能力鑑定所、受付から廊下を進んだ先にある鑑定室では、鑑定士とその護衛者が資料を
凝視していた。少しばかり冷めた目で。
『保護者による記入欄』
名前:
岬陽太
昼の能力
食べた事があるジャンクフードの生成
反動:空腹感など
鑑定して欲しい点:
『大丈夫だとは思いますが、一応能力の反動が発育に影響していないか見てもらえないで
しょうか』
『本人による記入欄』
名前:岬月下
昼の能力
名称:万物創造【リ・イマジネーション】
右手より万物を創造する力。
反動:世界の均衡を崩すため、安息の時は望めない。
鑑定して欲しい点:
『優れた能力ってのは、容易くひけらかしたりは(誰かに邪魔されたらしき跡』
文面はかなり異様ではあったが、凝視している側も負けてはいない。
魔術師のようなローブに身を包んだ青年と、陰陽を象った仮面で素顔を隠す女性。
その怪しさは、最初に死ぬ力馬鹿と、正統派ライバルを加えれば悪の四天王が完成する
レベルに達している。
『本人の記入と保護者の記入が、食い違っているように見えるが……』
「うん。私にもそう見える」
鑑定士である代樹と、守護の仮面である桜花はそれぞれ手話と言葉で呟いた。
能力鑑定士は言葉を発してはならないという決まりがあるため、筆談や手話で意思疎通
を行っているのだ。
「あのさ、これって厨……」
何かを言いかけた桜花に対して、代樹は片手を挙げて制した。
『鑑定前に先入観を持つべきじゃない』
全てを見通すかのような深い目付きに、桜花はハッとさせられるが、実は大したものは
見ていない事を彼女は知っていた。
ただ、本能的に受ける印象に逆らい難いだけである。
『早速、彼を部屋に呼んでくれ。おそらくは陽太の方が本名だ』
軽く、あるいは適当に桜花は二度うなずくと息を吸い込んだ。
「岬陽太さん、入室してください」
「俺は月下だっ!!」
言い終わるや否やドアが勢い良く開き、壁に激突する。
その直後、少しだけ痛そうに手を振ったのを代樹は見逃さなかったが、口には出さない。
『手が少し赤いな。痛かったんだろうね』
『あー、うん、そうだね』
口に出さずに、ちゃっかり手話で話題にする代樹達だった。
資料によれば中学生、身長は160にやや及ばない程度。平均値程度で、発育不良を心
配する程ではない。
身体的な特徴を一瞬で観察し終えると、次は内面に取りかかる。
鑑定所側の二名に鋭い視線を向けている。もしや、鑑定に対して不信感を持っているの
だろうか。
「魔道師に仮面……お前ら本当に鑑定所の人間か?」
訂正。怪しさ爆発の外見に、危険な組織の影を見たらしい。妄想だけど。
『こんな怪しい格好をしている奴がいるか? 鑑定士の他に』
『代樹は黙ってて』
『いや、すでに黙ってるよ!? それも数時間!』
代樹の抗議をスルーして、桜花は冷静に応対をはじめる。
「この仮面やローブは私達の制服ですので、お構いなく。それに資料によればすでに鑑定
を経験しているようですが、その時の鑑定士もこの格好だったはずです」
妥当な指摘だったが厨二、もとい陽太は上から目線の自信を崩さない。
「そうだな。だが、素顔を隠して近づくのにも最適な状況じゃねえか? それも仲間から
分断した状況でな」
『(キリッ』
代樹の手振りによって、場の空気が冷える。
「って、おい。そっちの魔道師の手振りから凄い悪意を感じたぞ!?」
「気のせいですよ」
あっさりと桜花は受け流したが、少し冷や汗をかいていた。手振りによる会話は第三者
には読み取れないはずだが……どうやら、直感でニュアンスを読み取ったようだ。
おそるべし、厨二病。
『さて、誤解を解くところから始めるべきなんだろうけど、それじゃ時間がかかる』
『というか、さっき挑発してたよね?』
『幸い、というのもアレだが発育に関しては医者の分野だ。つまり能力の資料を揃えさえ
すれば、そちらに押し付ける事も可能』
『ねー、ってば!』
気がつけば、陽太少年がさらに怪しむ目付きで二人の手振りを見つめていた。
「さっきから何やってんだ? なんかの符丁か」
「いえ、素手で目玉をえぐる技の練習です」
冷徹な声でごまかす桜花。明らかに顔を引きつらせる陽太。
なにやら修復不可能な亀裂が入ったような気がしたが、代樹は聞かなかった事にした。
代樹は気を取り直して、あるいは現実から目を背けて話を続けた。
『とりあえず、必要になるのは血糖値測定器と栄養剤、あとは大きめの皿だな』
『この部屋にあるのは栄養剤だけなんだけど……』
困惑気味の桜花の声に、代樹はうなずいた。
『もちろん、取りにいくのは守護の仮面の役割だよ』
『うわっ、鑑定士働け』
『すごく働いてる。首から上はフル稼働』
『限定してる時点であんまフルじゃない。……いいや、どうせ能力使うんだし』
ため息をつくと、桜花は携帯電話を取り出した。
「ちっ、新手を呼ぶつもりか?」
能力発動ポーズ(?)のまま、二人の手振りを警戒していた陽太が見咎めた。
代樹は指先で机を三度叩く。注目を集めてから、そのまま文字を綴り始める。
『いえ、新手というより新兵器ですかね』(筆談)
「新兵器……? あと、指をこっちに向けるな」
どうも、まだ目をえぐられないか警戒しているらしい。
『それは構いませんが、まず腰を下ろしたらどうです?』
「断る。敵の土俵で、のんびり座る気にはなれねえよ」
『米国式ホットシートの座り心地は最高ですよ』
「それ、電気椅子じゃねーか!?」
大声量で陽太が突っ込みを入れる。
少しばかり、他の部屋の迷惑にならないか心配になる代樹だったが、鑑定室はプライバ
シー保護のため防音処置が為されているので問題ない。
(で……時間稼ぎをしているが、桜花はまだか)
指は思考とは別の文を綴る。
『海裂暦280年ごろ。かつて火鼠座が黄道の基準とされ、魔導と戦火が大陸を占めてい
た時代。一隻の浮遊艇が戦場を離脱し、名も無き森林に不時着した』
「何のプロローグだああぁ!!」
その叫び声に混じり、ごとりと鈍い音がした。
代樹の目前にある机におかれたのは、カツオが丸ごと数匹乗りそうな大きな皿と、液晶
画面の血糖値測定器だった。
続けて桜花が、栄養剤の瓶をその横に置いた。
「いつのまに!? それにその馬鹿でかい盾は……」
「能力で具現化したものですけど、まあお気になさらずに」
一礼すると、桜花は半身を覆う巨大な盾を消去してみせる。
桜花の昼の能力、身代わりの盾を利用した備品運び。
盾の具現化と同時に、味方との位置を入れ替える。本来は護衛のための能力だったが、
携帯電話で職員に連絡、職員に特定の物を手に持ってもらい、能力を発動。
そうした手順をこなす事で、物運びに利用する事も可能だった。
「では、ジョークもここまでにして真面目に鑑定しましょうか?」
「いいけどよ。今度、変なマネしたら俺の能力が火を吹くぜ」
「それはそれは……具体的にはどのように?」
戦闘にはある程度、自信がある桜花が挑発的にたずねる。
「シュールスト……」
「さ、鑑定を始めましょうか」
『桜花、弱っ!』
変わり身の早さに、思わず代樹がつっこむ。
屋内でシュールストなんとかを出されれば、地獄絵図が実現する事は確かであるが。
「では、いくつか質問するので答えてください」
「ふっ、二度三度と刺客を返り討ちにされ、ようやく組織も弱点を探る気になったか」
「それは聞いてません。まず、ここに来る前に食事を取りましたか?」
桜花は無視して質問を続けようとするが、陽太の方も相応にマイペースだった。
「能力に関わる質問ってわけか……答えられないと言ったらどうする?」
不敵な笑みを浮かべ、心理的駆け引きモード。だが意味はない。
『……わー、話が進まない』
『じゃ、バトンよこせ。一応、俺は対厨二病カリキュラムの成績も良かったし』
『人間性を削りそうな科目ね』
『ほっとけ』
手振りで会話をしていると、陽太は何やら腕を伸ばし警戒の構えを取っている。
代樹は勝手に海男のグラサンポーズと名付けると、指で机を叩いてから会話を筆談に切
り替えた。
『そう言わずに教えてもらえませんか? 減るもんじゃないですし』(筆談)
鑑定士が筆談を始めたのを見ると、陽太の目がきらめいた。
反撃のチャンスと考えたらしい。
『思秋期の豆知識、その一。自分に素直になれない時は……』
そこで、陽太がびしっと指を突きつけ、指摘してみせる。
「お前の手口はお見通しだ! 突拍子もない事を言って、主導権を握り相手を誘導する。
同じ手は二度も喰わねえよ」
見事に手口を言い当てられて、指先が停止を強要される。
しぶしぶだが、代樹は一本取られた事を認めた。今回の鑑定対象は、なかなか賢しい。
ただ、この場合は無駄で面倒な賢しさではあったが。
(でも、電気椅子と海裂暦で二度じゃないかな)
とりあえず、頭を切り替えてから、あらためて文章を綴る。
『岬陽太さん、残念ながらあなたに選択肢はありません。なぜなら――』
そこで代樹は机から指先を離し、何かを待つかのように動きを止めた。
静寂。
それは傍から見ている守護の仮面も例外ではない。
(筆談で―(ダッシュ)は書かなくても良いと思うんだけど)
空気を読んで、桜花は突っ込みを慎んだ。
『あなたの能力には致命的なデメリットが存在する。敵に知られるか、否かは関係がない
ほどのデメリットが』
職務中の鑑定士によく見られる、澄ました眼差し。大半の人々の目には神秘的に写り、
一部の用心深い人々からは詐欺師のように見られる。
信用と警戒、いずれの感情を抱かれるにせよ、彼の台詞は魔術めいた力を持って、無視
する事を許さなかった。
「ブラフ、はったりだな。俺の能力にそこまでの反動はねえよ」
しかし、陽太は否定して見せた。一切の動揺の色も見せずに。
代樹は宗教家や詐欺師といった人心を操る類の技術を持ち、一度ならず鑑定に利用した
事もあったが、才能というだけなら陽太にも、それ以上のものがあるらしかった。
「…………」
口は元より、指先も止めて陽太を見据える。
思わず目を逸らしそうなものだが、陽太は真っ向からにらみ返した。
『あ、反動の累積は自覚症状なし。昼食もまだで、口内には食品のカスが見られるが、こ
れは昼の能力で具現したものだ。記録しといて』
「……りょーかい」
ずるっと陽太の肩が傾いた。
「って、分かるのかよ! つーか、さっきの間は何だよ!?」
『いえ、確信できたのは今。二度目のブラフでようやく情報が引き出せました。虚勢とい
うのは見破られてからも五、六回は続ける価値がありますね』
「うわ、執念深けぇ……」
少しばかり、身を引きながら陽太。
実際の所は、もう少し複雑な手段を使っている。まずはデタラメを語った後の反発から
情報を引き出す。さらに、その情報と第二のデタラメを並べる。
これなら一つ目の情報を成否を確認できるし、当たっていれば第二のデタラメが説得力
を持つ。たとえ、連続で推測を外しても、誤魔化す手段は山ほど持っている。
もちろん詐欺師が手口を明かすはずもなく、代樹は解説せずに鑑定を進めた。
『桜花、血糖値測定』
「はい。これは指を乗せるだけで測れますし、相手が怪しげな機関や政府でも血糖値を知
られて困る事はありませんよね?」
「……まあ、そうだな」
半信半疑の様子で、陽太はちょこんと機器に指を置く。
これは特に障害もなく、数秒で画面に数値が表示された。それを桜花が書き留める。
『さて、次は能力を発動してもらって、反動を受けた後の測定をしたいのですが』
代樹による何気ない筆談だったが、陽太は戦いに備え、身構えるのだった。
「…………」
『…………』
「…………」
厨二、魔道士、仮面の混沌とした睨み合い。
睨み合いの理由は本人達にとっても不明で、火花が散るどころか周囲に鬼火が漂いそう
な雰囲気だった。
「……どうしました?」
たっぷり数秒ほど躊躇ってから、桜花が陽太にたずねた。
「もし、お前達が組織の人間なら、反動で弱った姿を見せる事は死につながる」
「いやあの、そんな事いわれましても」
取り留めのない返答をしつつも、桜花は視線で代樹に指示を求めた。
陽太には伝わらないように、手振りでの返答が返ってくる。
『鑑定士の情報は秘匿されている。逆に言えば本人か確認する事も難しい。証明書の類は
偽造できるし、第三者による証言はグルなら意味はない』
『……疑われたら証明不可能。いや、疑われる理由自体はないけどね』
桜花は仮面ごしに、額を手で抑えた。
『いや、簡単に鑑定を済ませる方法はあるよ?』
『その手振りからは嫌な予感がするんだけど……とりあえず、聞かせて』
『適当に攻撃を加えれば、嫌でも能力を使わざるを得ないだろう』
『え、本気?』
『うん、本気』
それは問題になるんじゃないか、という疑問が仮面越しに伝わってきたが、代樹は無視
して実行を指示した。
はっきり言われてしまうと、桜花は従わざるを得ない。悲壮な声で宣告する。
「えー、岬陽太さん。よくわからない理由で攻撃する事になりました。とりあえず、能力
を駆使して凌いでください」
「なんだそりゃ!?」
微妙に素に戻りつつも、陽太が絶叫する。裏社会の組織や暗黒教団の存在は想定してい
ても、さすがに「よくわからない理由」で攻撃される事は想定外だったらしい。
『怪我はさせないように。スタンロッドも電源オフだ』
言わずもがなの指示(口にしていないが)を桜花は目にしつつも、行動に移った。
軽い歩調で接近すると、平手打ちの要領で軽くスタンロッドを一閃させる。
明らかに対応が遅れれば、寸止めする予定つもりだったが、その気づかいは不要だった。
陽太の反応は早く、飛び退いてスタンロッドを回避していた。
「ジョー……ブレイカー!」
一瞬で陽太の手の内に複数の固焼きせんべいが表れ、間髪いれず投擲する。
固焼きは分散し、すべて回避するのは難しかったが、桜花は体を逸らし大半を避けると、
残りはスタンロッドを一振りして、すべて打ち落とした。
『複数を同時具現か……珍しい』
曲芸を目にした様子で、代樹は眉を上げた。『鑑定』して見たところ、元々彼の能力に
そういった性質はなく、どうやら努力の産物らしい。
「普通、戦いには真っ当な理由が付き物だろ? 能力を危険視したとか、悪巧みの邪魔に
なるからだとか」
「じゃあ、そのどれかで」
「なげやりだな、おい!」
あまりに無気力な敵に陽太はペースを崩されているらしかった。
『固焼きせんべいを数枚を確認。この調子で具現を続けさせてくれ』
唯一、精気を保っているのは観察者である代樹だけだった。
「数でダメなら、威力で押させてもらうぜ」
次に陽太が具現したのは瓦せんべい。硬度は固焼きに劣るが、特大サイズのものとなれ
ばサイズも重量も相当なものとなる。
桜花には、本物の瓦とそう変わりない大きさに見えた。
「それは……当たると痛そうですね」
「ああ、そうだろうよ……っと!」
大振りで瓦せんべいを投げつける。回転しながら直進するそれは殺人的、とはまではい
かなくとも、かなりの迫力があった。
さすがに叩き落すような芸当はできず、桜花は身をかわした。
『桜花、上だ』
視界の隅から代樹が突然、指示を出してきた。
桜花は上方から迫りつつある何かを、反射的にスタンロッドで打ち砕いた。
「かかったな――苦痛の雨【ペイン・レイン】!」
スタンロッドによって打ち砕かれた何かが弾け、黄色い液体が飛散する。
当然ながら、液体を浴びたのは桜花だった。
最初は驚いて動きを止めたのだが、液体の腐乱臭に気付くと慌てて振り払おうとする。
「な、なにこれ!? 汚い、というか臭い!!」
「ふっ、苦痛から得た力。思い知ったようだな」
『腐った温泉卵……さては食ったときに、腹痛を起こしたな』
他人事なので、冷静に分析する代樹。
瓦せんべいを大振りで投げた時。そのロスタイムの間に後ろ手で温泉卵を具現。そこか
ら放物線上の軌道で、相手に当たるように投げた訳だ。
派手な動きは他の何かを隠している、という事で何かを投げる事までは代樹にも読めた。
しかし、さすがに砕かず、避けるように指示を出すまではいかない。
「一気に決める。来い、レイディッシュ・アウルム!」
陽太の右手から金色、というより黄色の武器が伸びた。
魔剣、レイディッシュ・アウルム。
別名、沢庵漬けとも呼ぶ。まだ、切られておらず大根の原型を留めている。
『漬物とか、また料理か食材か微妙なものを……』
混乱する桜花に向かって直進すると、陽太は沢庵漬けで殴りかかった。
「ま、負けてたまるかぁ」
口調に素が出ている桜花が、どうにか応戦する。
――べちっ! べちっ!
「ちっ! この状況から対抗してくるとは、やるじゃねえか!」
――べちっ! べちっ!
「そちらこそ! 中学生の割にはなかなか!」
――べちっ! べちっ!
会話はまともだが、効果音に緊張感はなかった。
沢庵相手にチャンバラする簡単なお仕事です。
ふと、横から見ていた代樹はそんなフレーズを思いついた。
スタンロッドによる一撃を受けて、沢庵漬けが二つに折れる。
「これで六本目か。くそっ、レイディッシュが本来の姿なら……」
焦った様子を見せながら、七本目の沢庵漬けを具現する。
『いいぞ。この相手なら奇策を警戒するよりも、主導権を奪ってじり貧に追い込んだほう
が優位に立てる。目的にも適うしな』
上機嫌な様子で代樹は手振りをした。
『延々とたくあんを折り続けてるこっちの身にもなってよ……』
かなりうんざりした様子で、桜花は返答した。
それでも、陽太の一撃を曲線軌道で回避し、同時に沢庵漬けを叩き折る。
「七本目……」
桜花はそのまま勝負を決めようとはせず、あっさりと引いた。
『ま、そろそろリソースが尽きはじめるから、これ以上不利になる前に逆転、おそらくは
大技を狙ってくるだろうな』
『大技、ねぇ……』
あの能力でどんな大技があるのか、疑問を抱きつつも警戒する。
「……あまり使いたくはなかったんだがな」
代樹が言った側から、陽太は決まり文句を発した。
「本来、敵対者である神の力を利用する大技……リスクはデカイがやるしかねえな」
「いや、そういう設定は別にいいですから」
あしらいつつも、桜花は心の準備を済ませる。油断すると腐った温泉卵のときのように
ダメージを受けかねない。
その直後、陽太が最寄の壁に向かって疾駆した。
桜花が驚く間も無く、跳躍して壁を蹴り、さらに高く飛ぶ。一瞬にして陽太の体は1m
の高さまで宙に浮いていた。
「三角跳び、そこから……?」
迎え撃つようなマネはせず、桜花は能力発動を決めた。
「アドベント・マタァァァーー!!!」
咆哮と共に巨大な何かが具現されようとしていた。
その瞬間、真横から飛んできた腕時計が陽太の顔に直撃する。
「ぐはっ」
桜花の目には、陽太の頬に腕時計が食い込む様子が、なぜか鮮明に見えた。
一瞬、遅れて巨大な何かが出現し、慣性で桜花に向かって突き進む。
「わ、わっ!」
慌てて盾を具現し、防ごうとするが相手は3m2tの巨塊。盾を出した程度で止められ
るものではない。どうにか、左斜めに受け流す。
腕時計による攻撃で方向が逸れてなければ、危なかったかもしれない。
重量が重量なので落下と同時に、ドシンと怪獣が歩いたかの様な音がし、鑑定室を揺る
がした。
よくよく見ると、巨大なケーキのようだ。床との激突で表面を覆っていた、砂糖が砕け
て生地が覗いている。
床に落下した腕時計を、持ち主である代樹が心配そうに見つめた。
『ドイツの巨大シュトレンだな。世界最大ではないにせよ、質量だけで立派な凶器となる
ケーキだ。本来はお祝いに使うんだけどな』
ぐううぅぅぅぅ~
代樹の解説に重なって、盛大に腹の虫が合唱した。
「鎮ま……れ……バ、グめ……」
能力の反動による空腹感。これほど巨大なものを具現したのだから、反動もやはり強烈
なものとなるだろう。
最後の最後まで厨二を貫き通して、陽太は静かに崩れ落ちた。腹の虫は除く。
『桜花……! 栄養剤を』
「うん、まかせ……」
『投与するのは後にして、まずは血糖値を計ろうか?』
「ああ、鬼が居る……」
微妙に涙しつつも、とりあえず血糖値を計る桜花だった。
その後、栄養剤を投与し、陽太をベッドに運び込む。目覚めるまでに医者に渡すための
書類を製作する。
目を覚ました陽太に簡単に事情を説明して、笑顔で鑑定所から送り出す。
やはり、その笑顔は仮面の下に隠れていたが。
「またのお越しをお待ちしています♪」
「二度とくるかぁぁぁ!!!」
それが本日の鑑定を締めくくるやり取りとなった。
鑑定室に戻った桜花は呆然としていた。
巨大シュトレン、砕けた瓦せんべい、折れた多数の沢庵漬けなど……
そこは生もの地獄と化していた。生ゴミ地獄でないだけマシだが。
「……あのさ、代樹。これどうするの?」
『そりゃ、もちろん片付けるのも守護の仮面の役割』
「…………」
『…………?』
どこか危なっかしい足取りで桜花は前進すると、足元の沢庵漬けを一つ拾った。
『あ、いや。別に素手で片付ける必要はないんだけど』
「レイディッシュ・アウルム!」
『ぐはっ!?』
代樹の顔面に折れた沢庵漬けがぶち当たる。
その一撃はやはりというべきか――べちっ、とした。
「あ、陽太。おかえり」
水野晶はドアが開く音が聞こえると、明るい声で出迎えた。
陽太よりも一才年上の少女で、ショートの髪型や長身のおかげでよく男に間違えられる。
返事はただいま、でも、今帰った、でもなかった。
ぐううぅぅぅぅ~
腹の虫の音。陽太いわくバグだ。
定期的な能力検査、つまるところ健康診断の能力版、から帰ってきた幼なじみはかなり
お腹を空かしているらしかった。
鑑定の時の指示によるものか、それとも寄り道でもしてきたのか。
とにかく待たせるのは悪いかなと考え、晶は昼食を作る予定を変更してパンを買いに行
く事にした。
陽太の両親は旅行で出かけている事が多く、晶が食事の面倒を見る事も多い。
栄養が補給できるように、少しカロリーが高そうなパンを選んで取ると、晶はふと陽太
に感想を聞いてみた。
「陽太ー、鑑定どうだった。迷惑はかけてないよね?」
「……ああ、恐るべき暗殺拳の使い手だった」
「え?」
登場キャラクター
最終更新:2011年06月27日 22:02