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*万里長城:居庸関 >北京から約50キロに位置する居庸関は、6千キロにわたる万里の長城の中でも北京防衛の最後の要となる最も重要な要塞とさでした。現存の規模としての居庸関は明朝にモンゴルの侵略を防ぐ為、1368年(明の洪武元年)に大工事を行って整備した。居庸関の中心には、仏塔の台座が残されて雲台と呼ばれている。元時代に作られ、当時は3基のチベット式仏塔が建てられて中央はアーチ型のトンネルになっておりトンネル壁面に刻まれた陀羅尼経文と造塔功徳記(塔を造営する由来を記した文章)で、サンスクリット文字・チベット文字・八思巴(モンゴル)文字・ウイグル文字・西夏文字・漢文の6言語で書かれていて「居庸関六体石刻」と呼ばれている。これにより西夏文字が解読がなされ、中国のロゼッタストーンともよばれている。 -居庸関から見上げる #ref(ban01.jpg) - #ref(ban02.jpg) -反対側の山にも長城が続く #ref(ban03.jpg) -居庸関から見下ろす #ref(ban04.jpg) - #ref(ban05.jpg) - #ref(ban06.jpg) ---- #comment(vsize=2,nsize=20,size=40)
*万里長城:居庸関 >北京から約50キロに位置する居庸関は、6千キロにわたる万里の長城の中でも北京防衛の最後の要となる最も重要な要塞とさでした。現存の規模としての居庸関は明朝にモンゴルの侵略を防ぐ為、1368年(明の洪武元年)に大工事を行って整備した。居庸関の中心には、仏塔の台座が残されて雲台と呼ばれている。元時代に作られ、当時は3基の[[チベット式仏塔>http://www33.atwiki.jp/shikino/pages/32.html]]が建てられて中央はアーチ型のトンネルになっておりトンネル壁面に刻まれた陀羅尼経文と造塔功徳記(塔を造営する由来を記した文章)で、サンスクリット文字・チベット文字・八思巴(モンゴル)文字・ウイグル文字・西夏文字・漢文の6言語で書かれていて「居庸関六体石刻」と呼ばれている。これにより西夏文字が解読がなされ、中国のロゼッタストーンともよばれている。 -居庸関から見上げる #ref(ban01.jpg) - #ref(ban02.jpg) -反対側の山にも長城が続く #ref(ban03.jpg) -居庸関から見下ろす #ref(ban04.jpg) - #ref(ban05.jpg) - #ref(ban06.jpg) ---- #comment(vsize=2,nsize=20,size=40)

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