03.博士の訪問(後編)
職務中の能力鑑定士と話す機会というのは、大変貴重に違いない。
好奇心が疼いてしまうが、比留間博士はそれを抑えつけると、簡潔に述べた。
「もちろん、"異変"について鑑定士の見解を尋ねに。この件に関して、どこまで知っているかな」
「表向き鑑定局が把握している事なら全て」
眉一つ動かさず、柔和な表情で鑑定士は手札を明らかにしていた。完全に訓練で得た類の鉄面皮だ。
それだけでは、この鑑定士――紹介状によれば、
三島代樹はどの程度の人物かは分からない。
「話の前に君の鑑定能力について、少し検証させてもらっても構わないだろうか」
比留間博士はなるべく無礼にならないように、しかし遠慮する気もなく尋ねた。
話は早かった。
三島鑑定士は軽く瞬きすると、ほどよく緊張を保ちながら視線を集中させる。
「比留間博士、あなたは適量未満の鎮静剤を服用していますね? 『昼を夜に変える能力』の行使は可能ですが、
若干発動が不安定になっていると見ました。平時よりも強い集中力が必要となるでしょう。
効用が消えるのは今から、およそ50分後でしょうか」
そして、鮮やかに鑑定士は全てを見透かしていた。
専門家が専門家足るだけの自信を以って、正確に薬剤の影響が切れる時間までも指摘してのける。
やや演技じみていたが、比留間博士はこういった態度を嫌ってはいなかった。
間違いを恐れ、縮まって物を言うより、自信とそれに見合うだけの知識を身に着けた方が良い、とすら思う。
「能力の分析だけでなく、その鎮静状態まで正確に……なるほど、たしかに甲種の鑑定能力だ」
「甲種というのは俗称ですが」
比留間博士の感心に、三島鑑定士は小さく訂正していた。
公然の秘密とはいえ、鑑定能力にも区分があり、一種の上下がある事を鑑定局は公に認めていない。
だが、把握していないという事もないだろう。
十分に優れた鑑定士を紹介してきた、という事は鑑定局からの協力は見せかけではなく、十分に意味を持つものなのだ。
深い事情に踏み込む気もなく、比留間博士はさっそく提案していた。
「まず、"異変"について互いの認識を突き合わせてみよう」
最近、話題になっている"異変"とは夜間、一部の感知系能力者に発生する変調、怪現象のようなもの。
能力が変質したり、存在しないものを認識してしまったり、珍しい事例では昼の能力が顕在化する事がある。
職務などに能力を利用している場合、悪影響は出るが、基本的に日常生活に問題が起こるようなものではない。
発症者がごく一部である事、実害はない事から各組織の警戒レベルは低いものの、関心の対象となっている。
もっとも――鑑定局は部外者の要請に応じる程度には、問題だと見なしているらしいが。
「"異変"の発症者の増加は続いているが一応、増加率は減少傾向にある」
「おっと、そこは認識に齟齬がありますね」
公表されているデータに間違いが? と視線で訴えれば、そこは普段は黙する鑑定士。
あっさりと察して返答を返してきた。
「鑑定局のデータでは、発症件数は太平洋側からじわりと広がっている……
首都圏を始め、そちらの沿岸部には人口が集中する傾向がありますから」
「人口比では増加率は、むしろ増加している?」
「おそらく。仮に、"異変"の範囲が日本に留まらず、中国沿岸部に到達すれば爆発的に発症者が増えると予測されます」
意外な、そして深刻な情報に比留間博士は言葉を止めて、思索に入る。
研究所のデータでは、個々の発症者とグラフ化された件数で物を見ていた。
それを地図と同期させて分析するというのは、各地に施設を置く公機関が得意とする手法なのだろう。
これだけでも情報交換は有意義だった。ただし、これは看過できない疑問を含んでいる。
「なるほど数字にバイアスがあったか。失礼を承知で尋ねさせてもらうけど、
鑑定局は何故これほど重要な情報の秘匿を? これが公開されるだけで、各組織の動きは変わるはずだ」
「所詮は一介の鑑定士です。局の思惑までは断言できませんが……それでも行動基準は知っているつもりです。
能力とは人生を左右するほど、重要な個人情報です。その事実だけでも、秘匿の理由には十分でしょう」
能力情報は徹底して守られるべし、鑑定における原則を三島代樹は繰り返していた。
「それは実名もない、数百数千人の統計情報でも例外ではないと?」
「当然でしょう。感知系能力者が魔女狩りに遭うような可能性は、鑑定局としては許容できない事ですから」
そこまで断言されると、比留間博士はこれ以上、指摘を続ける気にはなれなかった。
機関や
バフ課、それに鑑定局自体も、あくまで社会秩序を守るための組織であり、能力を持つ個人個人を守るという理念とは
一致する場合が多くとも、それは絶対ではない。
最悪、そういった組織が危険な能力を持つというだけで人々を狩って回る、という事態もあり得る。
歴史を顧みれば、人や社会が持つ理性は案外、脆いものなのだ。
だからこそ、三島鑑定士や鑑定局も理性を支える建前を重視している。
――それに僕だって、倫理の欠けた人でなしに過ぎないのだから。
いや、なるべく被験者、協力者との利害の一致というのは、考えているのだけど。
「分かった。でも、さすがに国際学会には報告させてもらう事になるよ」
「その点は問題ありません。必要でしたら、公的なルートで情報提供も行われるでしょう。
ただし、それが世間に公表された場合、それ以後の協力はないという事になるかと」
三島鑑定士は脅しじみた形で警告する。当然のことだ。利益を供給するという事は、影響力を持つという事でもある。
対して、比留間博士はあっさりと棚上げしてしまった。
「それは僕の考える事ではない。学会の運営者に任せる事にするさ。
あくまで関心があるのは"異変"本体だからね。そういう意味では、話が逸れた事だし元の位置に戻ろう。
太平洋側から浸透しているという事は、"異変"には中心点が存在すると仮定すべきかな」
「……おそらく、としか言えませんね。米国側にも鑑定局があれば、正確な所が掴めるのですが」
「あちらは能力把握を自己申請に頼っている。"異変"のデータは表に出辛いか……」
能力という、個人が抱える爆弾をどう扱うか。それには各国の特色が出ている。
たとえば米国は州ごとでの方針違いが激しいものの、銃社会という事もあって自由と自己責任を表に出した方針だ。
特に後者は、弱者に残酷なまでに圧し掛かってくる事がある。
ふと比留間博士の脳裏に過ったのは以前、機内ですれ違った、ごく当たりの前の親子の姿だったが。
「ご存知だと思いますが、台湾も太平洋に隣接し、鑑定制度が発達する国だと聞いています」
「ああ、学会で耳に挟んだことがある。その時は戸籍制度と鑑定制度の相関性についての話だったけど……
ただ台湾は国連加盟国じゃない。国際学会が協力を求めても、良い対応はしてくれないだろうね」
鑑定局の方針以前に当たり前の話だ。世話になってもいない、国外の組織に国の情報を渡せと言われても、
聞いてくれるはずがない。相応の交渉と対価が必要になるだろう。
となると、
比留間慎也という個人に出来る事は何もない。今は別のルートから真相を探るだけだ。
「能力波の観測、というアプローチはどうだろう。僕の研究所の設備でも観測できない微小の、というレベルになるが」
「そういった能力波は生じていません。これは現代の科学では観測できない、といったものより
遥かに厳密な話ですが」
比留間博士は興味深げに、視線を鋭いものとした。
鑑定局、あるいは三島個人は最新の科学よりも優れた観測器具を有しているらしい。
それが能力か鑑定技能の一種かは測りかねたが。
手段がどうあれ、能力波が生じず、しかし能力に影響が出ている事が把握できれば、結論に時間は要らなかった。
「一種のリンク能力……か」
極めて稀ではあるが、能力同士を接続し機能する――そういった種類の能力が実在する。
正式な名称は定まっていないが、裏社会を始め、各方面ではリンクという通称を使う向きがあった。
これを比留間博士は知っていたし、能力把握の最前線である鑑定士も知っている。
具体的な事例としては、比留間博士が知る一人の女性は他者の能力を利用できる、というタイプの能力だった。
協力を依頼できる相手ではなかったので、検証には他のリンク能力者を探すことになったのだが。
結果、分かった事は能力波による通信などは行われておらず、繋がりは観測はできないという事だ。
(いや、鞍屋君なら別の答えを出せるかな。仮に量子通信の一種なら、彼女の専門分野だ)
たまに研究所を訪ねてくる女性を想起する。
近いうちに再会はできる。その時にでも相談すれば、知恵を借りられるかも知れない。
もっとも、形而上の要素が関わるなら検証は難航する事になりそうだが。
「能力波の観測もされず、他の能力に影響を与える、となるとそれが最有力ですね。
ただ既存のリンク能力であれば、優れた鑑定士なら察する事はできるでしょうが……」
そのリンクにすら鑑定士の能力は及ぶ。その事実により謎は増した。しかし、それすらも貴重な情報だった。
特殊な事例は、逆に候補を絞る手段にもなる。
例えば、個と個の線で結ばれたリンクではなく、蜘蛛の巣状に広がる群のリンク。
例えば、未来に接触する相手が対象など、条件に予知能力を含んだリンク。
リンク能力自体が希少であり、この場で仮定した能力も当然、実際に観測できた訳ではない。
だが、仮にこういったリンク能力が存在すれば、あまりも複雑で、正常に因果性を把握する事は困難。
これなら、さすがに鑑定士の手にも余るのではないか。この場で言及するには、まだ早いが。
「何か掴めたようですね」
「おかげ様で。ただ確信が持てない事なので、申し訳ないが今ここで話すことはできない」
「いえ、秘密主義はお互い様ですからね」
三島鑑定士は苦笑気味に応じた。たしかに、比留間博士としても責められるような謂れはない。
そもそも鑑定局は"異変"の解析、解明といった成果で返してくれれば、それで構わないのだろう。
こうして、大人二人の交渉事は区切りを迎えていた。
だが、今回の鑑定には、もう一人主役が存在している。
真白、"異変"の発症者である鑑定対象の少女だ。
「では、待たせる事になりましたが、真白さんの鑑定に移りましょうか。
ずいぶんと憔悴されているので、"異変"の症状については深刻なものと察せられますが」
今更、守護の仮面に代弁する方式に戻す気もなく、三島代樹は直接訪ねていた。
あまり主張が得意でない真白に代わって、比留間博士が事情を説明する。
「普段は鎮静薬を服用してもらっているんだけど、鑑定に備えて止めたのが悪かった……
彼女の夜間能力は『過去視』。"異変"によってチェンジリング・デイ当日の光景を見せられている」
あるいは、以前に行った過去視が関係するかも知れない、とその時は思っていた。
その時の真白は精神的な負担を感じていたし、二度も同じ光景を見る事になってしまった。
それが"異変"の影響を受けた結果、現れてしまったのではないかと。
まるで想定していない方向性で、真白の症状が重要なヒントとなっている事を、まだ誰もが知らない。
登場キャラクター
最終更新:2019年02月02日 20:28