さくらはかつて東京と長崎を結ぶ寝台特急列車につけられていた愛称。戦前は東京~下関間の特急列車であった。
2011年に山陽新幹線と九州新幹線を直通する新幹線列車の愛称となる予定。
特別急行列車のルーツ
日本で初めて特別急行、つまり特急列車が走り始めたのは1912年6月15日のことだった。最初の特急は新橋~下関間を結んだ1・2列車で、下関から朝鮮半島や中国への連絡する役割を果たしていた。
この1・2列車の編成は1等車と2等車のみという超豪華列車であったが、大正時代に入ると鉄道をより大衆的に近づけるように図られるようになった。この流れによって1923年には東京~下関間に第2の特急となる3・4列車が設定された。これが後に櫻と呼ばれる列車となる。
この3・4列車は3等車のみの編成で1・2列車よりも大衆的な位置づけであった。ちなみに3・4列車に2等車が連結されなかったのは1・2等客と3等客を分離しようという階級意識の表れだといわれている。
この3・4列車は1・2列車と同じく朝鮮・中国への連絡輸送を前提に運転されており、下りは1列車の後に、上りは2列車の後に運転された。当時のダイヤは以下の通り。
3レ:東京08:45→下関翌08:05
4レ:下関21:05→東京翌20:40
このように東京~下関間の所要時間は23時間20分であった。
「富士」とともに最初の愛称となった「櫻」
1929年世界的な不況に見舞われる中、鉄道のイメージをより向上させるため、9月15日に東京~下関間の特急列車2往復に愛称が付けられるようになり、1・2列車が「富士」、3・4列車が「櫻」となった。同年11月17日からは列車最後部にテールマークも取り付けられるようになり、櫻は淡い赤地に桜の花が描かれていたという。
1930年には東京~神戸間に超特急「燕」が運転を開始した。これによって「富士」「櫻」ともにダイヤ変更となった。また客車も新型が投入され所要時間が3時間近く短縮され、20時間を切るようになった。当時のダイヤは以下の通り。
3レ:東京12:45→下関翌08:35
4レ:下関20:15→東京翌16:40
こうして次第にスピードアップしていった「櫻」だが国鉄の看板列車の一翼を担う列車にも関わらず座席車のみというのは心もとなかった。1931年には東京~神戸間の急行に3等寝台車が連結されはじめたことから、「櫻」にも京都~下関間で3等寝台車の連結が開始され、1934年には全区間連結となった。
また同年12月には丹那トンネルの開通により国府津~沼津間が御殿場経由から熱海経由に改められ、1時間20分ほどのスピードアップを実現した。この時「櫻」には2等座席車と2等寝台車も連結され、この頃が戦前の絶頂期であった。
しかし1941年に太平洋戦争が勃発すると突如「櫻」は落ちぶれるようになってしまう。同年7月には3等寝台車の連結が廃止。1942年には関門海底トンネルが開通したことにより「富士」が長崎まで、「櫻」が鹿児島まで延長運転になったものの、「櫻」は急行に格下げとなってしまい、戦前の特急で最も早く姿を消してしまった。
臨時特急として復活した「さくら」
終戦から4年後となる1949年9月、東京~大阪間に戦後初の特急となる「へいわ」が運転を開始した。この特急は翌年1月に改称され「つばめ」の愛称が復活、さらにその後姉妹列車として「はと」も登場した。
1951年4月には「つばめ」「はと」を補完する臨時列車として「さくら」の名が復活する。この列車は下りは「つばめ」の、上りは「はと」の3分後を走るダイヤ設定となっていた。編成は全車3等座席車のみで、「つばめ」や「はと」に比べると格下感が否めなかった。
「さくら」は1957年に不定期列車となったものの、翌年には廃止されている。
ブルートレインの仲間入りを果たした三代目「さくら」
一旦消滅した「さくら」だったが、その名前は翌年に早くも復活する。これまで東京~長崎間で運転していた特急「平和」から改称され、また車両が当時最新の20系客車に置き換えられた。
ちなみにこの列車の前身は1957年の7月から8月にかけて東京~博多間で運転されていた臨時特急「さちかぜ」で、1958年に長崎まで延長の上、定期列車となっていたが、「あさかぜ」と混同しやすいため「平和」に改称されていた。
「さくら」は「あさかぜ」に続く第2の20系客車による寝台特急として運転を開始した。当時のダイヤは以下の通り。
5レ:東京16:05→長崎翌12:15
6レ:長崎15:00→東京翌11:10
このダイヤは「平和」時代と全く同じであったが、1961年10月の改正で列車番号が栄光のトップナンバー1・2列車になった。
1965年10月、「さくら」の付属編成が佐世保まで延長されるようになった。佐世保編成は末端の早岐~佐世保間でスイッチバックとなるためこの区間のみC11形蒸気機関車の牽引となった。この機関車は短距離の普通列車用の機関車であるため特急の牽引をすることは異例なことであった。この運転は1968年10月まで続いた。
昭和40年代に入ると寝台特急の増発が相次ぎ、分割・併合を行う列車が多くなってきた。「さくら」は肥前山口で長崎行きと佐世保行きが別れるが、佐世保行きは付属編成のため簡易電源車マヤ20が肥前山口~長崎間で連結されていた。このパターンは他にも見られたが不合理であるため、1971年に電源車を必要としない分散電源方式を採用した14系寝台客車が登場する。この客車は急行「瀬戸」に試験的に投入され、翌年3月に「みずほ」、そして「さくら」が同系に置き換えられた。以後、一貫して「さくら」は14系での運転となっている。
食堂車の廃止、「はやぶさ」との併結、寝台特急時代の終焉を迎える
昭和50年代以降の「さくら」だが、牽引機が1978年にEF65形1000番台に、1985年に最後の牽引機となるEF66形に変更される。
1984年7月には4人用B個室「カルテット」の連結を開始した。JR化後は1993年3月、「あさかぜ」「みずほ」「富士」とともに食堂車が廃止、翌年12月には列車番号の変更があり、1・2列車を「富士」に、「さくら」は3・4列車となって戦前を彷彿させた。
この頃、東京~九州間の寝台特急の需要はどんどん減っていき、1999年12月に「さくら」は「はやぶさ」と連結が開始された。同時に1965年以降続いてきた佐世保編成が廃止となった。
そして2005年3月、遂に廃止となり、「はやぶさ」は併結相手が「富士」に変更となった。
九州新幹線の山陽新幹線乗り入れで「さくら」復活
2009年2月、山陽・九州新幹線新大阪~鹿児島中央間を結ぶ新幹線列車の愛称が公募で「さくら」に決定した。車両はN700系をベースとしたものをJR西日本・九州の両社で開発している。九州新幹線博多~新八代は2011年に開業予定。
さくらと
はやぶさの連結風景、鳥栖駅にて
最終更新:2009年02月28日 18:19