中橋
洛陽、洛水にかかる橋梁。旧中橋と新中橋があった。旧中橋は、定鼎門街の東側第三街の延長線上にあり、同街を南に行くと東城南門の承福門に到達する。隋の大業年間(605-618)初頭に建造され、北は立徳坊に到達するため、立徳橋と名付けられた。水害によって破壊され、上元二年(761)に韋機によって東街の安楽坊の北側に移された。これが新中橋である。南は徽安門西街を通じて
長夏門に到達する。木製であったため、洛水の増水によって流出・破壊されたため、石脚橋に回収された。永昌元年(689)、将作監少匠の
劉仁景が修繕し、
李昭徳が統括した。永昌橋と名付けたが、少ししてその名が廃止された。
参考文献
愛宕元 訳注『唐両京城坊攷 長安と洛陽(東洋文庫577)』(平凡社、1994年)
最終更新:2025年02月21日 01:03