「どうだ? あの坊主は帰ったか?」
ある病院の個室へ戻ってきた少女へ、立ったまま待っていた男、陸は軽い調子で声を掛ける。
「ええ、帰ったわ」
一方の少女、時雨の表情は憔悴しきった物で、男、陸の顔を見ることなく椅子に座る。
その様子に陸はどうしたものかと呟き、とりあえず思ったことを口にする。
「重症だな」
「陸はどうしてそんなに平気でいられるのよ。そっちの方が信じられないわね」
時雨は、若干の険を込めて陸をにらむ。その睨まれた陸の方は、肩を竦めた。
「そうでもない。せっかくの光源氏計画がこれで色々な意味でおじゃんだ。参った」
「……陸、一度死んでみる?」
「じょ、冗談だ、冗談! 俺は姉さんや妹と違って一回死んだらそれで終わりなんだよ。
そのナイフをしまってくれ!」
時雨の底冷えする声音に慌てたように陸は言いつのる。
それでもなお、しばらく陸を冷たく見つめた後、ため息を吐いた。
「ま、どちらにしてもそろそろだろ。調べた限りじゃあいつが来るのは間違いないからな」
陸の言葉に時雨は力なく頷いた。
「そうだといいけど……ね」
そして、沈黙が部屋を支配し――突然扉が開いた。
「やっほ。お姉ちゃん、お兄ちゃん」
非常に底抜けで気楽な女性の声。
その声を聞いた瞬間、二人とも電光石火の早業でナイフを抜き、その声を出した女性に肉薄する。
金属音が響き、女性が二人のナイフを受け止めるが、二人の動きはそれで終わらない。
二人が一陣の風となり、刃の暴風が女性を切り刻む。
二人が止まった時にはすでに女性は絶命していた。
だが、
「せっかく久しぶりの再開なのに手痛い挨拶ねぇ。妹として抗議してもいいんじゃないかしらねぇ」
死んだはずの女性は、気がつくとベッドに座って二人を見上げていた。
そのことに男はため息を一つ吐くだけで反応し、しかめっ面のままいう。
「関係ないな。お前がやった事、すでに調べはついてる。だから一回くらい殺されとけ。な、アヤメ」
陸の声は辛辣で、見事なまでに無遠慮なもの。
その隣に立っている時雨といえば、なおも殺意を全く隠そうとしない。
それでも、二人の様子も気にしてないのか、その女性、アヤメは笑って話す。
声に合わせて金色のポニーテールにした髪が微かに揺れた。
「普通の人は一回死んだらそれで終わりだけどねぇ。
あの男が脱獄したら、楓ちゃん狙うだろうし、その楓ちゃんをお姉ちゃんが溺愛してるのも知ってる。
だから、旨く狙えばお姉ちゃんに恩を売れるかなぁ、っては思ってたけどねぇ。
確かに今の状況になるよう狙ってはいたけど、成功するとはあんまり思ってなかったわよ?」
おそらく真実であろう言葉に、時雨は今にもとびかかりそうなほどの態勢で立っている。
小さな体の猛獣が、今にも襲いかかる様な錯覚を与える。それを抑えるかのように陸は時雨の肩に手を掛ける。
その態勢のまま、慎重に言葉を選ぶように問いを発した。
「そういうことにしておこう。それで、何が狙いだ?
要件によっちゃ断るぞ。例え、楓の命が引換えでもな」
時雨の動きがぴたりと止まるが、陸は前言撤回しない。
飲める条件と飲めない条件があるのは、時雨もわかっているはず。
今、感情を抑えてアヤメと相対し、交渉を行うのは陸の役目だった。
「ま、そこら辺は心配しなくても大丈夫よ?
お姉ちゃんが絶対頷かない条件なら始めからこんなこと……面白かったから結局したかも?」
「それを俺に聞くな」
「そうよねぇ。それよりお兄ちゃんたちは本当の所、どのくらいまで調べられた?」
アヤメの質問に、陸は数秒考えこみ、視線をアヤメから決して離さず答え始める。
「お前の行動は大体把握している。
まず、あの男を脱獄させた。理由は男の能力を欲しいだったか?
ま、実際はあの男の能力がどんな能力かなんて知りもしなかったろ。
適当な理由をつけて脱獄させるのが目的だったからな」
「そうそう。その通り」
その言葉にアヤメは頷く。その子供っぽい仕草に陸は苦笑いを浮かべた。
「で、後は男が行動するのを待った。楓が捕まった部屋のすぐ側にお前もいたな?」
陸の確認の問いにアヤメは満面の笑顔を頷き、後を続ける。
「よくそこまで調べたわねぇ。
……とは言ってもお姉ちゃんの能力“アカシックレコード”でなら私の行動は筒抜けよね。
本当は、楓ちゃんが瀕死になった所で“偶然”居合わせて、あの男を殺す。
で、やってきたお姉ちゃんに蘇生の対価として交換条件、そんなストーリーだったのよねぇ」
アヤメは人差し指を軽く唇に当て、当時の状況を思い出すように話す。
やがて、アヤメの表情が少しだけ眉を寄せた。
「でも、あの男の子が助けに来たのは誤算だったわねぇ。
あの子のおかげでお姉ちゃんが間に合っちゃって、完全にタイミングを失っちゃたわよ。
おかげで兄さん達に調べる時間を与えることになっちゃったわねぇ」
アヤメは一切悪びれない。ただ失敗したと口にするのみだった。
陸はそのアヤメに特に反応を示さない。
だが、今度口を開いたのは時雨だった。
その殺意は相変わらずだが、少しずつ冷静さも取り戻しつつあった。
陸は自分の役目は終わったとばかりに椅子に座る。
「それでもこんなに遅くなる理由はなかったんじゃない? 別に病院についたタイミングでくればよかったのよ?」
「いや、地下室で出れなかった以上、今度は逆に調べてもらった方が話しが早いからねぇ。
それに中途半端に感情的になっている状態で接触するのは危険と判断したのよ。
感情的に断られかねないよねぇ。お姉ちゃんなら」
今度は時雨の疑問に、アヤメはなんでもないように答える。
そのアヤメの言動に時雨はようやく殺意を消した。諦めたように首を左右に振る。
「……そう、結局はアヤメの手の中って事かしら?」
「そうでもないわよ? 運良くうまくいったに過ぎないわねぇ」
時雨はそれもまだ睨みつけていたが、前のように攻撃する意思はないようだった。
一呼吸し、改めてアヤメに問う。
「それで、始めの質問。私に何を調べさせたいの?」
「
比留間慎也の能力について教えて。もちろん両方とも」
その問いに今度はアヤメは間髪いれず答えた。
出てきた言葉に時雨と陸は緊張の度合いを濃くする。
時雨の方が、ゆっくりと、確認するように言葉を出した。
「……何が目的?」
聞かれたアヤメは髪の先っぽを指で軽くいじりながら、世間話をするような軽い口調で説明を始めた。
「彼と話し合いをしたいだけよ? ただ、これから会いたいと思う人の能力位知っておかないと。
私の事はどう考えても警戒しているでしょうしねぇ。
ただ話をしたいだけなのにできないのは嫌だから、念のため能力対策位は練りたいのよねぇ」
「……でも、私は比留間慎也に会ったことはないし、彼も私にあったことはないはず。
その状態では私の“アカシックレコード”には記述されないわよ?」
「そうかしら? 彼くらい有名なら“確定した事象”経由で記述されると思うわよねぇ?」
時雨の夜の能力“アカシックレコード”は、時雨が会った、もしくは彼女をある程度知っている人間が知りうる情報を
検索、閲覧することができる能力である。ただ、不可思議なことに、彼女の能力では本来知り得ない情報が得られることがある。
それを便宜上“確定した事象”とよび、彼女を知る仮想の人間として“観測者”がいる、という推定の元使っている。
普段、時雨はこの能力を使用し、情報収集を行い、ある程度陸の事務所の行動指針として役に立てていた。
自分の能力を確認し、アヤメの言葉に時雨ははもう一度深いため息を吐く。
彼程の有名人ならば、おそらく調べることは可能だろう。
そう時雨は考え、最後に一つ聞かなければいけないことを聞く。
「そうかもしれないわね。……最後にもう一つ確認。比留間慎也に会って、アヤメは何をしたいの?」
時雨の最後の質問にアヤメは子供のように笑う。
そして、とびきりのいたずらが成功したかのように意地の悪い笑みを浮かべてアヤメは答えた。
「異世界へ温泉旅行、って言ったらお姉ちゃん達笑う?」
「とりあえず、もう一遍位死んどきなさい」
* *
結局、あれからアヤメの条件を飲んだ。
それで本当に良かったかは時雨としても自信がない。
とは言え楓は完全に蘇生した。そのことには素直に喜ぶべきだと思っている。
あれだけ陽太には説教をしたのに、結局自分は完全に壊れた妹に頼っている矛盾。
それでも自分は大人なのだから、それくらいの矛盾は別にいいだろうと勝手に納得することにした。
ついでにアヤメが比留間博士に会いに行こうとしていることは、伝手を使って匿名で比留間博士へリークすることにした。
いくらアヤメでも、単騎であの防御網を突破できるとは思えないし、とりあえず比留間博士の安全は確保できていると思う。
別にアヤメから口止めされなかったからこの行動は当然よね、そう思うことにする。
そんなことを考えながら、今、中学校の屋上で人を待っている。
日差しが強烈に照りつけ、汗がべとつき軽く不快だったりしたがそこは我慢。
なぜ、そこにいるかと言うと、ある男子学生に呼び出されたからだった。
普通ならこのシチュエーション、恋愛話の一つも起きようものだが、
相手が相手なのでその手の話しではないのは間違いなかった。
そして、しばらく待つと、やってくる。
そこにいたのは二人の男女だった。
女の方は小走りにやってくると時雨に向け、ピッと敬礼をする。
「総統! 陽太君を連れてきました!」
「だから、総統はやめてって言ってるでしょう?」
その楓の挨拶に、苦笑で返そうと時雨は努力するが、どうにも締まりのない表情になっている気がする。
「だから俺は月下だっていってるだろうが?」
「でも、今の時間は陽太君よね」
「ぐっ……」
そんな感じで、楓にすらすっかり陽太と呼ばれるようになってしまった少年は、ぶっちょう面で立っている。
その少年に、時雨は視線を向けた。
「それで、用ってなにかしら?」
少年の用事とは何か、正直想像つかなかった。
最悪、目も合わせないかと思っていたが意外だった。
その目の前の陽太は、意を決したように声を張り上げる。
「俺に、時雨の技を伝授してくれ!」
「……は?」
思わず、間抜けな声が出てしまった。そんな時雨の様子を見て、陽太は慌てて言葉を重ねる。
「俺はもっと強くならなければならない。だが、それでも自己流には限界がある。
そこで時雨だ。あの男を一瞬で倒せるほどの技量。俺に教えて欲しい」
やっと頭の回転が戻ってきた。しばらく冷静に考え、陽太の言葉を吟味し、時雨はゆっくり言葉を探す。
彼の頭のキレ、判断力はずば抜けている。彼なら並の相手位余裕で出しぬけるだろう。
ただ、それに対し、動き自体はただの一般人の物に過ぎない。
なら体を鍛えることで、戦略に幅が広がり、今後さらに色々な状況に対応できる可能性はある。
とは言え、殺しの技術を教えるつもりは今の所さらさらない。
単純に体を鍛えることを支援する。それくらいならいいだろうと自分を納得させる。
……それでも、一応言っておくことはしよう。
「言っておくけど、短期間で強くなるなんて思っちゃ駄目よ。
十年やって半人前、二十年やっても一人前になれるのはほんの一握り。
例え、一人前でも今の強力な能力者の前では無力なものよ。それでも学びたい?」
それは確認のための言葉。その言葉に陽太は大きく頷く。
「ああ、俺は能力だけに頼らない方法を探さなければならない。
その一つの方法が己自身の技術を、力を磨くことだ。だから、お願いだ、俺を鍛えてくれ」
陽太少年の視線は余りに眩しい、そう感じた。
だから――
「私の修行は厳しいわよ」
――その申し出を受け入れた。
彼が、これからどう成長するかはわからない。だけど、少しは良い方向に進むよう手助け位はしよう。
それが年長者としてするべきことだろう。
なんとなく、空を見上げる。
そこには、雲ひとつない青空が一面に広がっていた――
終わり。
登場キャラクター
最終更新:2011年01月02日 17:25