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星界の交錯点 > 9




 平和な日々はきっと続くだろう。でも、続いた先の「いつか」は必ず訪れる。

――まるで移り変わる、太陽と月のように



09.別れを

 夜見坂高校、その付属施設から水野晶岬陽太が帰路に付いた頃には、すでに日が傾始めていた。
 夕暮れというには、少し早い。
 でも今日という日が終わりつつある事を、十分に実感できる太陽の位置だ。

 見慣れた路地を二人でのんびりと歩く。
 ちょっとだけ、今日は大人の考えに触れられた、というのが水野晶の感想だった。

 チェンジリング・デイ当日は、まだ物心つかない程に幼い頃で、それでも大変だったと両親からは、
何度も聞かされた記憶がある。
 そういった過去があって、そこで見た事、感じた事から未来が創られていくのだ。

「なんというか、大人の人達は色々と考えてるんだねー。陽太?」
「ま、有意義だったな。報道なんかより、当事者の話の方が信用できる」

 などと相変わらずの厨二発言をしつつ、陽太は早歩きで前を進んでいく。
 その背中はいつもと変わらない。なんとも微笑ましく、同時にどこか頼もしい。

 そして、仁王立ちといっても良いほど、自信ありげな態度で誰も居ない場所に向かって宣言していた。

「それよりも――出てこいよ。言っておくが、潜んでいるのがバレバレだぜ?」

 沈黙。
 まーた、いつもの奇行だ、水野晶はぼんやりと陽太の背中を眺めていた。
 三日に一度ぐらいは似たような事をやって、反応がないと顔を真っ赤にするのだ。やめればいいのに。

 と、晶が思い掛けたところで反応があった。

「――驚いた」

 たまには陽太の勘も当たってしまうのだ。晶とっては困った事に。
 すっと、まるで浮き出るかのように、陽太や晶と同じ年頃の少年が姿を現していた。
 いや、断っていた気配を露わにした事で、姿を認識できるようになった、というべきか。

 不思議な容姿の少年だった。顔立ちは日本人なのに、白髪で肌も不健康なほどに白みを帯びている。
 なにより妙な雰囲気を形作っているのは、瞳の色だった。
 右目はよく見かける茶色だが、左目は血に浸されたかのような赤い瞳だ。

 一目で分かるほどに鮮烈なオッドアイ。
 まるで、陽太が夢想するような――闘争の世界からやってきたとも思える、異様な人物だった。
 明確な悪意は見られないが、それでもどこか平穏の終わりを告げる気配を湛えている。

 白髪の少年は人懐っこく目を丸くすると、陽太に好奇の視線を送っていた。

「キミ、ただの中学生でしょ? 経歴は洗わせてもらったけど、少々顔が広いというだけでね。
 それがなぜ、僕の存在に感づけたのか」
「はっ! まず、人払いが露骨なんだよ。この辺りじゃ、帰宅と犬の散歩のラッシュの時間帯だ。
 しばらく歩いても誰一人と遭遇しないなんて、不自然すぎるだろ!」

 鼻で笑いながらも、陽太は手厳しく指摘していた。
 そういえば、と晶も思う。動物の声が聞こえる自分にとっては本来、賑やかな時間帯だった。
 カラスが飛び交い、たまに犬が通り過ぎる、そんな当たり前が存在しなかったのだ。

「それともう一つ。ただの中学生だと思っていたのなら、相手を見誤ったな!
 俺は岬月下、神に叛く能力者だぜ」

 威勢よく片手を突き出して、能力発動のポーズ(?)を取りつつも陽太は宣言する。
 ただ、相手からの反応は薄かった。

「あっそう。でもキミには、それほど興味がないんだよ。ご同行願いたいのは、そちらのお姫様でね」

 軽く流すと陽太から視線を外し、白髪の少年は晶の方へと目を向けていた。
 陽太は軽く肩を落として、またそっちか……などと呟く。晶も好きで狙われている訳ではないのだが。

 穏やかだが、どこか測り知れない目付きに気圧されながらも、晶は一歩踏み出して質問を発していた。

「あなたは……比留間博士の仲間ですか?」
「いや? 確かに、彼もただならぬ関心を抱いているみたいだけど、それとは別口だよ。
 僕たちは"彼女の呼び声"に従って、キミを招いているに過ぎない」

 白髪の少年は丁寧に答えたが、その意味はまったく分からなかった。
 妄言とも断定できず、ぽつりと疑問だけが晶の口から滑り落ちる。

「……彼女?」
「悪いがこっちは、電波を受信できるような脳の造りはしてないんでな。
 付き合いきれないし、さっさと突破させてもらうぜ」

 陽太が横から強引に話を打ち切ると、ずかずかと大胆に間合いを詰めていく。

 定期的に受信してるんじゃないかな、と晶は薄っすら思ったものの、口に出している余裕はない。
 慌てて陽太に駆け寄って、問い質そうとする。

「ちょ、陽太!?」
(たぶん、あいつはおとりと時間稼ぎだ。あっさり出てきたって事は、こっちの眼を引き付けてる。
 その間にでも包囲されたらピンチだろ?)

 陽太が小声で指摘した内容に、晶はぞくりとした。
 たしかに相手は周到に人払いをするような、後ろ暗い事情をもつ人物なのだ。その程度の事はしてくるかも知れない。
 同時に、そこまで頭を巡らせた陽太に思わず関心してしまう。

 この状況下で引き返せば、待ち伏せと遭遇する可能性が高い。
 あからさまに怪しい相手を正面突破するのが、もっとも相手の計算を狂わせる行動になるだろう。

 次の瞬間には決断して、陽太は路地を蹴って駆けだしていた。

「へえ、こっちに向かって来るんだ? 悪い判断ではないけど……」
「ジョー……ブレイカーッ!」

 素人と侮っているのか、白髪の少年は悠然と構えている。

 そこへ陽太が肉薄しつつも、固焼きせんべいを複数生成して、素早く投げつけていた。
 『軽食やジャンクフードを生成する』昼間能力だ。堅いものを投げつけるのは、意外に有効な攻撃になる。

 直後、風切り音。何かが鋭く空中を薙ぎ払い、固焼きは全て打ち落とされていた。
 むなしく固焼きが地面を叩き、軽い音を鳴らす。

「なぁっ!?」
「えっと…………ごぼう?」

 陽太がシリアスに驚愕する一方で、晶は別の意味で理解が追い付かなかった。

 白髪の少年がごぼうを握っている。何かの例えでもなく、細長い土色の根野菜を武器として利用していた。
 まったく状況に見合わない、悪ふざけのような光景。そんな事をするのは、陽太ぐらいだと思っていたのに。

「いや、驚くのはそこじゃねえだろ」

 晶以上に動揺しつつも、陽太は冷静に目前の事実を見抜いていた。

「あの能力は――俺の叛神罰当(ゴッド・リベリオン)だ」
「え、それって……」

 叛神罰当という御大層な名前を付けられたのは、陽太の夜間能力『食べた事がある食材の創造』だ。
 陽太いわく昼よりも強力な力らしいが、晶は食べ物で遊んじゃダメでしょ、という注意が先立つ。
 とにかく、今回の敵は同じ力を使ってきた、という事だ。

 白髪の少年にも若干、晶の困惑が伝播したのか微妙な表情で、自分の握るごぼうに目を向けていた。

「……え、そういう能力名なの? いやまあ、いいんだけど。
 僕には自身と呼べるものがなくてね。能力だって他人の借り物だ。
 だから、『クリフォト』ではお前は**(伏せ字)だと――アスタリスクと呼ばれてる」

 実名でないにせよ、ここで初めて白髪の少年、アスタリスクは名乗っていた。
 気まぐれか、何か意図でもあるのか、さらりと『クリフォト』という所属も明らかにする。

――万物創造vs叛神罰当

 想像だにしなかった対決に、晶はなんというか反応に困るしかなかったのだが。
 陽太の方は怯むことなく、戦意を滾らせていた。

「昼間は『相手の夜の能力をコピーする』能力って所か。だがな、真の使い手にとって、コピー対策なんて簡単だ。
 すなわち――速攻ォッッ!」

 叫びつつも、陽太は一瞬の躊躇もせず、アスタリスクに飛び掛かっていた。
 初めて使う能力など、ろくに使いこなせるものではない。慣れる前に叩き潰してしまうのが得策だ。

 誰もが思いつく上策であり、アスタリスクもそれを知悉している。迎撃の構えで待ち構え……
 そして、だからこそ、陽太はその戦術の先を行っていた。

 あと一歩で近接戦の間合い、という所で強引に足を止め、瞬時に生成能力。
 「白い何か」を創造して、そのまま前身の勢いを利用して投げつける。

「……!?」
「刈り取れ、白き死神……ホワイトサイズッ!」

 殴りかかると見せかけて投擲。単純なフェイントだが速攻が有効な状況で、あえて足を止める事は思い切りが要る。
 この戦法は完全にアスタリスクの意表を突いており――しかし、その程度では優位は得られない。

 驚きつつも、訓練を受けた身体は無意識に動き、正確に白い投擲物を受け止める。
 べちりと妙な感触がした。

「っ! これは餅か」

 ごぼうに絡みつく、白い粘着物にアスタリスクは気を取られる。
 この辺り、陽太の狡猾な立ち回りが功を成していた。

 速攻すると見せかけて投擲、とさらに見せかけて武器封じ。最初から、これが狙いだったのだ。
 餅が張り付いた、ごぼうは重心が変わり、同じようには扱えない。

 生じたわずかな隙に抉り込むかのように、陽太は叫んで今度こそ本当に飛び掛かっていた。

「魔杖――クラストォォォッ!」

 大上段から両手持ちで振り下ろされるのは、フランスパン(クルミ入り)。
 放置されれば相当に堅くなり、クルミをたっぷり含んでいれば、重量もそれなりの殴打武器。

 真正面から頭部を叩き割ろうとし、アスタリスクの獲物である、ごぼうも餅が絡み、防御が遅れていた。

「二度も驚かされるとはね……けど、甘い!」

 ごぼうを放り投げて、白刃が抜き放たれていた。
 居合のような抜き打ちで、ナイフをフランスパンに突き刺し、その動きを止める。

 能力があるからといって、何もそれを武器にする必要はないのだ。
 ましてやコピーという不安定な戦力、当然のようにアスタリスクは他の武器を用意していた。

「応用性がある能力みたいだけど……主兵装(メインウェポン)としては、あまりに不合理だ!」

 コンバットナイフが滑り、まるで食卓の一場面のようにフランスパンが切断される。
 しかし、それに遅れる事なく、陽太も武器であるフランスパンを手放していた。

「……っ!?」
「レイディッシュ・アウルム!」

 陽太は大サイズの沢庵漬けを新たに創造し、即座に水平に薙ぎ払う。
 過去の戦闘経験から使い方は改良済みだ。

 レイディッシュ(大根)のような扱い方はしない。柔らかさを利用して、鞭のようにしならせ顎を狙う。
 あわよくば脳震盪狙い、だがアスタリスクは寸前に見切り、一歩引いて回避していた。

「っと……」
「晶、今だ! 一気にここを離れるぞ!」

 この瞬間にも、陽太は戦闘の目的を見失ってはいなかった。
 相手は晶を狙っている以上、逃げてしまえば、この場は勝ちなのだ。

 一瞬とはいえ、アスタリスクに押し勝ち、流れを掴んだ今は好機といえた。

「う、うん」

 展開に頭が付いていかなかったが、それでも状況を理解して晶は二人の傍らを通り過ぎて、逃げようとする。
 だが、アスタリスクもそれを黙って見過ごさなかった。

「そっちは逃がさな……」
「おっと! よそ見している余裕はないぜ?」

 不敵に笑いながらも、陽太は沢庵漬けで牽制しつつ、特大の瓦せんべいを生成。
 下手すれば凶器として成立しそうな、それを投げ付ける。
 当然、回避されてしまうのだが、時間稼ぎとしては十分な攻防だった。

(凄い、本物の凶器を持った相手を押してる……!)

 水野晶は素直に、陽太の戦いぶりに感心が沸き上がっていた。
 猛犬や便利屋の男と戦った時も凄くはあったが、今回はさらに磨きが掛かっている。

 今までのように、幸運や相手の油断で成立したものではなく、陽太が主体的に流れを作っているのだ。
 誰かを救えなかった経験を経て、時雨の元で修業し、積み上げてきたそれらは何一つ無駄になっていなかった。

「たしかにやるね。大口を叩くだけの事はある」

 スライスされた高温の焼き芋で構成された散弾を、アスタリスクは刃物一つで巧みに捌いていく。
 多彩な軽食攻撃に対処を強いられているが、決定打はなし。こちらも只者ではなかった。

 赤と茶のオッドアイを鋭く細め、隙を伺うように旋回しながらも宣言する。

「でも――キミから怖さは感じない。消耗がある割に決定打に欠けているし……
 なにより、いくら機転が利くといっても、所詮は素人の範疇でしかない」
「へっ! 負け惜しみかよ!」

 静かに威を発するアスタリスクに、陽太は呑まれまいと軽口で返していた。
 仕上げと言わんばかりに、腐った温泉卵を素早いモーションで投げ放つ。

 避けられたが問題ない。晶を逃がすだけの時間は稼げた。
 あとは上手く立ち回って、自分が離脱するだけ。そのまま大通りにでも出れば、相手も退くだろう。

「致命的な見落としがある。たとえば今……僕が君からではなく、水野晶から能力を借りているとすれば?」

 別段、脅しめいてもいない指摘に陽太は息を呑んでいた。どこかで歯車が狂っていたのだ。
 最初は叛神罰当、食材の生成能力との闘いだと想定し、勢いで能力を使う余裕を与えずに事を運んでいたと、
そう思い込んでいた。

 しかし、コピー対象が陽太から、晶に切り替わっていたとすれば、状況は全て覆る。
 最初に指摘したにも関わらず、まんまと自分は時間稼ぎに乗せられていたのだ。

 晶の夜間能力は「動物伝心」。動物に一種のテレパシーで、意思を伝える能力だ。
 たとえば、忠実な猟犬などを待機させておけばいい。
 もし事前に晶の夜間能力を調べており、コピーする事を想定するなら、その程度の準備はしてもおかしくない。

「……嘘!? なにこれ」

 やはりと言うべきか、悲鳴じみた声に続き、困惑の呟き。
 クソ、と陽太は自分の迂闊さを罵り、慌ててアスタリスクを警戒しつつも、横目で晶の様子を確認する。

 その目に飛び込んだ光景は完全に、陽太の想定を超えていた。
 晶を捉えていたのは、猟犬などという生易しい存在では無かったのだ。

 まるでホラー映画の怪物にも似た……
 異様に頭部と胴体が膨れ上がり、おまけのように手足の付いた二足歩行の化け物。
 黒い毛むくじゃらで、その細部は知れないが、長く裂けた口には肉食獣のような鋭い歯が並んでいた。

 それが二体も現れ、水野晶を拘束していた。いつでも喰い殺せる体勢、とも言えるかもしれない。
 現実離れした怪物の登場に、思わず動きを止めた。

「クリッター。チェンジリング・デイ以降、人類種と袂を分かった超越種……
 このレベルで彼らとの意思疎通を可能とするなんて、キミの伝心の能力は凄いね。
 比留間博士が執着するだけの事はある」

 困惑と恐怖を隠せない陽太と晶に、アスタリスクはマイペースに解説するのだが……
 人類と袂を分かった? 超越種? そんな言葉を飲み込めるはずもない。

 晶は青ざめた顔で取り押さえられていたが、その要因は恐怖だけではなかった。

「陽太ぁ……こいつら、人間でも動物でもないかも」
「じゃあ本当に化け物になっちまった、元人間って事か……?」

 どこまでアスタリスクの言葉を信用していいかも分からない。だが、愕然としたのも事実だった。
 晶の能力は人間を除いた動物だけに通じる、というもの。それが異常な結果を示しているらしい。
 そこには、目を背けたくなるほどの現実感が存在していた。

――ひょっとすれば、この世界線の救世主はキミだったのかも知れないね。

「えっ……」

 肉声ではない。本来は聞こえるはずもない、アスタリスクの内心。
 もしかすれば以心と伝心の能力が奇跡的に噛み合ったのかも知れない。その意味までは分からなかったが。

 陽太は状況に激高していたし、冷静にそれを利用して自分を奮い立たせてもいた。

「てめぇ……あんな化け物まで手下にしてやがるのか」
「手下というと語弊があるけどね。彼らはあくまで協力者だ。それを忘れたら、がぶりと殺られてしまう」

 それを面白がるように、アスタリスクは語っていた。
 双方の態度に、両者の差が如実に表れている。有利と不利、余裕と切迫、強者と弱者……

 さらに悪い事に、路地には新たな影が差していた。
 人払いが済んでおり、常人が立ち入る余地がないのなら、それはさらに敵が増えたという事だ。

「……ずいぶんと遅れていると思ったら、無駄にじゃれ合っていたのか」

 浅黒い肌、顔立ちには中東系の特徴が見られる年配の男。
 一目で分かるほどに、質の良い生地で織られた礼服に身を包んでいる。だが、アスタリスクのような任務を帯びて
行動しているなら、場違いも良い所だ。
 神経質なまでに身なりに拘る人物か、そうでなければ病的なナルシストだろう。

 陽太、晶、それにアスタリスクの三名を、全てを見下すような高慢な視線でそっと撫でた。
 羽虫を見るような無関心、それに時間を割かなければならない億劫さ、そんなものが滲み出ている。
 自分自身を完璧に整えるだけあって、その印象は際立っているように見えた。

「やあ、バウエル。確実な手を選んだまでだよ。フォースリーと同じ轍を踏むのはちょっとね」
「表の人間の前で、軽々しく名を出すな」

 仲間の名前を出して、友好的に語り掛けるアスタリスクに、ただ一言、バウエルは釘を刺していた。

「チッ、増援まで来やがった……」

 アスタリスク、バウエル、そしてクリッター二体。状況の悪さに陽太は舌打ちする。
 ただ単に、全員の目を掻い潜って晶を逃がすのは不可能。別の手を探さなければならない。

 この後に及んで諦めず、打開策を模索している陽太に、アスタリスクは軽く眉を挙げていた。
 バウエルはそれを放置して、陽太に向かって進み出ると、見下ろしつつも尋ねかける。

「少年、3という数字をどう思う?」
「さ、さん?」

 あまりにも唐突で、無害にも思える質問に陽太は困惑して聞き返していた。
 もちろん、能力の発動条件か何かという事もあり得るが、あまりにも情報が無さすぎる。

 アスタリスクは苦笑して、流れを遮るように間に入っていた。

「やめなよ、バウエル。僕がきっちりと片を付ける、それでいいじゃないか。
 貴方は確保対象の保護を頼むよ。クリッターに任せるのは、微妙に不安だし」

 バウエルからも異論はなかった。早々に片が付くなら、それで構わないのだろう。

 そして、状況は変わらない。
 陽太の目前には、平穏の終わりを告げた白髪の少年がただ一人、立ち塞がっていた。

「クッソ、そこをどきやがれ!」
「救いたければ、押し通れ――その覚悟がなければ、この世界では永遠に奪われる側だ」

 言い放つとアスタリスクは、腕で進路を遮るようにナイフを構え、穏やかな態度をかなぐり捨てていた。
 陽太たちと同年代とは思えない程に、殺気が膨れ上がる。

 その威圧は、陽太を動揺させるには十分なものだった。

「……っ! うおおおおおっ!」

 呑まれて、一瞬だけ足を止める。だが、強引に振り切るように、陽太は吼えて自身を鼓舞した。

 すでに状況は最悪。このまま行かせれば、晶だってどうなるかは分からない。
 自分の力も足りないだろう。だがそれでも時間さえ稼げば、助けが入るなど一縷の望みは繋がるかも知れない。

 覚悟を決めて、陽太はアスタリスクに向かって駆け出していた。
 間合いに入り能力発動、と集中した瞬間。

(!? 消え、た……?)

 一瞬で、アスタリスクの姿は消えていた。いや、高速で横に飛んだため、目で追いそこなったのだ。
 本能に近い何かで、かろうじて視線を動かして、その姿を追う。

 陽太が敵を視野に収めた時には、すでにアスタリスクは戦闘用ナイフを振り下ろしていた。
 連続で白刃が閃き、傾いた日の光を反射する。

 一撃目、肩口を狙いナイフが襲い掛かる――振り向くと同時、咄嗟に身を引いて、衣服だけが切り裂かれた。
 二撃目、器用な軌道で、脇腹のあたりを抉る――姿勢が崩れるのも厭わず、逃げるように飛び退いた。

 三撃目、踏み込みからの諸手突き――これは今の姿勢では躱(かわ)せない。
 決まったとアスタリスクが確信した直後に、陽太の能力が遅延発動していた。

 能力発動から若干、遅れて事象が発生するという、陽太が度重なる努力で獲得した曲芸のようなものだ。
 完全に予想外のタイミングで創造された茹で蟹は、甲羅でナイフの軌道を逸らし、陽太を救っていた。

 直後、アスタリスクの片足が跳ね上がる。ナイフによる白兵戦から、蹴りによる追撃。
 修行相手の時雨も、たまに似たような手口は使う。
 その経験もあって、陽太は強引に姿勢を変えて、その威力を流していた。

 アスタリスクの攻勢が一瞬だけ止まり、陽太も痛みに耐えつつ、体勢を整える。

(凌いだ……凌いだが、こいつは……)

 十分な戦闘センスがあるだけに、陽太には分かってしまった。
 技術、戦闘経験、迷いない意思決定、多くの面でアスタリスクが圧倒していた。
 なにせ、こちらが一つ対処する間に、三度か四度の攻め手を打ってくるのだ。

「良い動きだけど、相手が悪かったね」

 陽太が呼吸を整える前に、さらにアスタリスクが今度は正面から襲い掛かっていた。

 とにかく相手は速い……攻撃の軌道を察知して、フランスパンを生成しガードする。
 しかし、アスタリスクは攻め込むと見せかけて、強引に足を止めていた。

 戦闘の序盤、餅を投げた流れをやり返された形。それを陽太が咄嗟に悟ったのは、やはり頭の回転が優れているからだが、
それは一足飛びに自分の敗北を思い知る結果となっていた。
 アスタリスクが陽太の夜間野力をコピーし、生成物を投げ付ける。それは餅ではなく、粉末――

「コショウだとっ!?」
「補助兵装(サブウェポン)としては有用だよね」

 刺激物を無防備に目に浴びて、呼吸器に吸い込んだ形だ。
 意志で耐える事など不可能、どれだけ隙を晒そうと、涙を流して咳き込むしかない。

 そして、隙はそのまま勝敗へと直結していた。アスタリスクが見逃すはずもなく、素早く肉薄すると
無呼吸運動で踏み込み、そのままナイフの柄で陽太のみぞおちに打ち込む。
 低い音を立てて、補強されたローズウッド製の柄が陽太の胴部に食い込んだ。

「く……は……」

 内臓が裏返るような衝撃。
 意識を欠きつつも、胃液を吐いた感覚だけが明確に残った。

 肋骨が折られなかったのは、激痛で意識を奪うという技術が余計な機能を持たなかった故だろう。
 呼吸すらままならない状態で、陽太は膝を折り、そのまま崩れ落ちていた。

 自分で撒いたコショウの影響を防ぎきれなかったのか。
 アスタリスクは小さく咳き込んで、陽太を見下ろしていた。

「けほっ……そこで、しばらく眠っているといいよ。さよならだ、えっと、岬月下だったかな?」

 陽太が敗北する光景を、クリッターとバウエルに抑えられつつも、水野晶は目撃していた。

(殺されたりは、しないんだ)

 その点については心底、安堵していた。。
 でも。同時にそれは、日常が完全に崩れ落ちたという象徴的な瞬間だった。

 思えば、いつだって起こり得た事なのだ。
 猛犬に追われた時から、比留間博士と対峙した時から、あるいは能力に目覚めたその瞬間からずっと――

 今までは奇跡のように欠けた歯車が噛み合って、日常が回っていた。
 そして、ついに終わりが訪れたのだ。
 自分は往くべき所に往き、決して戻る事はない。そうなれば、親しい誰かを巻き込むこともなくなる。

 なにより、"呼び声"が聞こえているのだ。これが在るべき行く末だと。定まった未来は振り払えない。
 諦観が、あるいはそれ以上の運命じみた何かが晶の心を占めようとした瞬間、

――声が、聞こえた

「晶ぁぁぁぁ! 待ってろよ! 必ず――」

 酷く辛いだろうに、普通は声なんて出せないだろうに、陽太が叫んでいた。

 いつも騒がしくて、ちょっと頼りがなくて、厨二病がどうなっていくか心配で。
 格好良くなんてないけど、それでも。

(陽太……!)

 誰に冗談と思われても大真面目で、一生懸命な陽太の声が聞こえた。
 運命のように圧し掛かる"呼び声"なんかよりも、ずっと鮮烈に響いていた。

 今度こそ完全に意識が混濁したか、陽太は顔をうつ伏せた。本当に気力だけで叫んだらしい。
 その様にアスタリスクは呆気に取られていたが。

「悪いけど、それは叶わない願いだ。彼女は忘れ去られてしまうからね。
 友人だって仲間だって、学校や警察に国家、そして自分自身でさえ、その願いには味方しない」

 淡々と事実を告げる。陽太の現状では、聞こえているかどうかは半々だろう。
 踵を返して、クリッターやバウエルと共に立ち去ろうとする。

 だが、最後にふと思いついたように、足を止めて付け加えていた。

「それこそ、神様に叛いて奇跡でも起こさない限りはね」

 意図までは知れないが、それは最初の陽太の台詞を引用したものだった。
 次こそ本当に足を止める事なく立ち去っていく。そして、指を鳴らして何事かを呟いた。

 その瞬間――合図によって文字通り、世界が変わっていた。
 十万に一人といわれる、世界規模の強大な能力が発動したのだ。

 第一に『機関』が察知し、国連やドグマ、各地の研究所がその影響を観測する。
 そして、一つの例外もなく、各組織は『何事もなかった』と全てを忘却し、その痕跡すらも失われた。

 能力発動の事実は消され、そしてもう一つ。
 日本で水野晶という少女が生活していた、という確かな事実もまた、一握りの例外を除いて消されていた。



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最終更新:2019年02月24日 01:04
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