10.終わりの始まり
あの出来事で昏倒させられた陽太は、その後の事をろくに覚えてはいなかった。
倒れている所を警察に保護されて、いくつかの質問もされて答えた気もするが、質問も返答の内容も頭から抜け落ちていた。
どこか汚れた姿で警察から解放された陽太が、まず初めにやった事が、晶の安否確認だった。
運良く他の誰かに助けられたか、あれ自体が悪い夢か何かだったか、なんでもいい。無事という可能性もある。
隣の家だ、大して手間はかからない。戻っているかと、インターホンを鳴らすだけだ。
聞きなれた音が機械から奏でられ、そして虚しく響いただけに終わった。
最近は陽太の両親と同じく、晶の両親も長めの旅行に出ている。家には誰も居ない。
やや躊躇ってから、二度目、三度目と鳴らすが、やはりその音は誰にも届かなかった。
諦めると肩を落として、隣の自宅へと帰宅する。
向き合わずに済むという意味では幸運な事に、鎌田も留守だった。こちらは明日には帰ってくる。
夕飯の話は、晶としていたのだが、こんな事があっては予定どころではない。
能力の反動もあって空腹だったが、それに反して食欲は沸かなかった。吐き気のような感覚だけな残っている。
だが、明日は動くことになる。それなら食べておいた方がいい。
棚の奥から、カップラーメンを引っ張り出して、お湯を沸かし始める。
思えば、一人の夕食はかなり久しぶりだった。自分の大事な何かが抜け落ちた気さえする。
湯が沸くまで待っていると、ジリリリと電話が鳴り始めた。
晶かも知れない、と慌てて受話器を手に取れば、そこから聞こえた声は最寄りの交番の名前を告げていた。
保護してくれた警察だ。そういえば、電話番号も教えた気がする。
「本当に間違いはありませんか? 同じ中学の、ええ、三年生だそうですが、そういう名前の子は……」
警察いわく、学校側や近隣の人々に確認を取った所、そんな少女は実在していない、との事だった。
それこそ、あり得ない。
学校には籍があるに決まっているし、近所付き合いもそこそこだ。
陽太が目立つだけあって、それなりに晶も認知されている。
警察の間違いで無ければ、『クリフォト』を自称する組織が何か手を回したのだろう。
そういえば、クリフォトという名前自体は、雑誌や書籍で見た事がある。裏社会で蠢く、謎の組織の一つ。
逆にうさん臭く、普段の厨二病に反して、陽太は実在を疑っていたのだが。
会話もそこそこに、警察との会話を打ち切って、受話器を置く。
その後は、どうにかお湯が沸いた事だけ確認して、やかんを取るとカップ麺に注いだ。
現状の事も、自分の精神状態についても、なにかもが整理できていない。
ただ、永い別れになるかも知れない、と。今更のように実感していた。
――――
あの遭遇の後、連れ去られた水野晶は意識を奪われ、次に目が覚めた時には見知らぬ場所だった。
近未来的な設備の整った屋内だった。
研究所というよりは開けた空間で、旅行に行った時の展望台に近いものがある。
晶には、そこが何処だか分らなかったが……
チェンジリング・デイ以降、その隕石被害および能力の発生について探っている学問は幾つかある。
第一に物理学全般がそうであるし、人間が獲得した能力であるから、比留間博士で有名な生物学も
その一つではあるだろう。
それらは無数の未解決問題を抱えており、その中には究極の問いと呼ばれるものも存在している。
――我々はどこから来たのか。我々は何者か。我々はどこへ行くのか。
ゴーギャンの作品ではないが、能力研究にも似たような疑問は存在している。
すなわち、チェンジリング・デイの隕石群はどこから来たのか?
なぜ我々、人類にだけ能力が発生したのか。能力を得た我々はどこへ向かっているのか?
その謎の根幹は隕石が来た場所、つまり宇宙にあるという見解を元に、研究を重ねている学問が存在する。
すなわち、『天文学』だ。
人工島アトロポリスの中枢に存在する施設は、島の名を取ってアトロポリス中央塔と呼称されているが、
その最上階には天文台が設置されている。
そこは国連、および国際学会の内部機関の最重要機密とされており、両組織の幹部ですら内実を知らない。
水野晶はその最重要施設に軟禁されていた。
閉じ込められている以外は、拘束らしき拘束はない。手錠や足枷もなく、施設内はろくに施錠もされていなかった。
ふと思い立ち、歩き回る。
もちろん脅える気持ちも大きかったが、それ以上に塞ぎ込んでいると鬱屈しそうだったのだ。
中央塔の最上階なだけあって、とても見晴らしが良い。一部、ガラス張りになっている個所からは、
人工島の全域が見渡せた。一方通行のマジックミラーではあるのだが、内部からは開けた空間に思えた。
「え……」
何気なく外の風景を覗いて、晶は即座に違和感を覚えていた。
空は青ではなく、どんよりと濁った色で太陽も見当たらない。かといって、曇ってもいないのだ。
不思議な事に、まだ明るいにも関わらず星空が透けて見える。
外の風景から、ここがアトロポリス人工島である事は晶も察する事は出来たが、それも不自然だ。
現状、建造中で今も工事が続いているはずだが、それが見当たらない。
島全土が完成されていて、近未来的な雰囲気もあるのだが、それらが全て荒れ果てていた。
建物は残骸と化し、高層道路は崩れ落ち、不自然なクレーターが点々と見える。
自分が知る写真やテレビの映像とはあまりにも、かけ離れていた。
まるで遥か未来、太陽も月も亡くした、終わりの空の下――
どうしようもない嫌な予感に、動悸を抑えて風景から目を逸らす。
晶は眩暈がしたので、施設の中枢付近にある、奇妙な装置の傍で少し身を休めていた。
その時、声が聞こえた。
"異変"によって幾度と聞こえた不思議な声が、今度は鮮明な形となって。
『チェンジリング・デイ。隕石衝突と"能力"の発生により、人類の混迷期は訪れた。
人類は多くの不安を抱きながらも、復興を進め、希望を絶やさず未来へと向かっていく』
語り部のように、謡うように、彼女は言葉を紡いでいた。
不思議な少女だった。存在感が曖昧で、淡い光を放っているようにも見える。
同時にどこかぼやけて見えるのに、あまりにも強い存在感を放っているのだ。
『しかし、そんな日々は致命的な破綻を迎える事となる。
ある象徴的な事件により、国際連合を中心に人類を二分する合意が締結され……
そして、全面的な衝突に至るまで、多くの時間は要らなかった』
少女の姿がぶれて消え、今度は二十歳かその直前ぐらいの女性の姿となる。
服装だけは同じで、一貫して清潔な白の貫頭衣を身に纏っている。まるで神官のようだ。
その語り口には、あまりにも悲しげで。
まるで墓碑銘を読んでいるようだと、晶は思った。
(女の子、いや女の人……? それに、この装置って……)
天文施設の中枢を占めるのは、望遠鏡ではなく。いや、その機能もあるかも知れないが、奇妙な装置だ。
幾つも輪を重ねた小型の塔にも見える。電波塔にも似ているかも知れない。
その根元から装置中枢にかけては、人の搭乗スペースのような空間が存在する。
晶の疑問に応じるように不思議な女性の姿が、またぶれて消えた。
次は近い、鏡合わせのような位置に少女の姿が現れ、晶は悲鳴を押し殺した。
『ある時間線では人類最期の戦争で用いられる事になる、戦略兵器『ソドムの火』。
その時代には、EMP兵器の一種と解釈されたけど、その本質は――』
語り、紡がれる言葉はまともに頭に入ってこなかった。
貫頭衣の少女の顔を間近で目撃し、その瞳を覗き込む。そして、内心で驚愕した。
(僕と、似ている。服も雰囲気も、何もかも違うけど、なんで……)
完全に同じ訳ではない。でも、鏡を覗き込んだような確かな面影が、彼女の姿には表れていた。
ただ明確に、その瞳だけは異なっていた。
まるで世界の終わりを見てきたかのように、その双眸は誰よりも暗く沈んでいたのだ。
それは約束の履行か、それとも本当に世界の墓碑銘を詠んでいるのか。
戦略兵器『ソドムの火』を背に、施設の外に拡がる終わりの風景に手を伸ばすように、彼女は宣言した。
『――いま、ここで全ての終わりが始まる。世界に流星の降り注いだ"あの日"のように』
誰も知らない時、誰も知らない場所。それでも、表層現実よりも確かに。
終焉を告げる星時計が時を刻み始めていた。
――『星界の交錯点』第一部・完 第二部へと続く
登場キャラクター
最終更新:2019年02月24日 01:05