バフ課はいわゆる超法規的機関だった。公には存在し無い事になっている組織のため、
いずれの庁、部からも独立しており、警察法を初めとした多くの国内法に縛られずに活動
する事ができる。
もっとも、警察庁に部屋が用意されているし、それとは別に隊長にも知らされない怪し
げな部や庁が上にある可能性もある。
……まあ、俺の知ったことじゃないか。
会議室から退室したバフ課二班隊長、code:
シルスクはそんな事を考えていた。
「あー、隊長。もしかして、即行で候補から外された事、気にしてたりするっスか?」
半歩遅れて付き従うバフ課二班副隊長、code:
ラヴィヨンの質問は的が外れていた。
「んな訳がないだろう。バフ課と表の公的機関の繋がりについて、少し考えていただけだ」
シルスクの思考の出発点には、能力鑑定局からバフ課への異例の要請があった。
その内容とは、次の通りだ。戦闘が行える人材を都合してくれ、一人でいい。
一応、警察組織からバフ課への人事異動には例があるが逆は無きに等しい。
結論から言えば、バフ課はこの要請を受け入れた。
バフ課側からは代償として、協力者となりうる鑑定士を要求した。鑑定の真似事ができ
る人材ならバフ課にも居るが、やはり本職の鑑定士を手駒に加えれば捜査でも戦闘でも、
その利点は計り知れない。
互いに人材の貸し借りについて合意し、今回の件に至った訳だが、はっきり言えば能力
鑑定局の利点が少なすぎる。バ課と通称されている組織だが、なんだかんだで鋭い各隊長
達は他の密約の存在を勘ぐっていた。
適した人物を厳選するとはいえ、過剰なまでに保護されている鑑定士を危険にさらすと
は、よほどの事に違いないが……
「まあ何があろうが、戦力が補強されるなら別にいいんだがな」
「た、隊長がそんな事を考えていたなんて……」
妙な所で感激するラヴィヨン。両腕が一瞬震えたのは、思わず拍手しようとした所で堪
えたからだろう。
釈然としないものを感じながらも、シルスクは歩みを速めた。ラヴィヨンは小走りにな
る。
「……そこまで意外か」
「え? 隊長、今なにか……」
「ああ、何も言っていないから気にするな」
今回の会議で決定されるのは、能力鑑定実技試験の試験官を務める人物。有力な取引相
手となるのは確実なので、礼儀として隊長、あるいは副隊長格が前提とされたが、一癖も
二癖もある面々のため人選は難航した。
シルスクは能力が発現する気配がないため、鑑定の試験官としては論外。
一班隊長トトは試験官としては、世話を焼きすぎる傾向がある。
三班副隊長シェイドは意欲はあったが、どうも動機が不純らしい。
四班隊長
ラレンツアはまともだが、暴走した能力者の処分が主任務である以上、鑑定士
側の印象は良くないだろう……
多かれ少なかれ、誰を選ぶにしても欠点は見つかるという事だった。
ほとんど、罵り合いに近い意見交換が行われた会議室は、混沌の坩堝と化した。
「どうせ無難な所に落ち着くだろう」
「そうっスよね」
賢明にも途中退室した二班の二人は、やや予定を早めて訓練に向かうのだった。
最後の試練、月並みだが代樹の脳裏に過ぎったのは、そんな言葉だった。
能力鑑定実技試験の試験官は三名おり、その内の二名はすでに鑑定を済ませている。
一人目の試験官はおそらく満点、少なくともそれに近い評価を出してくれるだろう。
二人目の試験官は合格点を出さざるを得ない。悪質な客の対処は、人によって意見が分
かれる点なので過剰な期待は禁物と言えるが。
そして、三人目、つまり最後の試験官は異質の存在だった。
『桜花、準備はできているか?』
『一応ね。代樹の方は? 狙われるのはそっちだと思うけど』
『正直、自信はないが……鑑定だけなら任せてくれ』
手先のみの動作で、二人は互いの状態を確認しあう。
能力鑑定実技試験は鑑定士候補の実力を試すと同時に、守護の仮面の試験も兼ねていた。
つまり、守護の仮面が活躍する場面も試験会場では再現される。
鑑定士に危害を加える危険人物。それが最後の試験官が演ずる役割だった。
意を決すると桜花は危険人物を室内に招いた。
「次の方、どうぞ入室してください」
意外にも控えめなノックの音が二度響いた。
扉を開き、入室してきたのは金髪碧眼の美女だった。皮のライダースーツとかなり行動
的な装いでも、その妖艶さは損なわれていない。だが、深窓の令嬢といった要素が皆無と
言うわけでもなく、容貌相応の繊細さも持ち合わせているように見えた。
その瞳からは冷たい印象を受けるが、それ以上に内面に潜む何かが代樹と桜花をたじろ
かせた。
「
マドンナ様……でよろしかったですね? どうそ、おかけください」
資料には名前らしきものだけが載っており、姓は記載されていない。ためらいつつも、
桜花は名前だけで呼びかけた。
「ええ、よろしくお願いするわ」
マドンナは会釈すると、軽やかに席に向かって前進した。
『桜花、着席の途中で奇襲が来るよ』
突然、代樹が手振りで送ってきた合図はそんな内容だった。桜花は片眉を上げて驚きの
表情を作ったが、仮面の下の事なので他人には見えない。
マドンナが椅子を引き、腰を屈めたその瞬間、彼女の腕が異様な変貌を遂げた。
指先の刃物化。刹那の間もなく、蛇の頭のように代樹の肩口に襲い掛かる。
明らかに代樹の反応は遅れ、体勢も回避には適さない。為す術もなく、彼の肩が抉られ
るかのように見えた。
しかし、耳障りな金属音と共にマドンナの一撃は跳ね返された。
「……読まれていたみたいね。少しあざとすぎたかしら?」
動揺はしていない。むしろ、予期していたかの口調でマドンナは目前の"盾"を見つめた。
彼女の標的であったはずの代樹は、いつのまにか窓際に移動している。
身代わりの盾。これが守護の仮面見習い、桜花の昼の能力だった。
【操作型】と【具現型】を合わせた能力で、半身を覆う盾を具現化すると同時に味方、
あるいは守護対象と認識している人物と自分自身の位置を入れ替える。
「はあぁぁっ!」
鋭く叫びつつ、桜花は椅子と机を踏み台にして、マドンナに向けて盾を押し出す。
マドンナは正面から迎え撃つ愚を冒さなかった。後退して隙をうかがう。現時点で桜花
の攻撃は、位置でも重さでも相手を上回っていた。
「後退……でも、甘い!」
桜花はさらに突撃すると見せかけて、盾を左側に逸らし、盾の裏で用意していたスタン
ロッドを突き出した。
「そのセリフは十年早いみたいね」
奇襲に対する反応は異常に早く、正確だった。マドンナは文字通り、刃と化した手刀で
スタンロッドを破壊しようと試みる。
桜花は寸前でスタンロッドを引き、手刀を回避すると二段突きの要領で再び攻撃を繰り
出す。しかし、それも避けられる。
桜花とマドンナの攻防は続く。両者が技巧を尽くして、相手に一撃を加えようと試みる。
何度か互いの攻撃が空を切り、やがて均衡を破ったマドンナの一撃が桜花に迫るも、そ
れは盾に弾き返された。
「五年、とだけ訂正しておくわ」
容易ならざる相手、と認めたのか一度距離を取りつつも、マドンナはそんな事を口にした。
「それはどうも。別にうれしくないけどね」
一方、単純にすごいな、と代樹は感心していた。能力による鑑定士のガード、そこから
の突進に盾の裏で用意していた奇襲の流れは、桜花の必勝パターンの一つだった。それを
初見で回避するとは。
しかも、マドンナと名乗る女性にはまだ余裕があるように見えた。
『マドンナの能力は、体の一部の変化。部位や物質に制約は無い。腕の刃物化と思ってい
ると、たぶん痛い目をみる』
代樹は初めて第三者が見える局面で、手話で語りかけた。何かの意思疎通がある事は見
破られるが、さすがに内容の解読はされない。
『了解。というか、代樹は冷静すぎ!』
冷静で何が悪い、と代樹は思ったのだが、わざわざ反論はしない。後退した後、代樹は
ただ傍観していた訳ではない。マドンナの能力を鑑定すると、ずっと部屋から逃げ出す隙
をうかがっていたのだ。
なにもマドンナを倒す必要はない。鑑定士を守りきれれば勝ちだ。それを理解している
からこそ、代樹は逃げを打とうとしたのだが、隙を見出す事はできなかった。
「それにしても、よく仕掛けるタイミングが分かったわね。ヒントをあげた記憶は無いの
だけど」
『自分で言ったとおり、あざとすぎる。最善の攻めに、最善の対応を返しただけだ』
「鑑定士曰く、あなたが言ったとおりだそうです」
格好よさげな台詞だが、その大半を省略して桜花は通訳した。
「やっぱり。自分でも虫が良すぎると思っていたの」
自嘲気味にマドンナは微笑んだ。
単純な理屈だと、少なくとも代樹はそう考えていた。
最初に想定するべき奇襲のタイミングは、入室時にいきなり攻撃を仕掛けるか、鑑定終
了直後に相手が油断した所を突くか。
しかし、入室時は相手の警戒のピークにあり、隙を突くという奇襲の用件は満たしづら
い。鑑定終了直後は相手に能力を晒すリスクがある。
そのうえで結論を出すと、警戒のピークが過ぎた直後、それも何かの動作の途中で突如、
牙を剥くのが最善ではないか。
この理屈だけでは、相手が最善手を取る保証にならないが、代樹は自分自身の値踏みを
信頼していた。このマドンナと名乗る女性はかなり危険な相手であると。
「でも、あなた達が優勢に立てるのは、これでおしまい。油断はしないし、隙も見せない。
そして、なにより――」
マドンナはゆっくりと、ライダースーツの両袖を肩付近までまくった。あるいは攻撃の
機会かもしれなかったが、常人には無縁の威圧感が代樹と桜花を束縛していた。
まくった袖口に変化が生じる。肉体と周辺の空間が、歪に変形したかと思うと次の瞬間、
そこから第三、第四……多数の腕がすらりと伸びた。
「このまま、延々と手加減を続ける気は無いの」
さながら阿修羅、あるいは千手観音のような姿へと変化したマドンナはあでやかに微笑
んでみせた。