王礎
?-799
唐代の官僚。秘書少監。貞元十一年(795)に黔中経略観察使に任じられた。徳宗が、大酋長検校蛮州長史資陽郡公の宋鼎と、東謝蛮の謝氏が朝賀の参加を小国であるから許さなかったが、王礎は牂州・蛮州の他蕃に対する優越性を徳宗に説いて、三年に一度の拝朝を許された。王礎は後に御史中丞を兼任。貞元十五年(799)六月、卒した。同年七月、徳宗は王礎が卒したことから一日廃朝した。観察使が卒して廃朝することは、王礎のことが前例となって始まった。子に
王璠がいる。
列伝・史料
最終更新:2022年11月20日 01:49