うぇるかむ・にゃ~・わんだ~

作者:◆KazZxBP5Rc

これでよし……と。
いつものように入口のプレートを「準備中」から「営業中」に裏返す。
今日は休日。忙しくなるかもしれないけど、大学生アルバイトの東堂君が朝から入ってくれているのは助かるところ。
客が来るにはまだ時間がある。
僕は、看板に書かれた店名『NEAR WONDER』の文字を眺めながら、少し物思いにふけることにした。

僕の元に突然“春”がやってきたのは五年程前だった。
出会って十分(正確には一晩か)でプロポーズされ、そこから一か月あるかないかのスピード結婚。
喫茶店を開くという妻の夢に乗っかって、それまで以上に熱心に働いた。
そして、二人で稼いで出し合ったお金で、二年前にこの動物喫茶を開くことができた。

「あうあうっ!」
「ちょっと! タケシ君、どこ行くのよ!」
こっちに向かってくる二つの声に、僕は回想から引き戻された。
「あんっ! あんっ!」
額に宝石のようなものを付けた大型犬。
「ごめんなさい。この子がいきなり……。」
そして、リードを持つ女子高生だった。
「いえいえ、可愛い子ですね。」
僕の“犬に好かれる能力”につられてやってきたのだろう。
ちぎれそうなくらいにしっぽを振っている犬を撫でてやると、気持ちよさそうな顔をした。
一方、飼い主の女の子は僕の店の看板を見上げていた。
「いぬねこきっさ?」
僕は立ち上がって説明する。
「ええ、中で犬や猫が放し飼いになってます。もちろんちゃんとしつけてあるので迷惑なことはさせません。」
「へぇー、面白そう。最近朝寒くなってきたし、一杯貰っていこうかな。」

店に入った二人と一匹を、黒い柴犬が出迎えた。
彼女こそ、この店の看板犬兼看板猫兼僕の妻のミヨさんだ。
分かりやすく言い直すと、昼は犬に変身でき、夜は猫に変身できる僕の奥さん(もちろん人間)だ。
余談だけど、体毛は髪の毛に対応してるらしく、過去に髪を染めた時は変身後の毛色も変わっていた。
入口でわいわいやっていると、店の奥からアルバイトの東堂君も顔を出してきた。
「犬飼さん、準備できまし」
「お、衛っちじゃん!」
「八地さん!」
なんだ、この二人知り合いだったのか。
八地さんと呼ばれた少女は、東堂君の目の前のカウンター席に座った。
「おごっ」
「却下。」
「えー。」
「こういうのはエスカレートしないうちに叩いておくものだよ。」
「ほうほう、幼女に対する愛情がエスカレートしちゃった経験を踏まえてですか。」
「なんでそうなるんだよ。」
「あれ? 違うの?」
「まだ手は出してない。」
「『まだ』って……。」
「うるさい! 歳の差で言えばそっちの方が上だろ!」
「な! 鉄っちゃんはそんなんじゃ……!」
ははは、何の話をしているんだろうね。
想像はつくけど、あまり深入りはしないようにしておこう。
僕はそっとカウンターに紅茶を差し出した。
「まだ頼んでませんよ?」
「今回はサービスしとくよ。」
「さっすが、誰かさんと違って大人ですね。」
東堂君がふてくされるのを見て、僕は苦笑いを浮かべた。

ちょうど会話が一段落したところで入口のドアが乱暴に開いた。
ドアに取り付けた鈴が、勢いよく動かされたために大きな音を立てる。
「いらっしゃいませ、お好きな席へどうぞ。」
変わった姿の客だった。
大きく裂けた口。
顔の横ではなく上についた三角の耳。
垂れ下がった尻尾に、全身を覆う灰色の毛。
いわゆる狼男といったところだろうか。
客商売でいろんな人を見てきたから、今更変身能力くらいでは驚かないけどね。
「くそっ、スカーフェイスの奴、またまんまと逃げやがって。」
彼は何やらぶつぶつ独り言を言っていたが、八地さんに気付くと驚いたように声を上げた。
「あ、お前!」
その声に八地さんは振り返り、狼男とは対照的に淡白な反応を見せる。
「なんだ、旭山動物園じゃん。」
「誰が動物園だ!」
爪を立てる狼男。あらら、不穏な空気になってきちゃったよ。
「ここで会ったが百年目、今度こそ……おあぶっ!」
臨戦態勢をとる狼男を襲ったのは、黒柴のタックルだった。
「喧嘩するなら出て行ってください!」
ミヨさん、怒るのは結構ですが人前で変身解かないでくださいよ。
君、人間に戻るとハダカになっちゃうんだから。

「……ということが朝にあったんですよ。」
「にゃるほどにゃ。ファングが怒って帰ってきたから何事かと思ったにゃ。」
現在、時間は夜。
東堂君は今はいない。
何か事情があるらしくいつも夕暮れ前には帰ってしまうのだ。
まあ、夜に喫茶店を訪れる人は少ないので、こちらとしても半日働いてくれれば十分だ。
うちはスパゲティやサンドイッチなどの軽食も出してるから昼はそれなりに忙しいけどね。
とにかく、そんな数少ない客の一人が、今僕と話している、猫耳フードを深くかぶった少女である。
「知り合いなんですか?」
「仕事仲間にゃ。」
へえ。この歳でアルバイトでもしているのか。お疲れ様です。
答えてから、ホットミルクのカップを口に運ぶ少女。
「にゃっ!」
おっと、どうやら猫舌だったようだ。
カップをふーふー冷ますのが微笑ましい。

と、ここでまた鈴が鳴った。
入ってきたのは常連の秋山さんだった。
彼はなぜかよく夜に来る。
「マスター、いつもの。」
「分かってますよ。」
笑いながら僕は「いつもの」コーヒーを淹れる。
その間に、店の中に十数匹いる犬猫の一匹、三毛猫のミミが彼にすりよっていた。
しかし、秋山さんが頭を撫でようとすると、ミミは「うにゃあ」と一声鳴いてカウンターから飛び降りてしまった。
「どうしました? 顔が暗いですよ。」
香ばしい液体がなみなみ注がれたカップを差し出しながら尋ねる。
秋山さんはそれを一口飲んでから、憂鬱そうな顔で答えた。
「ダチが何か隠してるらしいんすよ。」
「何か。」
「例えば仕事のこととか……いや、人に言うことじゃなかったな。すいません、忘れてください。」
彼は後悔を大きな溜息で表してうなだれた。
危うい空気の中、隣に座っていた猫少女がさらに不穏な言葉を投げかける。
「裏のお仕事にゃ。」
心なしか少女のフードに隠された瞳がぎらりと光ったような気がした。
僕と秋山さんとが自分を見つめているのに気付いた少女は、顔を笑いの表情に変えた。
「冗談にゃ。持病の中二病が発症しただけにゃ。」
そして少女はじゃらじゃらと硬貨をカウンターの上に落として立ち上がった。
「そろそろおいとまするにゃ。ありがとにゃ。」
そう言葉を残して、少女は夜の闇に消えていった。

「あんまり思い悩むことないですよ。」
冷蔵庫から缶ビールを取り出して、まだ深刻な顔をしていた秋山さんの横に置く。
「あれ? いいんですか? こんなもの出して。」
「『準備中』にしてきたから大丈夫ですよ。」
「あっ、タクさんずるーい! 私も混ぜて!」
はいはい、服着てきてからね。
もう二本、冷えた缶をカウンターに出す。
「友達なんでしょ? だったら信じましょうよ。」
ミヨさんは奥に引っ込んだ後すぐに戻ってきた。
それ、明らかに一枚羽織っただけじゃないか。
まあいいか。
僕たちは誰からともなく乾杯した。


おわり


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最終更新:2011年05月05日 00:17
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