集賢院・集賢殿書院
洛陽、宮城にあった施設。集賢門内にあった。もとは集仙殿といったが、開元十三年(725)に宴の際に玄宗より集賢殿に改められた。
ただし普通に「集賢殿」との表記は集賢殿書院をさす場合が多く、図書典籍を収集し、また典籍の修撰を行った官衙である。開元五年(717)乾元殿で四部書を書写し、乾元院使が設置され、開元六年(718)、乾元院を麗正修書院と改め、麗正院書院を
光順門外に設置された。開元十二年(724)明福門外にまた麗正書院が設置され、開元十三年(725)に麗正修書院を集賢殿書院と改められた。
志
参考文献
徐松 撰、愛宕元 訳注『唐両京城坊攷 長安と洛陽(東洋文庫577)』(平凡社、1994年)
外部リンク
最終更新:2024年01月14日 12:38