陳君賓 ちんくんひん
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南朝陳の皇族、隋・初唐の官人。陳伯山の子。南朝陳の文帝の孫。隋に仕えて襄国郡(河北省邢台市)太守となったが、唐が勃興すると帰順し、東陽公に封ぜられた。襄国郡が邢州と改められると、邢州刺史となった。武徳二年(619)
竇建徳によって邢州が陥落させられると捕虜となった。武德四年(621)竇建徳が敗れると洺州刺史に任じられ、
秦武通は兵を率いて洺州に駐屯したが、今度は
劉黒闥に敗れ、長安に逃亡した。貞観元年(627)鄧州(河南省南陽市)刺史となると、離散した百姓の復帰に尽力し、蓄えを充実させ、翌年霜害によって全国が被害を受ける中、鄧州のみ被害がなかったから、周辺の州から鄧州に向かって食料を求めて百姓が流浪するほどであった。少府少監となったが、事件に連座して罷免され、後に虔州刺史に再起用された。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
外部リンク
最終更新:2025年04月21日 00:27