼらしい食堂にいるのが何かの間違いで
はないかと思えるほどだ。俺のようにカツ丼をかきこんでいる姿などとても想像できない。

実際、彼女はドリンクバーの一つも頼まずに水一杯で俺の前に居座っていた。美人と差し向かいで食
事という言葉だけならよだれの出そうなシチュエーションではあるのだが、どうにも食欲を掻き立てる
環境とはいいがたい。

駅前のデパートにあるこのレストランはメニューの豊富さと値段の安さ、そしてなによりウェイトレス
の可愛さから結構な人気を博しているのだが、昼飯時をだいぶ過ぎた時間ともなるとさすがに人気もまばらだった。
気兼ねなく二人分の席を占領した彼女は傍らのバッグから取り出した小瓶を軽く振り、こぼれ出た栄養剤
らしきものを口に放り込みながら淡々と言葉を続ける。

「さすがのあたしも一目で食欲が失せたわ。顔色がもうね、血色がいいを通り越してるのよ。人間じゃ
ありえないくらい不健康な顔色で、そのくせ妙に生気があるのに目玉とか口とかだらしなく開きっぱなしで」
「……おい、一応こっちは食事中なんだが」
「あー、ごめんねあまみー」

人がいないのが幸いだ。機密保持の面でもアレだが、それ以上に飯時にこんな話を大声でされたらひんしゅく
を買うこと請け合いである。
毛ほども悪びれていない謝罪とともに傍らのコップがあおられ、話は続く。

「そんで私の能力も効かないし部長もとても食えないっていうもんだから、とりあえず死体を運び出したら
隊員総出で雑巾がけ。非常勤のあまみーまで呼ぼうかって話も出たんだから」
「呼ばれなくてよかったよ。しかし天下の死神部隊がずいぶん間抜けな姿だな」
「別に隊のメンツはどうでもいいんだけど、私としちゃ血も飲めずにくたびれ儲けで踏んだり蹴ったりだっ
たのですよ」

ですよ、と冗談めかして言葉を締めた桐野はふと空になった俺の丼に目をやると、少しの思案の後手に持っ
ていた小瓶を差し出した。

「食べる?」
「いらん」
「そうよねー。病気でもないのにこんなクスリいらないわよねー。あーあ、おなかへったなー」

足をぷらぷらとさせながらものほしそうに見つめてくる姿が妙に蟲惑的で、俺は動揺を悟られないように視線
をそらす。桐野はこちらの思いなど気にも留めずに再度小瓶から錠剤を数粒取り出し、ぼりぼりと噛み砕いた。
あんな摂取の仕方で大丈夫なのだろうか。

「難儀なNFBだなあ」

桐野のNFBは慢性的なもので、前時代の精神疾患でいう吸血病にあたる。彼女の場合食欲や性欲といった欲求
が全て吸血への欲求にとってかわるという、B級ホラーのモンスターじみた性格になっていた。

「なによ人ごとみたいに」
「人ごとだからな。それに実際そんなに深刻でもないだろうが。この部にいれば『余りモノ』のおかげで『吸う
方』に不自由しないし、性欲はともかく食欲減退も栄養剤で済む。人よりちょっと健康に気ぃつかうくらいの
もんですむだろ」
「わかってないなあ。まずい食事や好きでもない相手とのキスで心が満たされると思う?ゲテモノキメラや廃棄
品プロトの搾りカス(※1)の始末ばっかりじゃ豊かな生活には程遠いのよ。まったく、うちももっと暗躍して
くれないもんかしらね」
「ちっとは言動に気をつけろよ……。またぞろ火消しの仕事が増えてもしらねえぞ」

俺の気遣いを踏み倒して危険ワードを連発する桐野にため息をつく。こいつはいつも危機感が足りない。
しばらくぶーたれていた彼女は、急ににやりと顔をゆがめた。いたずらを思いついた子供のような、無邪気で嫌
な感じの笑いだ。

「ねぇあまみー、血、吸わせてくれない?」
「嫌に決まってんだろ」
「ケチ」
「誰だって命は惜しむ」
「貧血くらいですますから」
「やだよ、お前絶対自制心弱いもん。それに今は昼じゃねーか。仲間を”駒”にしようとすんな」

きらきら、というよりギラギラという表現の似合う眼光をきらめかせて身を乗り出してきた桐野にあわせて俺は
気持ち椅子を引いた。獲物を狙う獣の目だ、あれは。

「大丈夫だって。吸われた人はみんな気持ちいいって言うよ」
「著しく信頼性に欠ける証言だ……」
「なによう、みんなが嘘ついてるっていうの?」
「いいや。お前の”駒”共は女王様に嘘をつくような知恵なんてないもんな。代わりに益体もない忠誠心が
スカスカの頭に詰まってるんだ」
「思い悩むことがないのは幸せだよ。あなたも幸せになりましょう?」
「やだ」
「ケチ」

むう、と頬を膨らませる姿に心が傾きそうな自分を叱咤する。きれいなバラには棘がある、どころの
話ではないのだ、彼女の”ハートのQ”は。

「まあ、最近うちにまわってくる仕事は少ないみたいだからな。俺はいいがお前らみたいなのは大変だよな」

まったくよ、とふてくされたように桐野はコップの水を一息に呷った。

※※※

―――水を一息に呷って喉を湿らせると、女性は再び熱弁をふるい始める。その肩に手が置かれた。
振り向く女性。怪訝そうな表情で後ろに立っていた男と言葉を交わすが、不意に表情を和らげると
立ち上がり、男について食堂を後にした―――

※※※

「あまみー、聞いてる?」

桐野の声に俺は放心していたことに気付いた。見れば彼女はあきれたような面持ちでこちらを見つめ
ている。

「あ?ああ、悪い。ちょっと”視てた”みたいだ」

昼間の俺の能力は、単純に表現すれば「過去視」だ。正確にいえば「記憶の共有」。ふとした光景
をきっかけに、過去にその場であった出来事を当事者の視点から見せられる。口さがない奴は俺のことを
「ピーピングトム」などと呼んだりもするが、俺自身はこの能力をただ”既視感”とだけ呼んでいる。
桐野はからかうように口元をにやりとゆがめた。

「へえ、難儀な能力ねえ」

言葉にとげを感じて苦笑する。

「なんだよ人ごとみたいに」
「人ごとだもん。それにその程度の能力なら日常生活に支障はないでしょー。誰かさんと違って」
「つっかかるなって、謝るから。閨森の性格がうつってんじゃねーのか?」
「そう?」

桐野は興味なさげに相槌を打つと、再度小瓶から錠剤を取り出して今度は一粒ずつちびちびとかじり始めた。ど
うやら口寂しいだけらしい。

「じゃあお願いね」
「あ?」

当然のように告げられた主題の見えない「お願い」に首をかしげる。どうやら俺が放心している間になにか大事
なことを聞かされたようだった。”既視感”のこういうところはつくづく困りものだ。
もう一度催促すると桐野は少しむっとした表情で再度その言葉を口にした。

「だから、幽霊隊員に仕事だって。ことの真相究明と下手人の特定。期間は最長で三日」
「待て待て、俺らの仕事は事後処理と隠蔽工作だろ?なんで縁もない変死体の調査なんて任されるんだよ!」
「正確には”組織の活動に影響を及ぼす可能性のある事物に対する適切な対処”ね。ま、その建前を持って
きてもよくわかんないけど。そこら辺は八淵さんか潤ちゃんにでも聞いてよ」

錠剤をかじり終わり空になった小瓶をしまった桐野は、代わりにバッグから茶封筒を取り出すと俺に差し出した。

「潤ちゃんは部屋にいるから聞く気があるなら早く来いって。八淵さんはまだ現場にいるけど、部長は
用事で所在不明。たるたるは現場の大学で講義受けてるよ」
「え、おい」
「じゃねー」

言いたいことだけ言うと、桐野は俺の返事も聞かずに席を立った。ふらふらと妙に頼りない歩き方で離れて
いく彼女にかける言葉を見つけられずに無言で見送った俺は、その姿が消えるまで待ってから軽くため息
をついて重い腰を上げた。


※※※

俺の関わっている部隊について、少し説明しておこう。

正式な名称は確か「特務清掃部隊」。活動内容は秘密組織ドグマが行う活動の事後処理である。
下っ端の俺などにはよくわからないが、いろいろと非合法な活動を繰り返しているこの組織は後ろ暗げな政府機関
や敵対組織に目を付けられているらしく、そのあたりに対してカモフラージュをするための班が俺たちというこ
とらしい。

血痕だったり死体だったり破壊の跡だったり、そういった痕跡を目立たない程度に片づけ、不要なうわさが立
たないように情報を統制する。隠蔽工作といえば多少は格好がつくが、要するに尻拭いである。
時には死人を抹消したり、死人を生産したりもする。陰湿な手口が嫌われるのか、ついたあだ名が”死神部隊”。
”葬儀屋”とか”雑巾係”とかも言われる。もうひとつ、この部隊でかつて伝説を築いた幹部の名前をとったありがた
くもない異称もあるにはあるが、いろいろと面倒くさいのでここでは割愛する。

S市内にあるドグマの第十七支部は、駅から徒歩五分という便の良さから構成員によく利用されている。侵入者や
スパイ対策の意味もあって何度か改築が行われたため奥に行くほど迷いやすくなるこの支部内で、特掃部隊の主な
拠点はその中でもかなり辺鄙な一室があてがわれていた。

三回道を間違えた後でやっと部屋にたどり着く。別に方向音痴というわけではない、通過儀礼のようなものだ。
おざなりなノックをして古びたノブを回すと、物置一歩手前といった風情の雑然とした光景が視界に飛び込む。
桐野の言葉通り、部屋の奥にはカタカタとキーボードを叩く人影があった。

「よう」
「ああ天見か、早いね」

閨森潤は、うずたかく書類が積まれた机の向こうで軽く手を挙げた。

「久々の仕事で張り切ってるのかな?最近は名探偵殿のお知恵を拝借するような難事件とはとんと
御無沙汰だったからねえ。『ワインドリッパー』(※2)の件以来だったっけ?」
「その呼び方をやめろ。いちいち含みのある喋りもだ。バカにされてるようにしか聞こえねえんだよ」
「滅相もない。現代の名探偵、天見報と机を並べて仕事ができるなんて光栄の極みだっていうのに」

うぜえ。

「そんなに渋い顔をしなくてもいいだろう。本心をさらけ出している身としては傷つく反応だなあ」

言葉とは裏腹に小馬鹿にした様な笑みを浮かべながら閨森は書類の向こうから顔を出す。
安物のポロシャツとジーンズ。室内なのにサングラス。口元にはいつもにやにやと嫌味な笑いを浮かべ
ている。それなりに長い付き合いになると思うのだが、十年一日のごとくこいつの風貌は変化を見せない。

「その様子だと調査も序盤のようだけど、桐野さんはなんて言ってたんだい?」
「血液が全部トマトジュースになってた死体ってだけ」
「ああそうそう、おかげで僕らみんなで雑巾がけさ。深夜に呼び出されて何事かと行ってみれば、桐野
さんが血まみれの死体の前でばたばたやっててね。彼女が血液を前にして”クイーン”も使わず舐めすらしないで
何をやってるのかと思えば」
「その辺はもう聞いた」
「ああそうかい」

桐野にもらった茶封筒を投げ渡す。閨森はそれをろくに見ることもしないでぽんと書類の山の一番上に置いた。

「お前はなにやってんだ?」
「ん、まあ通常営業だよ。夜の能力を使った方が浸透のしやすさは段違いなんだけど、こういうのは鮮度が命
だからねえ」

閨森はPCのモニタに目をやり、時折キーボードを叩いて文字を打ち込んでいる。画面にはいくつもの討論フォ
ーラムや掲示板らしきものが開かれており、それらの全てを監視しつつ書き込みしているようだった。暇人にも
ほどがある、と言いたいところだが、本当にこれがこいつの本業なのだ。真面目に働くのがばかばかしくなる
話である。

「情報操作は結構だが、まだ真相もつかめてないのに気が早いな」
「真実は必ずしも公開されるものとは限らない。ここにいればわかるだろう?真相がどうであろうと、一般に
知られるべき台本はいくらでも作れるさ」

画面の中に作り出されていく文字列は一見何の変哲もない文章に見えるが、つなぎ合わせると話の流れを一定の
方向に向けるように仕組まれている、という話だった。あいにくと俺には好き勝手議論を煽っているようにしか
見えない。閨森は楽しそうに何度目かの書き込みを投下してから、俺に向き直った。

「とはいえ、真相を把握しておかないと思わぬところで台本に穴ということもある。そういう意味では君の働き
に期待したいところだね」
「ごたくはいいから情報をよこせ。桐野の話じゃぜんぜん要領をえないんだよ」
「ああそうかい。じゃあざっと説明しよう。どうせ渡した書類には目を通していないんだろ?」

閨森は嬉しそうにちょいちょいと指を振ると、書類も見ずにすらすらと文章を唱え始めた。


※※※

※1:ドグマで運用されている生体強化人間のうち、正式運用の水準に至らないとして廃棄されたもの。
※2:しばらく前に巷間を騒がせた切り裂き魔。ドグマの有力スポンサーの一人も被害にあった。

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最終更新:2010年10月03日 23:00
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