通化坊

通化坊

長安の坊名。場所の詳細は不明であるが、徐松が『唐両京城坊攷』で推定した殖産坊がそれにあたるとみられている。東は朱雀門街をはさんで開化坊、南は豊楽坊、西は通義坊、北は光禄坊(ないしは善和坊)が位置する。殷践猷の邸宅があった。また元和十年(815)に裴度がここで賊に襲撃されて重症を負った。

参考文献

徐松 撰、愛宕元 訳注『唐両京城坊攷 長安と洛陽(東洋文庫577)』(平凡社、1994年)

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最終更新:2025年02月18日 23:54
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