アットウィキロゴ

王弼

王弼 おうひつ

226-249
三国魏の学者。山陽(山東省金郷県北西)の人。輔嗣。幼時から英才で有名であったが、10余才にして老子の思想を好み、文章・弁論にもすぐれ、鍾会と並び称された。吏部尚書の何晏をはじめ、当時の有力者からその学識を認められて、ついに王族の権力者である曹爽によって尚書郎に登用されたが、はじめての面会のときに長時間にわたり学問のことばかりを論じていたので、相手にされず、また仕事のうえでも、もともと得意でないため成績もあがらなかったが、彼は少しも気にかけなかった。249(正始10)年曹爽の失脚とともに、彼も免官となり、その秋、疫病のために死んだ。子がないので、あとは絶えた。儒学と老子の学に精通し、何晏の「聖人には喜怒哀楽なし」 という論を反論して、「聖人も感情の面では常人と変わらない、常人よりもすぐれている点は、精神にある」といったことは、有名な話である。その著『周易注』『老子注』は、ともに名著として現在まで伝わっている。

参考文献

『アジア歴史事典』2(平凡社,1959)

外部リンク

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2026年02月04日 23:45
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。