――トンッ
何かが走り抜ける音が流れていく。
夜の闇を纏うかのように人の形をした者が4つ、森を走り抜けた。
身のこなしが全員特殊な訓練を受けたそれだった。
やがて先頭を走る男が止まる。
男が見上げるその正面には、分厚い玄関が遮るかの様にそびえたっている。
しばらく付近の様子を眺め、黒髪を適当に切っただけのざんばら髪を掻き、面倒くさそうに男は口を開く。
その声はまだ、中学生位の声変りもしていない高音だった。
声を掛けられた、リーリンと呼ばれた恐らく男と同様中学生位の少女は一つ頷き、耳を澄ます。
ツインテールにした黒髪が揺れ、括りつけられた音のならない鈴が揺れる。
「……人は一人だけ。情報通りね。でも今回の殺害対象は気が乗らないわね?
普通の女子中学生でしょ。どう思う?
ロック」
リリーは顔を体の大きな男に向ける。その巨体は2mを超えるが、
その顔つき自体は普通の少年のものだった。
ロックと呼ばれた少年はゆっくりと口を開く。
「僕たちは“機関”の任務を忠実に守るだけだよ」
その答えにリリーはため息を吐き、ロックと呼ばれた少年から別の少女へ視線を移す。
そこには栗色のショートカットにした髪の少女がポツンと立っている。
「ロックの言う通り。私達は“機関”の子供達。機関の任務に意見は挟まない」
「……はあ、ウインドもか。しょうがないわね。じゃ、お願いね。ブレイクエンド」
「ああ、分かった。少し下がってろ」
先ほどまで先頭で走っていた、ブレイクエンドと呼ばれた少年は軽く右手を扉に触れる。
たったそれだけの事。それだけで右手が触れた部分が、扉の一部が“消滅した”
いかに頑丈な鍵がついていようと関係ない。彼の両手が触れた部分が消滅する。
それが、ブレイクエンドと呼ばれた少年の夜の能力だった。
「さ、終わったぞ。入るか」
ブレイクエンドはそう声を掛け、扉を開ける。
音もなく開けた扉の奥に4人は順番に入っていく。
夜の闇は建物の中に入ることでさらに増す。
電気の一つもつけていない廊下を4人は音もたてず進む。
目標の位置はすでに把握済、その位置を知るリーリンが先頭に立つ。
やがて、何も変哲のない木の扉の前に立ち、リーリンは足を止める。
後ろを振り向き、ブレイクエンドに目だけで合図を送り、
ゆっくりと扉のノブに手を掛ける。
再び音もなく扉が開き、同時に色が写り込む。
その部屋には明かりがともされていた。
「……起きてたか」
ブレイクエンドは口の中だけで一人ごちりながら、リーリンを押しのけ
任務を遂行するため突入した。対象を殺害するのは自分の役目だと思いながら。
部屋の中は電球の淡い光が周囲を照らし、視覚だけで容易に部屋の中が観察できた。
ごく普通の部屋――本棚には漫画や小説のような本が並び、机にはぬいぐるみが置かれている。
そんな普通の部屋の角にシングルベッドが一つ、置かれていた。
当然、そこには一人の人間――恐らくブレイクエンドと同年齢程度の少女が身を起こし、
突然入ってきた不審者を見ている。
その視線にブレイクエンドは一瞬止まる。
――その少女は、流れるような黒髪を肩口まで伸ばし、白い肌は陶器を思わせた。
ほっそりとした体つきに、どこか視点の定まらないはっきりした目。
十人見れば十人可愛いと答えるような容姿の少女――これが、今回の殺害対象だった。
“機関”の命令書には、このごく普通の家庭で育った少女を殺害する事が書かれていた。
彼女の能力は未発現。ただし、将来発現したときには世界を破滅させる程の能力であること。
また、機関でも利用できる能力ではないこと。
以上のことが殺害処分対象の理由。まだ起こっていない未来の事象を理由にした殺害命令だった。
ブレイクエンドはそこまで思い返し、しかし特別な感傷を抱かず任務を遂行するため、
さらに一歩部屋に踏み込む。後ろではリーリン達も踏み込んでいるのが気配で分る。
いままで任務でも同じ事はあった。せめて苦しませず一撃で殺す。
その想いの下、ブレイクエンドはさらに一歩踏み込もうとした時、目の前の少女は始めて口を開いた。
その言葉は今殺されようとしている人の言葉としては場違いな内容だった。
「あなたの名前は……?」
その声は細く、しかしはっきりと聞こえ、今、この場では余りに無意味な問い。
故に、ブレイクエンドはその言葉に答える。
「俺は宿木 壊。……おまえの名は?」
「一華、牡丹 一華。そう、あなたも私を壊しにきたのでしょう?」
一華と名乗った少女にブレイクエンドは頷きを持って返し、腰にさしていたナイフを抜く。
同時に後ろで待機していたリーリンの小声で叱る声が聴こえた。
「ちょっと、ブレイクエンド。任務中は本名出すの厳禁よ」
「分かってる。だが、これから死ぬ少女相手だ。
せめて、恨む相手の名前くらい教えても構わないだろう?」
「……そう言う所甘いわよね。そう言うのが任務失敗につながっても知らないわよ」
リーリンの言葉を無視し、ブレイクエンドは一歩、また一歩近づいていく。
一華はそれを見ても反応しない。いや、静かにブレイクエンドの正面に向き直り、
ただ、座って彼を待っている。まるで殺してくれるのを待っているかの様に。
――ただの平凡な家庭で育った少女が、今殺されようとしているのを受け入れている。
その事実にブレイクエンドは何かがおかしいと思う。
この少女は本当に“平凡な家庭に生まれた少女”なのか、と。
一瞬の逡巡がブレイクエンドの心に宿る。
何かがおかしい、と。
――答えは音として帰ってくる。
「殺されたら困るんだけど。その子は僕の大事な荷物なんだけどな。今回の依頼のね」
その声に最初に反応したのはリーリンだった。
瞬間的に両手にハンドガンを持ち、発砲。
その銃弾は声がした方向へ吸い込まれるように向かい、壁にぶつかり火花を散らす。
いや、それは壁ではなく、そこに埋め込まれたスピーカーだった。
「っな!! これは……罠!?」
「あぶないなあ。子供がそんな危ないおもちゃをもってるんじゃない……ぞっ!」
全く別の方向から声が聞こえ、同時にリーリンの体が浮き上がる。
――いや、正確には見えない相手に投げ飛ばされていた。
不意の出来事にリーリンは対応をとることが全くできなかった。
先ほど銃弾がめりこんだ壁に背中を強打し頭から落ちる。
そのまま崩れるように倒れ、そこから動く気配がない。
「……敵だ! ロック!」
だが、倒れた仲間を無視するかのようにブレイクエンドは声を上げる。
同時、ブレイクエンドの号令に応じるかのようにロックは能力を行使する。
瞬間、壁が崩れ、その素材が拳大の礫となる。
空中に展開された無数のつぶてがマシンガンのように一華へと降り注ぐ。
任務を優先し対象を殺す。もしくは見えない敵が護衛者ならば一華を守る行動を行うだろう。
そう見こんだ結果の行動だった。
――だが、殺到したはずの礫は“見えない壁に跳ね返されるかのように”はじけ飛ぶ。
「……最近の子供は危ないね。容赦なく人の荷物を狙うとか、強盗罪じゃないのかい?」
同時にロックの真後ろから声が聞こえ、ロックの胸部が“割れた”。
まるで透明な刃物が通っているかのように赤黒い心臓が見え、ロックの膝が折れた。
致命の一撃――それを認識し、ブレイクエンドはしかし動かない。
ただ、口だけが動いている。敵の情報を得なければならない。
不意の戦闘は完全に相手が上手だった。やみくもに動いては一方的にやられる。
そう悟ったがゆえの行動。
「よう、謎の敵。そんなに子供が怖いのかい? 姿くらい見せたらどうだ?」
「やだね。最近の子供は凶暴で怖いんだよ。チンピラな僕じゃ正面からやりあったら殺されるさ。
だからわざわざこうやって仕込みやって卑怯な手で攻撃してるんだよ」
意外なことに返事が返ってきた。そう思うと同時、今度は知っている声が耳元に届く。
――声は囮、敵は能力を使用している。少なくても自身を透明化させる能力。
いえ、ロックの攻撃を防いだことから、自身や物の透明化を行う……
いえ、気配や声以外の音もなかったことから考えて、それ以上の物を隠匿する能力。
これが敵の有する能力。
突然囁かれた声にブレイクエンドは頷く。
それはウインドの能力、声を所定の位置にのみ届かせる能力によるものだった。
敵の能力は厄介極まりなかった。こちらから迂闊に動くこともできなければ、
敵の位置を把握することもできない。この手の敵を手っとり早く倒すのは本来ロックの役目だった。
礫による広範囲攻撃。敵がどこにいようと関係ない面による制圧能力を持っていた。
だが、すでにロックは死んでいる。
当り前だ。この敵は俺達に能力を知られる前に、自身にとって一番戦いにくい相手を優先して殺したのだ。
つまり、俺たちは完全に嵌められたと言うわけだ。
そこまで考え、ブレイクエンドは指示を出す。出した結論は単純明快だった。
「
ウィンド。任務は失敗。撤退だ。この敵は俺達では勝てない」
「……分かった」
それだけでウィンドはあっさりこの部屋から離脱する。
「おやおや、いいのかな? 任務失敗で。それに僕が入り口に罠を仕掛けてるとか考えないのかい?」
見えない敵の言葉にブレイクエンドは笑う。
「ははっ。どうせ勝てないなら逃げる方を選ぶさ。
それにその質問をする時点で罠がないのがばればれだ。
これで安心してウィンドを離脱させられる」
「なるほどなあ。それはそうだ。一杯食わされたな。
この荷物を殺そうとする人間の殺害も依頼に入ってたが、そっちは半分失敗かな。うーん残念だ」
それこそ全く残念に思ってなさそうに呟く見えない敵にブレイクエンドは苛立ちを感じる。
明らかに見下している口調だった。
「はっ、全然残念そうに聞こえないな」
「チンピラってのは、いつも詰めが甘いもの。失敗が当り前なのさ」
「意味が分かんねえ。自分でチンピラって言ってるってのはどこの馬鹿だよ」
「僕の事だよ、分かってる事を言わなくていいさ。
それに、残念ながらお前達はそのチンピラ以下なんだよね」
せせら笑いを含みながらの敵の言葉。
明らかな挑発を含んだ言葉。その言葉にブレイクエンドはあえて乗る。
「あーそうかい。それより俺の任務はまだ終わってない。リーリンの回収もしないといけないからな」
「おや、そうなのか。でも僕はそろそろ失礼したいところなんだけどね」
「あれだけの挑発を行いながら戦う気はないって、どんな冗談だ?」
相手の言葉自体は判断材料にならない。それだけは良く分かった。
ただ、ウィンドが逃げる時間を稼げた事を確認すると行動を開始する。
ブレイクエンドは吠えるように言葉を吐きだすと、一華を殺すために走り始める。
距離にして8歩の距離。一華の顔もはっきり見える。
その薄いピンク色の唇が動く。
「コ ロ シ テ」
それを知覚した時、一瞬だけ、ほんの一瞬だけブレイクエンドの動きが鈍る。
すでに何人も殺しているはずの心に動揺が走る。
何故、そこまで死を熱望するのか、と。
「うん、君のような男は厄介だ。下手に追い詰めるとかまれかねない。
万が一があると困るから、僕はここで退散するよ」
敵の男の声が聞こえ、その瞬間閃光と爆発が辺りを包みこんだ――
「……うっ!!」
体が激しい痛みを訴えるがそれを無視し、ブレイクエンドは起き上がる。
そこにあったはずの家はなくなっていた。そこに残るのはがれきの山のみ。
ブレイクエンドは爆発の瞬間、自身の能力を発動し、
致命傷になりそうな自身に向かってくる全ての物を打ち消した。
それでも発動範囲が両手であるため、打ち消せない部分が体に当たり、さらに床が抜け落下。
衝撃で気を失ってしまい今に至る。
「完全にがれきとなってるか……あの敵は……きっと標的を連れて逃げ出したな」
ポツリと呟き、体を起こす。
「……任務失敗か。こりゃ“機関”に戻ったら消されるかもな」
呟き、立ち上がる。きしむ体を無理矢理動かす。
そこに、先に脱出したウィンドが彼に気付いたのかすぐに近づいてきた。
「ウィンド……奴は?」
「車でいなくなった。目だし帽を被った男だった。
多分気絶した標的の少女を担ぎあげてトランクに入れた。だから少女も男と一緒」
「……そうか」
それだけを言葉に出しブレイクエンドは歩き出す。
――ロックは目の前で死に、リーリンも恐らく生きてはいないだろう。
半分、仲間を失った……か……
すでに周囲一帯は明るくなっていた。恐らく異変に気付いた機関が“回収”にくるだろう。
それだけを考え、近くの木の根元まで歩くとそこに寄りかかるように座り込む。
ウィンドも同じように座り込み、ただ、機関がやってくるのを待っていた――
その後の事は全て流れるように過ぎていった。
俺とウィンドは消されこそしなかったが、任務失敗の罰として“機関”を追放された。
着の身着のまま追い出され、俺たちは鍛えた体一つで普通の人間達に混ざり、
普通のバイトをしなから何とか生活だけはできるようになっていた。
あの作戦の失敗、その結果がどうなったか、知ることはできなかったし、
知りたいとも思わなかった。
その時の仲間を失った虚無感すらも、時と共に薄らいでいくのが分かるのがただ悲しかった。
――そして、普通の人間としての日常と共に数年が過ぎることになる。
登場キャラクター
最終更新:2011年08月20日 00:43