とうかい


 東海はかつて東京と静岡・名古屋・大垣を東海道本線経由で結んだ急行・特急列車の愛称である。2007年3月に廃止。

対名古屋圏輸送の優等列車としてデビュー、早々に電車化

 東海道本線の優等列車は昼・夜ともに東京~大阪間や東京~九州間での増発が基本で、東京~名古屋間のような比較的中距離は長距離列車を利用する他なかった。東京駅の東海道本線下り列車は朝から13時までに特急や長距離急行が発車すると、その後は19時30分発の急行「明星」まで優等列車の設定がなく、中京圏へは普通列車に頼るしかなかった。
 対名古屋圏のビジネス列車は存在していなかったわけである。

 この状況から1955年7月に東海道本線の電化が米原まで完成すると、中京圏を視野に入れた準急列車が東京~名古屋間に初めて設定された。この時まだ愛称はなかったが、これこそ後に「東海」と呼ばれる列車である。由来は文字通り、東海地方を狙ったことからである。
 「東海」は当初客車で運転された。その時のダイヤは以下の通り

306レ:名古屋08:30→東京15:20
305レ:東京15:05→名古屋21:45

 1957年に「東海」は早くも電車に置き換わる。使用されたのは大垣電車区のまだ新製されて間もない80系300番台である。同時に3往復まで拡大し、以下のダイヤで運転を行った。

下り
305T「東海1号」:東京07:50→大垣14:15
307T「東海2号」:東京15:05→大垣21:38
309T「東海3号」:東京16:35→名古屋22:25

上り
310T「東海1号」:名古屋06:50→東京12:35
308T「東海2号」:名古屋08:30→東京14:20
306T「東海3号」:大垣16:07→東京22:35

 このように下り2本、上り1本は入出庫の関係で大垣まで延長された。また、運用の関係から東京23:25発名古屋翌06:16着の343Tと大垣21:05発東京0515着の344Tの夜行普通列車1往復にも80系電車が使用された。

「東海型」153系電車の登場で全盛期を迎える

 1958年、新性能優等列車用電車91系(後の153系)がデビューし、真っ先に「東海」に投入された。そのためこの電車は「東海型」と呼ばれるようになる。
 91系は優等列車を前提に置いた本格的な電車で、153系に改称されると東京~大阪間の「なにわ」「せっつ」にも進出している。また、1959年には夜行普通列車343T/344Tが準急311T/312Tに格上げされ、「東海」に編入されている。

 1959年にはさらに東京~名古屋間に全車指定席の準急「新東海」、東京~浜松間に準急「はまな」という僚友が新設され、東海道本線での電車準急の黄金時代の足がかりとなった。その翌年には沼津~名古屋間に準急「するが」、東京~大垣間に不定期準急「長良」も登場している。
 1961年10月には東京~名古屋間に特急「おおとり」が設定された一方で、153系が大量に増備されたのを機に「東海」は夜行を含めて7往復となった。この時点では「するが」「はまな」と「長良」から改称された「ながら」は存続したが「新東海」は「東海」に吸収されている。

新幹線の開業で徐々に削減、「ごてんば」との併結も

 昭和30年代後半に全盛期を迎えた東海道の電車準急だったが、東海道新幹線が開業した1964年に「東海」が1往復削減、さらに翌年には昼と夜1往復ずつが削減され、4往復まで衰退する。また、「するが(1966年に中伊豆へ改称)」は残ったが「はまな」と「ながら」は廃止された。
 1966年には100km以上を走行する準急が全て急行に格上げされることになり、「東海」と「するが」もこの時急行に昇格している。

 1968年10月改正では東海道新幹線が増発され、「東海」は4往復中2往復が東京~静岡間短縮された。また、この改正では、東京~大阪間で最後まで残っていた客車夜行普通列車143/144が廃止の方向に進んでいたが根強い人気から東京~美濃赤坂間に区間短縮し残ることになり、「東海」の間合いとして153系で運用された。この列車は翌年東京~大垣間の運転に改められ、「大垣夜行」という通称で青春18キッパーを中心に親しまれた。これは後の快速「ムーンライトながら」である。

 なお、1968年10月改正に先駆け、4月には御殿場線電化によって東京~御殿場間に急行「ごてんば」が運転を開始した。この列車は東京~国府津間で「東海」に連結されており、この併結は「ごてんば」が廃止となる1985年3月まで続いた。
 ちなみに1時期は「東海」12両と「ごてんば」4両の計16両編成で運転されており、これは在来線では最長編成記録となっている。

東海道本線最後の昼行急行としてJR化後も存続

 山陽新幹線が開業した1972年3月、153系のローカル運用が増え、「東海」の運転範囲は全列車が東京~静岡間になり、ついに名古屋へ顔を見せなくなった。ただし、車両の受け持ちは依然大垣電車区であり、間合い運用の普通列車「大垣夜行」として名古屋以遠へも足を運んでいた。
 1980年には2往復まで減少した「東海」だったが、1982年には中央西線の電車急行削減の影響で165系電車が大垣に転属してきたため、全列車165系に置き換えられた。これによって153系は第一線を退き、1984年には形式消滅している。

 JRに移行後、「東海」は東海道本線に残る唯一の昼行急行となった。1989年には運用の受け持ちが大垣から静岡に移管されている。
 この時期、165系がデビューから既に30年が経過しており、流石に老朽化が目立ち始めていた。1995年10月には同じく165系を使用した身延線経由で静岡~甲府間を結ぶ急行「富士川」が新鋭373系に置き換えられ、特急「ふじかわ」に格上げされた。
 こうなると「東海」も特急格上げが時間の問題となり、翌1996年3月、間合い運用「大垣夜行」とともに373系に置き換えられ、特急に昇格した。大垣夜行の方は快速「ムーンライトながら」となった。

湘南特急「東海」あえなく廃止

 373系に置き換えられたことで特急に昇格した「東海」だったが373系は普通車のみの3連が基本で、「東海」使用時は2編成繋げた6連のモノクラス編成が基本となった。急行時代に比べると大幅な削減である。
 特急「東海」は後に米原~大阪間に登場する「びわこエクスプレス」と同じく、東海道本線を走行する数少ない特急だったが、特急料金が新幹線とあまり変わらないことや所要時間などの問題から2007年3月15日に廃止され、その歴史に終止符を打った。


特急昇格直前の急行東海

熱海駅を発車する特急東海

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最終更新:2008年11月03日 21:44