沮渠蒙遜

沮渠蒙遜 そきょもうそん

368-433
五胡十六国中の匈奴系の一国、北涼の始祖(在位401~33)。武宣王。甘粛省張掖の黒河流域に住んでいた匈奴部帥の出身で、代々匈奴の左且渠(官名)であったために、沮渠を姓とした。沮渠蒙遜ははじめ、後涼の呂光に、のち建康太守段業に属したが、401(隆安5)年段業を殺して自立し、使持節大都督、大将軍、涼州牧、張掖公と称し、年号を永安と改め、張掖を居城とした。ついで南涼(禿髪氏)を破って姑臧を奪い、そこにうつり、河西王と自称し、421年には西涼(李氏)を滅ぼした。しかし東方で北魏の勢力が強力となると、これに服属し、太武帝から涼王に封ぜられ、涼州牧等の官職を与えられた。死後子の沮渠牧が位を継いだ。

列伝

『晋書』巻一百二十九 載記第二十九
『魏書』巻九十九 列伝第八十七

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最終更新:2024年10月05日 11:38
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