和糴

和糴 わてき

中国では官の穀物買上げを市糴・糴買などといい、その買上げには官の強権が乱用されがちであったので、とくにこの点をいましめ、適正値段、もしくはそれ以上をもって民戸の納得のうえで買い上げ、遅滞なく代価を支払わせる意味を強調して名づけたのが和糴である。実際は安値強制、不払い、遅払いなど、官権乱用の弊を免れ得ない場合が多かった。用語としては早くからみえるが、その額が大規模となり、常制化して財政経済に大きな意義をもつようになったのは、737(開元25)年前後からである。財政規模の大型化と歳入面における金銀、布絹、銭等の貨幣的比重の拡大、支出面における軍事費、とくに兵糧の増大とそれに関連する漕運米の大量需要などが和糴発達の原因である。755年(天宝14載)の和糴支出は、布絹360万疋端であった。

参考文献

『アジア歴史事典9』(平凡社,1962年4月)

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最終更新:2024年02月17日 23:46
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