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隕石が変えたモノ



憂鬱な気分でランドセルを背負った少女、塚本桜は家に帰るべく通学路を歩いていた。とぼとぼと、悄然とした面持ちで。
小学校に行けば必ず不快な思いをすることになるのは、これまでの経験上判り切っていたことだった。そしてこんな毎日から抜け出す夢想に浸る。
彼女自身、現実的な解決案を考えることは放棄していた。
いわゆる苛められっ子の彼女に、自分を取り巻く環境を変える程の強さもなければ、登校を拒否する程の度胸もなかったのだ。
吐息をつきながら、住宅街を網の目のように走る細い道を進む。
今日も陰口を延々と囁かれ、クラスメイトにも無視され続けた。先生も見て見ぬふり。自分の相手をしてくれるのは、特別と言われている一人の男子だけだった。
辛うじてこの苦行に耐えていられるのも、その男子がいるからに他ならなかった。
性格も陰気で容姿も人より劣っている自分に情けをかけてくれるのは、彼が格別恵まれた人間だからだろう。
主に陸上競技で新記録を次々と樹立していたその少年は、常に自信に満ちている。
鼻摘み者に平然と手を差し伸べるその余裕が、たまに妬ましくもなる。
しかし気付けば、その少年のことばかり考えているのも事実であった。
虚しい。
自分と彼は、まるで月とスッポンだ。
国語の授業で得た知識を用いて、少女は正確な比喩表現を行った。こんなことを覚える為に学校に通っているのかと思うと、更に虚しくなる。
黄昏の迫った空を見上げる。そして彼女は呟きを洩らしていた。
「あ……」
橙色の空に走る、一筋の軌跡が見えた。地球規模の被害をもたらすと、毎日のようにテレビや新聞で騒いでいる、巨大隕石だ。
――ここに落ちてこないかな。
そうすれば、こんな毎日も終わるのに。
その願いが叶うことはなかったが、頭上の隕石は、少女の人生を百八十度変えることになる。


夜見坂高校の一年に、『ブラッディ・ベル』の総長がいる。
そんな告発めいた校内放送がここ数日、休み時間に大音量で流れ続けていた。
『ブラッディ・ベル』といえば、敵対チームを一人で潰すような、異常に腕っ節の強いリーダーが率いていることで有名なカラーギャングだった。
少し前に代替わりしたらしいが、きっとその人も化け物じみた強さなのだろう。
「……怖いな」
教室の窓辺にある自分の席で、頬杖を突きながらぼんやりと坂の下に広がる街を眺めていたその絶世の美少女は、小さく呟いた。
透き通ったその声が教室に響くと、彼女の一挙手一投足に至るまで見逃すまいとしていた男子たちは色めき立つ。
「塚本、俺たちが倒してきてやろうか」
半年以上同じクラスにいるのに、名前すら覚えていない男子たちの提案を聞き、塚本桜は首を振る。
それに合わせて腰に届きそうな程長い黒髪が揺れ、黒目がちの大きな瞳に狼狽の色が浮かんだ。そして名前と同じ桜色の唇を申し訳程度に動かし、言葉を紡ぐ。
「そんなことしないで。もし誰か怪我でもしたら」
私が迷惑。
そうはっきり伝えることも出来ない程、彼女は自己主張に乏しいままだった。塚本の言葉の先を都合良く解釈したらしい男子たちは、赤面しながらさらに主張する。
「心配してくれんのはすげえ嬉しいけど、どうせデマだろ」
人違いだったらますます襲う理由がないのだけど。
「そんな物騒な噂を持った奴が学校にいたら俺らも迷惑だし、ちょっと潰してきてやるから、待ってろ」
血気盛んな男子たちは、塚本の制止の声も待たずに教室を飛び出してしまう。どうも彼らには、自分の失望の溜息は全く聞こえないらしい。
残ったのは女子たちと、彼女らの投げかける視線だけだ。
密やかな羨望だったり露骨な敵意だったり、そこに込められた感情は様々であったが、元来目立つことを極端に嫌う塚本にとって、それは気持ちの良い物ではなかった。
こういう生活も困る、というのが彼女の正直な感想だった。
巨大隕石が地球に衝突したあの『チェンジリング・デイ』以後、彼女を取り巻く環境も一変してしまった。
彼女もまた、隕石から異能を授かった一人だった。専門機関に付けられた能力名称は『異性搾取』。
無意識の内に男の活力と精神を奪い始めてから、塚本桜の容姿は激変していった。
糸のように細かった目はガラス玉のように丸く大きくなる。団子鼻は見事に小振りになり、肌の色は抜け、髪は艶を増す。
全体に丸みを帯びていた身体は、壊れ物の如き細さになった。潰れていた声も、見事に美しくなった。
それが彼女の能力の副産物であることは、誰の目にも明らかであった。奪った生命力を、そのまま身体の再構築に浪費していたのだ。
そして変化が終わる頃には、彼女にとって男は木偶人形同然に扱える代物になっていた。
勿論良いことばかりではない。
夜間時の能力『生命奪取』で両親の生命力まで奪っていたことが発覚してからすぐに、地元にあった某研究施設の支部に保護された。
そして去年、選択の余地さえ与えられずこの夜見坂に放り込まれてしまった。
その経緯を思い出すと、温厚で小心な彼女が、未だに煮え立つような怒りに捕らわれる。
周りから命を搾取して得た、この絶対的な美しさを誰かに見せるとしたら、あの人以外に思い浮かばなかったというのに。
子供が主役のスポーツ関係のニュースや記事を漁ったこともあったが、何故か彼女が学校を離れてから、彼の活躍が報じられる機会はぱったり途絶えてしまった。
隕石など物ともせずに繁栄を続ける都市を見つめ、彼女は思う。
――彼は今、どこで何をしているのだろう。

夜見坂高校の最寄り駅に到着した電車を降りた、冷淡そうな雰囲気を纏った童顔の美少年は、何年ぶりかに訪れた故郷を一瞬だけ懐かしく思った。
駅前の風景はさして変化していなかったが、前方遥か彼方の丘陵にそびえ立つ壮麗な校舎だけは、記憶になかった物だった。
自分も所属する研究機関が建造した、教育機関の皮を被った実験動物用の檻だ。
隕石衝突直後、人類が得た超能力によって、あらゆる分野の学問に携る人間は極度の混乱に陥った。
能力開発専門機関『EXA Research and Development Organization』。通称ERDOでさえも、その例外ではなかった。
全く法則性の見えない能力群を目の当たりにし、途方に暮れていた彼らだったが、多少なりとも後天的に能力の性質変化が可能であることを知ると、発想を変える。
それまでの科学史で否定されてきた、オカルトじみた学説や人体神秘の復興を目標とする一派が現れたのだ。
彼らが当初着手したのは、エーテルやマナ、エレメント、気、あるいはオーラといった概念の現実化だった。
文武問わず、頭角を現していた子供たちを半強制的にかき集めて行われたその研究には、薬物投与等、非人道的と糾弾されかねないような物も数多くある。
少年、篠崎海斗の視力が極度に落ちたのも、それらの実験行為が原因である。
しかし結果は芳しくなかった。他者の強制よりも本人の嗜好とのマッチングの方が余程能力の性質に影響を与えるというのが、そのプランで研究者たちが得た教訓だ。
思えば自分も、図工の授業が好きだった。生命力を送り道具に特殊な機能を付与する『カスタマイズ』能力が自分に宿ったのも、自然な成り行きだったのかもしれない。
大昔の学説について一から学ばされた子供よりも、まともな訓練一つ施されていない単なるTVゲーム好きの方が、優秀な四大元素操作者になった例が代表的だ。
そしてそのTVゲーム狂いの『魔女』が先週、実験動物の収容所に左遷されたらしい。勤務時間外の私闘行為と、大規模破壊行為がその理由だという。
正式なERDO特務部門の構成員が一人減ったのは事実だが、ほとんど研究機関の敷地同然の場所での戦闘だった為、強引な揉み消しもどうにか功を奏したそうだ。
しかしそんなことよりも彼の気を引いたのは、魔女の決闘相手である高校生の方だった。
もしも少年に関する報告書に嘘がなければ、研究所の生み出そうとした異能『オーラ』に酷似した能力者が現れたことになる。
駅前のロータリーを迂回して、黒のコートを羽織った篠崎は問題の学生が通っているとされる夜見坂高校へと向かう。
全くの偶然だが、丁度下校時間にぶつかってしまったらしい。ブレザーの制服を着た学生たちと、幾度となくすれ違う。
夜見坂の学生、主に女子たちが好奇の視線を向けてきたが、左手首に黒い数珠を着けた少年は全く意に介さない。
坂を登り切り、広大な敷地を誇る夜見坂高校の正門をくぐる。ブルーシートに覆われた建物は、多分魔女が滅茶苦茶に破壊した体育館だろう。
しかし奇怪な光景は、それだけではなかった。
昇降口から出てきた女から伸びた、半透明の樹木の根が、微妙な距離を保ちながら周囲を歩く男子学生たちに巻き付いていたのだ。
彼が眼球に嵌めたコンタクトレンズは、いかなる異能も映し出す。
禍々しいというのが、少年の抱いた率直な印象だった。根の中心に咲き誇る美少女は、自身の振り撒いている災いに気付いている様子もない。
常時発動型の不可視性攻撃能力。その上無意識で垂れ流しているとなると、相当性質が悪い。誰も危険を認知できないまま、大きな被害に至るケースもある。
と、女の周りを這っていた根の一本が凄まじい速度で伸びてきた。
左手首の数珠に光が宿り、同時に弾け飛ぶ。少年の周りを滞空する無数の光の珠は、そのまま全身を覆う透明な障壁を作り出した。
所有者の意思と関係なく発動した防御機能に激突した根は、熱で萎れたように力を失い、消滅する。
次々と根は少年に飛びかかってきたが、障壁に触れると同時に消し飛ばされていく。
思いの外攻撃的だが、女子学生が誰も襲われていないところを見ると、どうやら男にしか発動しない能力らしい。
「篠崎!」
などと考えていたら、校舎の教室の窓が開き、少し前まで同じ職場に勤務していた魔女、工藤真緒が顔を覗かせていた。
「風! レビテーション!」
呪文と共に重力を中和しながら窓枠を平然と飛び越えた制服姿の魔女は、苦もなく三階から篠崎の目の前に着地した。
周囲の学生たちは多少ざわめいたが、ERDO特務機関の二人は気にも留めない。
「何しに来たのよ、あんた」
「『オーラ』使いがいるって聞いて、興味が湧いた」
「オーラ使いって……」
しばらく記憶を探っていたらしい少女は、やがて言う。

「例の不良疑惑のある奴? 大した使い手じゃないわよ。それにあんな大昔のどうでもいい研究テーマ、誰も興味持ってないでしょ」
「あのテーマは半分以上、お前が潰したようなもんだけどな」
おかげでこちらは、生育途上で実務畑に放り出されてしまった。
これでどこかのカラーギャングが自分より優秀だったら、ただでさえあやふやな自分の存在価値に更に大きな傷が入るだろう。
それはそれで悪くないとも思うが。
自分たちが死に物狂いで造ろうとしていた物を、あっさり凌駕する存在が再び出現したら、研究所の連中はまた無力感に苛まれるだろう。
単純にその様子を見てみたいという欲求が、休暇中の彼を故郷に運んでいたのだ。
「いやあ、まあそれは……私の溢れる才能の為せる技というか……」
感情表現豊かな魔女は、恥ずかしそうに頭の後ろを掻きながら謙遜する。この能天気な元同僚には、皮肉も通用しないらしい。
「一応言っとくけど、今のは褒め言葉じゃないぞ。それより――」
黒いコートの少年は、何故か足を止めてこちらを凝視している美少女を顎で示す。
「あいつの能力、視えるか」
「う~ん……」
無意味に目を細めていた元同僚は、やがて術に頼る。
「土? マジックレンズ?」
疑問符を付けながらも呪文を口にした魔女の鼻の頭に、分厚い金縁の眼鏡が出現していた。異能を映し出すレンズなのだろうな、と篠崎は漠然と予想する。
「何あれ。周りの男を養分にしてる魔性の女に見えるんだけど。っていうかあれ、男子人気ダントツの塚本さんだ。あの人あんな能力持ってたんだ」
「同じ教室なのか?」
「隣のクラス。体育とかの授業は合同で受けてるから、結構顔は合わせてるけど」
「放置していいのか」
そもそも通学許可を出したのは誰だ、という疑問も表出した。もしかしたら、学校の運営側にも、あの女に心を絡め取られた男が複数いるのかもしれない。
「平気でしょ。別に体調崩してる男が続出してるなんて話は聞かないし。見た目はともかく、そう危険な能力でもないんじゃない? まあヤバそうなら私が対処するわよ」
渦を巻いているレンズ越しに美少女を観察している工藤は、興味深そうに続ける。
「しかしあれね。この画を見てると、死体を養分にして育った桜の木は一際綺麗に咲くって話を思い出すわね」
「どうしてこのタイミングでそんなありがちな怪談が出てくるんだ」
「確かあの子、桜って名前だし」
「塚本――」
桜か。
「ちょっと篠崎。あんたこそ何でこのタイミングで笑い出すのよ。気持ち悪いわね……」
眼鏡を掛けた魔女に指摘された篠崎は、吊り上がりかけていた口角を元に戻す。
「悪い。同じ小学校にいた、同姓同名のクラスメイトを思い出してた。……いい加減鬱陶しいな、こいつら」
際限なく殺到してくる塚本桜の能力に嫌気が差した篠崎は防御障壁を解き、光の珠を展開した。
次の瞬間、光球の一つ一つから熱線が射出され、地を這い蠢いていた女の能力を根こそぎ焼き尽くす。
当然周囲を行き交っていた学生たちは口々に悲鳴を上げたが、二人はそれも無視した。
「そこまで必死にディフェンスしなくてもいいでしょ」
「精神攻撃は御免だ」
せっかく拘束から解放してやったのに、男子連中は塚本の身を案じて取り囲んでいた。恐らく例の能力で心を蝕まれているのだろう。狂信者さながらの熱気だ。
輪の中心にいる当人は、未だに呆けたような顔をしていたが。
「それはともかく小学校の同級生って、もしかして初恋の人? あの子と同じくらい可愛かった?」
眼鏡を外しながら、にやついた表情で尋ねてくる工藤に、首を振りながら答える。
「違う。俺がただの明るくて運動の得意な餓鬼だった頃、少し気に掛けてたってだけだ。クラスのボスとして。付け加えると、そいつは不細工だった」
「その割には、感慨深そうな顔してるけど」
「俺が平和に生きてた最後の時期の想い出だから……かな」
あの時同じクラスにいた連中の顔と名前は、今でも完璧に思い出せる。
友達とゲームやテレビの話で盛り上がったり、学校行事に一喜一憂したり。ERDOで過酷な能力開発の日々が始まる前の、幸福な日々が脳裏で再生される。
しかし眼前の塚本桜を見て、それ以上心が動くことはなかった。男の理想像を具現化したような目の前の女と、彼の記憶に残っている『塚本桜』は、似ても似つかない。

左手首に次々と吸いつき、再び数珠の姿に戻った商売道具を眺めながら、篠崎は否定する。
「とりあえず、俺の知ってる同級生とあの女は別人だよ」
それを聞いた同僚は不服そうに言う。
「決めつけるのは良くないわ。何年も経ってるんだから、あんな感じに変貌してる可能性だってあるんだし、せっかくだからナンパしてくれば?」
「休暇をそんなことで潰したくない」
何より、色々と変質してしまった自分は誰にも見られたくなかった。今まで生家のあるこの町に一度も戻らなかったのも、その理由の為だ。
もしあの時のクラスメイトに会えるなら、少しだけ話を聞いてみたいという気持ちも確かにあるが。
「それより、例のオーラ使いを知ってるなら案内してほしいんだが。直接見てみたい」
「別にいいわよ。研究所所属の人間ならここは自由に出入りできるし。……でも会ったらがっかりすると思うわよ。この前だって男子連中に袋叩きにされかけてたし」
「何でそんな目に」
「さあ」
美少女の周りに出来た男の輪を迂回しながら、篠崎と工藤は生徒用昇降口から校舎の中に入っていくのだった。

総合すれば、その男が彼に似ているとは言い難かった。
しかし彼の隣で親しげに会話をしている、隣のクラスの転校生、工藤真緒は、間違いなく彼のことを篠崎と呼んでいた。
塚本の記憶にある『篠崎海斗』は、いつも笑っている、人懐っこい雰囲気の少年だ。
十数メートル程先に立っている、怜悧な面持ちのダークコートの少年とは、印象的には大きくかけ離れている。
しかし顔つきそのものは酷似していた。
少年の左手から、細かな光の粒がこぼれ落ちたように見えた。しばらくして、無数の光線が視界の縦横に走る。
地面のあちこちに焦げ跡が生まれ、一拍置いて男たちが、謎の攻撃から塚本を守るように周囲を囲んだ。
彼らの緊迫した様子など歯牙にもかけず、篠崎と呼ばれた少年は建物の中へと消えてしまう。
塚本の足は竦んでいた。
会いたいと切実に願っていたはずなのに、いざそれらしい人物を目の当たりにした彼女の身体は一向に動かない。
仮に彼が篠崎海斗だったとして、私は何を言えばいいのだろう。
しかし考えがまとまらないまま、彼女は周りの男たちを押し退けて校舎の中に駆け込んだ。
彼の正体を確かめないと、一生後悔するだろうという確信だけはあった。
小学生の時よりは快適な生活を送れていることを伝えればいいのか。
あの時優しくしてくれたことの礼を言いたいのか。
それとも今でも好きだと、長い間胸の内に溜めていた思いをぶつけたいのか。
どれでもいい。
いや、全部話せばいい。人違いだったら素直に謝ろう。
心拍数の上がり切った状態で、塚本は人の流れに逆らって先を行く、私服姿の少年に向かって声を投げた。
「篠崎海斗さん」
こちらに気付いた工藤真緒は、隣の男に言う。
「ほら。やっぱり知り合いだ」
それだけ残して転校生は去って行ったが、少年の足は止まったままだ。
彼女は尋ねる。
「私が誰か、判りますか」
ゆっくりと振り向いた篠崎海斗は、微かに頷くのだった。



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最終更新:2011年02月19日 21:14
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