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時計を見ると、もう深夜の十二時時を過ぎようとしているところだった。
カッチ、カッチと柱時計の秒を刻む音だけが薄暗い室内に響いている。
もう随分と聞き慣れたその音が、今夜はどうしてか大きく聞こえるような気がして、沢村智紀は閉じていた瞼をゆっくりと開いた。
「明日は朝番なのに…」
真っ暗な天井を眺め、智紀は独りごちる。
智紀は朝にそう強い方ではない。むしろ苦手と言い切ってしまってもいい。
起きてすぐは頭が働いておらず、身体もダルいのも相まって、足元もふらつく。
実家にいる分にはそれでも良かったのだが、しかし今はそういうわけにもいかない。
曲がりなりにもメイドの端くれなのだ。しかも住み込みの。
寝坊しました働けませんでしたでは勤まらないのだ。
そんな体たらくを見せようものならば、月の小遣いの査定が酷いことになる。なった。
雇い主の龍門渕透華曰く「まぁ、脱・引きこもり支援の一環だとご両親からも頼まれていますし」との事で割と仕事に対しては容赦無い。サボりなんて以ての外だ。
さておき、朝早くでもきっちり起きられるようになるのが屋敷に来た当初の智紀の課題となった。
これは智紀の自主性も勿論だが、周りの協力も不可欠との考えから、言い出しっぺの透華を始めとした屋敷内の住人が一丸となって取り組む事になった。
時にメイド仲間の井上純が早朝ランニングを提案し、時にメイド仲間の国広一が寝る前の簡単な運動を提案し、時にメイド仲間の杉野歩が目覚めのコーヒーを特製ブレンドで用意し、時に透華が片っ端から買い揃えた早起きグッズをこれでもかと使用した。
結果は惨憺たるものであった……起きる以前に全身の筋肉痛でまず起き上がることすら出来なくなった。だから嫌だって言ったのに…。
こうして万策尽きたかと諦めムードが広まる中、しかし智紀は自主的に自己改善案を思いついてはトライし続ける。また何ぞ余計なことを閃かれても困るからと真剣そのものだった。
そんな努力の甲斐あってか、程なくして成果を収める事になった。
その重要なファクターとなったのは、智紀が今見上げている天井と、そして一枚のポスターだ。
現在、智紀の部屋の天井にはとある対戦格闘ゲームのポスターが貼ってある。赤髪の美形キャラがスタイリッシュなポーズを決めているこの柄は智紀の一番のお気に入りだ。数年前にオークションで落札して以来、智紀の日常の一つとなり、実家にいた頃から部屋に飾っている。
そんな愛着のあるポスターだからこそ、これは智紀の目覚ましに成り得た。
天井に貼っておくことにより、ぱっと目を開けてすぐに好きなキャラを視界に入れることで朝もはよからテンションを高めることが出来たのだ。勢い余って元ネタのゲームを一プレイだけすると効果はより絶大。
透華をはじめとして周りは「うっわぁ…」と若干ひいていたが、結果オーライ。
屋敷の執事であるハギヨシが用意してくれたオフィシャルボイス目覚ましアナログ時計も相まって、見事智紀は朝を克服した。
「……」
しかしながら世の中難しい物で。
今の智紀はどうしたらすぐに眠れたものかと悩んでいた。
ポスターが貼ってある辺りを見やるも、流石にこう暗くてはとても見えやしない。そも裸眼だし。むしろ今目が冴えてしまっても困るし。
しかし、本当にどうしたものかと悩ましく思う。
メイドの仕事は割と体力勝負だったりするので、寝不足で挑むにはちとばかり辛いのだ。
なので、仮眠でもいいから取っておきたいところなのだが、なかなか寝付けやしない。
原因はわかっている。
「…昼寝したのがマズかった…」
学校の授業をサボって、同級生の天江衣と一緒に優雅な昼下がりを過ごしていたのだ。
自分ながら同情の余地もない。
もういっそこのまま朝まで起きていれば……そう考えるも、経験則から早当番の頃に丁度眠たくなる可能性が高い。
本当もう、どうしたものやら。
布団の中で悩みながらも、しかし智紀は今の状況が少し可笑しく思え、わずかに頬を緩ませた。
きっと、二年前の自分が見たら卒倒するに違いない。
~
二年前の智紀はいわゆる引きこもりだった。
小学生の頃から兆候はあったが、中学に進学して以来、智紀はめっきり不登校になった。
学校に通うのが辛いわけでもなかったが、楽しいわけでもない……その頃から趣味にしていたネットゲームに時間を費やした方が有意義だと当時の智紀は考えたのだ。
そして生活はネトゲを中心にした昼夜逆転のものへと変わっていた。
朝に睡眠時間をたっぷり取って、昼過ぎに起床、そして夜を徹してのネトゲ三昧の日々。
その頃はその頃で充足した生活ではあった。素質があったのか智紀はゲーム内では国内唯一の世界ランカーまで登り詰めたのだ。順位が落ちないよう神経をすり減らし、日々切磋琢磨に努め、誰に言われるでもなく自ら進んで使命と責任を心に抱き……家に引きこもっていた。両親は泣いていた。
しかし、智紀も何のビジョンもなくゲームに明け暮れていたわけではない。
智紀には智紀なりの夢が存在していたのだ。
目指すは世界十位以内。ほんの一握りの人間だけが到達できる頂き。
そこまで登れたならば、高額の賞金が出る大会にだってエントリー出来るし、活躍次第ではスポンサーの付くプロゲーマーにだってなれる。
少し…いや…かなり希望的な未来予想図ではあったが、しかし智紀は確信していた。
自分の最高順位は三十位。充分に射程圏内には位置している。
いつかは自分の腕を求めてスカウトが訪ねてくる筈だと、そう夢見ていた。
果たしてその夢は二年前の冬に果たされる事となった。
その日の違和感はまず、見慣れないプレイヤーの挑戦から始まった。
相手の順位は百位きっかし。ギリギリで上位ランカー五十位以内に挑戦できるランクである。
挑戦を受けるのは日常茶飯事。
それこそ毎日百人の中の全員と鎬を削りあっているのだ。
だからこそ、智紀は見慣れないプレイヤーに戸惑った。
しかも、国籍は智紀と同じで日本である。
順位争いが激しい百位近辺ではあるが、それでもだいたいは常連がその座を争っており、その中で日本人プレイヤーとなると、片手で数えるほどしかいない。
強い弱いに関わらず他のプレイヤーに大して興味を示すことのない智紀ではあるが、日本人だけは別だ。
何しろ日本人で唯一の世界ランカー上位という肩書こそが誇りなのだ。
だからこそ、日本人プレイヤーを見れば、取り敢えず勝負を仕掛けて実力を探る。
そうして大概の日本人とは戦ってきたのだが、しかし、取りこぼしもあったのだろうか。
見たことも聞いたこともない日本人プレイヤーがいきなり勝負を仕掛けてきたのだ。
「“Touka”…?聞いたことない…」
しかし、何度見ても国籍はJP…日本である。
もしかして自分の知らないところで天才が生まれていたのだろうか?
いや待て、だけど所詮は百位程度…。
その考えは負けフラグ…。
色々な考えが浮かんでは消え、上手くまとまらない。
智紀は悩んでいた。
挑戦を受けるべきか、もしくは断るべきか。
相手の実力は未知数。
加えてこちらの戦略は研究されている可能性が高い。
しかし、日本人最上位プレイヤーの自分が逃げることはありえない。
どうすればいい…?
答えは決まっている。
だけど、もし…もしも自分が負けてしまったら、どうなるのだろうか。
自分の夢は、
自分の生活は、
自分のこれからは
どうなってしまうのだろうか。
「……」
程なくして、智紀は挑戦を受理した。
「……」
弱音を口にしたらそうなってしまいそうで、
「……」
臆病な自分をムリに追い出すように、
「……」
粛々と、勝負を開始し…。
「…ぁ、雑魚い」
三十八秒の完封勝利を収めた。
数時間後、智紀は久しぶりに清々しい気分で床に就いていた。
やはり自分こそが日本人最強プレイヤーなんだと誇らしい気持ちが胸にいっぱいになる。
だけど、意識がブラックアウトする瞬間。
「でもいつかは自分より強いプレイヤーが出てくるかもしれない」
そんな、自分の弱音が聞こえて。
最悪な気分で、夢の中に意識を沈めた。
最悪な眠りの後は最悪な目覚めが待っていた。
ドンドンドンと荒々しく叩かれる扉の音は、決まって良くない話の前触れである。
具体的には招かれざる客がお説教に来るのだ。
「…勘弁して」
欠伸を噛み殺しながら、ベッドから這い出る。
ふらつきながら携帯電話を手に取り時間を確認するとまだ昼にもなっていない。本当に最悪だ。寝不足は集中力の敵だから睡眠はジャマしないでほしいってもう何度も注意しておいたというのに…。
いやでも、それを無視してでも来るってことは相当に本気ってことだろうか?
智紀は大きく溜息を付きながら部屋の入口へと向かう。
この手の輩は無視すると部屋の前に居座った上に、その状態で説教をしてくるのが多い。
今日も今日とて順位上げに勤しまなければならないのだ。
そんな雑音を聞きながら戦えるほど世界の壁は優しくないのだ。
なので話を聞くだけ聞いて、とっとと追い返してしまうに限る。
幸いにしてまだ早い時刻だから、人が集まる時間帯になるまでには済ませておきたいところである。
「あぁ…だからこんな今の時間帯に呼んだのかも…」
もしそうだとしたら、これは両親なりの気遣いの末の行動なのかもしれない。
しかし、そもそもにして誰も呼ばないでいてくれる方がよっぽどありがたいのだが。
「だけど…誰を呼んだんだか…」
学校の先生、
カウンセラー、
市の職員、
親類、
色々な人物が訪ねてきては、諦めて帰っていった。
そして、今日もまた、そうさせる。
智紀は決意とともにドアノブを回す。
「……」
開口一番に「私は将来をこのゲームに賭けてる…ジャマしないで」と言い切ってしまえば、大体の相手は二の句が継げなくなる。
だからこそ先手必勝とばかりにドアが開くやいなや智紀は口を開いたのだが、しかし出てきた言葉はそれとは違っていた。
「……誰?」
ドアの向こうにいたのは智紀にとって予想外の人物だった。
いつもならば服装や雰囲気こそ違えど、それでも大人が訪ねてきたものだ。
だと言うのに、目の前にいるのは智紀と同年代くらいの少女である。
ウェーブのかかった綺麗な金の髪をした白のワンピースが似合う美少女。
誓ってもいいが友達ではない。と言うか知り合いですらない。
リアルの知り合いからして存在しないから間違いない。
いや、それならば元同級生がクラス委員だとかで訪ねてきた可能性が…いや、それもない。
だったら本当に誰だというのだ。
そう戸惑う智紀の顔を見て、少女はニヤリと笑い、そして高々と言った。
「おーっほっほっほっほっほほ!貴女が沢村智紀ですのね?」
「……」
「わたくし、龍門渕透華と申します」
「……で、誰?」
「先ほど貴女と対戦したゴージャスプリティーなプレイヤーです、覚えてないのですか?」
「あぁ…」
そういえばToukaって…。
人のことは言えないけど、まんまだなと智紀は思う。
「……」
いや、ちょっと待て。
なんでさっき対戦したプレイヤーが自宅を訪ねてきているのか。
むしろ特定されているのか。
ひょっとして今リアルタイムに事件に巻き込まれているのではなかろうか。
「やっと思い出したのですね?それではちゃちゃっと本題に入りますわ」
主にストーカーとかその類の。
……。
やっば。
「わたくし、貴女をスカウトに参りましたの」
「お断り…」
透華の言葉は智紀が待ち望んでいた言葉ではあったが、取り敢えず全力で断った。
おっかないし。
それにそもそも求めるスカウトじゃないし。
多分これはアレだ、プロチームの引き抜きとかじゃなくて…。
「ゲームのコーチはやらない…才能のない人に教えるのは、時間の無駄…」
「なっ!?ななななな、何を言い出しますの、この引きこもりニートは!?」
引きこもり上等、とっとと帰って欲しい。頼むから。
智紀は話はこれで終わりとばかりに部屋の中に下がってドアを閉めようとする。
しかし、ピクリとも動かない。
どうしてかとドアの方を中止して、智紀は驚いた。
今まで透華の後ろに控えていた執事風の青年が澄ました表情でドアノブを掴んでいたのだ。
なにこれ、本気でおっかない。
智紀が一瞬怯んだ隙をついてか、透華がまた勢い良くまくし立ててくる。
「わたくしが貴女をスカウトしに来たのは麻雀プレイヤーとしてですのよ?」
今度こそ本気で驚いた。
と、言うかあっけにとられて二の句が継げない。
それでも何とか絞りとるようにして、声を出す。
「…麻雀…?」
「そのとーりっ!麻雀ですわ」
「………」
いや、したことないんだけど…。
智紀がそう反論するより早く透華は「わたくし、強力な麻雀プレイヤーを求めておりますの」と自分語りを始めてしまった。
いやいや。
待って。
本当に待って。
何コレ
何この状況。
~
これが龍門渕透華との出会いで、屋敷に来ることになった経緯だった。
ちなみにその後はもう本当に酷かった。
両親はゲーム中毒で引きこもりの娘を少しでも矯正できるのならばと諸手を上げて賛成し、そのまま万歳三唱をしながら智紀を送り出した。その時の両親の心からの笑顔は今も智紀のトラウマである。
北海道からここ長野までの移動方法はヘリだったため、部屋の引っ越しを龍門渕の人間に依託することになったのも智紀にとっては痛手だった。屋敷についた頃にはもう部屋の物のリストアップが完了しており、その一覧を透華から渡された時の羞恥と言ったらなかった。
“押入れの中の大学ノート”とか“BL詰め合わせと書かれたダンボール”とか、他諸々。
おまけに荷物が届いてからの荷解きは透華や純らが手伝い…。
「……あぁぁぁ…」
その時の事までを思い出してしまい、智紀は枕に顔をうずめた。
しばらく布団の中で足をばたつかせていたが、じきに落ち着きを取り戻し、すぅっと深呼吸を一回して気持ちをニュートラルに戻す。
こうして冷静に気持ちを切り替えることが出来るのは、ネトゲで昔とった杵柄である。
冷静沈着にプレイしなければ勝ち上がれない世界だったのだ。
だからもう大丈夫。
智紀は自分にそう言い聞かせ、また無意識に天井を見やり…少し室内が明るく感じることに気がついた。
もしやもう朝かと一瞬焦るも、しかしそれは違う。
窓から月明かりが差し込んでいたのだ。
そういえばもうそろそろ月も満ちる頃である。
また衣も一際力が強くなることだろう。
智紀は一緒に昼寝をしていた時のことを思い出す。
同い年とは思えないほどの小さな身体に、無垢な寝顔。
可愛らしい、可愛らしい衣。
だがしかし、智紀は月を見るたびに思い出す。
衣の秘められた力を、その発現を。
「………」
そして何より、件のゲームキャラを、強く思い出してしまう。
月を見る度思い出し、
そして今日に限っては、中学時代にしでかしたキャラのなりきりとか二次創作とかまで思い出し……
「……ぅあぁぁぁぁぁぁ……」
ボーン、と柱時計の鐘が鳴る。
現在午前一時。
智紀の朝晩まで後五時間。
だと言うのに、目は冴えるばかりだった。
そんなこんなな話
………
ともきー頑張れ超頑張れ
ちなみに、引っ越しのリストで一番心にキたのはペットボトルだったようなそうでないような
取り敢えず、「中身入ってたそうですけど、濁ってたんで廃棄したらしいですわ」との言葉が辛かったぽい
……………
ともきー頑張れ超頑張れ
でもそれは流石にどうかと思ふ
- やっぱり新シリーズか、チャットが全然関係ないだと…ペットボトルはなwwwまあ女の子はダメだしね -- 名無しさん (2014-01-20 17:42:18)
最終更新:2014年01月20日 17:42