○小学生がパンを喉に詰まらせて死んだ。
まことに痛ましい「事故」である。
さて、この「事故」の最大の被害者は誰だろう。
勿論死んだ小学生だろう。
では次は?
両親、と言いたい所だがどうもおかしい。
なんだか違和感を感じた。
それを考えてみる。
「本当の事を知りたい」
「校長先生のような、現場に居なかった人ではなく当時同じ教室に居た人間の言葉を聞きたい」
?
どうも不思議だ。
上記の発言はテレビジョンをぼんやりと眺めていた時の要約なので正確ではないが、本質は逃していないだろう。
さて、ここで「事故」の報道を整理しよう。
産経新聞
男児パンを詰まらせ死亡 千葉・船橋
2008.10.21 11:07
このニュースのトピックス:食の安全
千葉県船橋市宮本の市立峰台小学校(末永啓二校長)で6年生の男児(12)が給食のパンをのどに詰まらせ、窒息死していたことが21日、分かった。
同小などによると、男児は給食の時間の17日午後0時45分ごろ、直径約10センチの丸いパンを食べてのどに詰まらせた。ちぎって一口を食べた後、残りを2つに割って一度に口に入れたという。
気付いた担任の女性教諭がやめるよう注意。周りにいた児童がスープを飲ませるなどして廊下の手洗い場ではき出させたが取り除けず、男児が「苦しい」と訴え始めたため、教諭が廊下に寝かせて救急措置を施し、119番通報。救急車で病院に搬送されたが、同日夕に死亡した。
同小は20日の全校集会で児童に男児の死亡を伝え、市教委は児童のショックが大きいとして同小にカウンセラーを派遣した。
うーむ。これで十分な気がしてきた。
次。BIGLOBEニュース。(スポーツ報知)
小6男子まさか!給食のパンで窒息
スポーツ報知(10月22日08時00分)
千葉県船橋市立峰台小学校(末永啓二校長)で、6年生の男子児童(12)が給食のパンをのどに詰まらせ、窒息死していたことが21日、分かった。男子児童は17日午後0時45分頃、直径約10センチの円盤状のパンを食べてのどに詰まらせた。担任の女性教諭らが応急処置をして119番したが、搬送先の市内の病院で死亡が確認された。絶対安全なはずの学校給食で、何が起きたのか。
楽しい給食の時間が悲劇の場に変わった。同小によると、男子児童は、直径約10センチの円盤状のパンを一口食べた後、残りを2つに割って両方を一度に口に入れたという。担任の女性教諭が注意したが、間に合わなかった。教諭は背中をたたいたり、さすったりし、周囲の児童がスープを飲ませるなどし、男子児童は廊下の手洗い場で吐こうとしたが、パンは取り除けなかったという。
男子児童が「苦しい」と訴えたため、担任教諭らが児童を廊下に横たわらせて119番し、応急処置の指示を仰いだ。救急隊が着いた時、男子児童はすでに心肺停止状態で、気管に詰まったパンを器具を使って除去したが、回復しなかった。市内の病院に運ばれたが、死亡した。
当日の同小の給食献立はハチミツパン、ししゃものクラッカー揚げ、ミニトマト、やさいスープ、ふかしいも。男子児童がのどに詰まらせたパンを製造した千葉市の製パン会社によると、学校給食用のパンは学校給食センターからの発注に対し、組合に加盟している二十数社が同じ原材料で同じものを製造。ハチミツパンは同社では、20年以上扱っている定番商品で、過去に事故の報告はないという。
同小の末永校長は「驚いている。のどに詰まらせてから5分後には119番した。AED(自動体外式除細動器)を持って駆けつけたが、心停止でなかったので使えなかった」と話した。船橋市教育委員会保健体育課では「パンも学校の対応も問題なかったと思う。一度に口に入れる量としては多かったのでは」としている。
文科省は児童や生徒が食べ物をよくかんで食べることなどを指導するよう、各都道府県の教育委員会に通知。船橋市教育委員会も市内82の小、中学校と特別支援学校に再発防止を呼びかける通知文を送った。
ここで考えるポイントは幾つかあるが、まずは一点目。
「事故」は17日に発生。
テレビジョンを見たのが23日。
いつのインタビューかは不明だったが、そんなに古いものではないだろう。
ということは、男児死亡から数日経過しても現場に同席していた児童からの情報は入ってないということだ。
…
裏を返せば、同級生が死んでもその親に情報を提供するほど親しくない。
つまり、友達は居たかもしれないが、男児の自宅に遊びに来て両親と普通に会話することが無い。
二点目。
報道を見ると、男児が単独でパンを頬張り、喉に詰まって死亡した。
両親は「競争が無かったか」を焦点としている。
また、裏を返せば「真実が知りたい」ということから「納得が出来ない」となる。
ではどこが納得できないのか。
両親の言い分をまとめると、「早食い競争があったか否か」が知りたい。そして、校長が「なかった」と言う言葉が信頼できない、と。
?
かなり難解な心理状態だが、続けよう。
つまり「早食い競争があれば納得する」わけだ。
早食い競争がある、ということは「その行為をしていたのはうちの子だけじゃない」ということだ。
数で割れば気が紛れるのだろうか。確実に「何故うちの子だけが」といった心理になるだろう。
また、学校側の言い分を信用していない。
「(競争が)過去にはあったと聞いている」とのこと。
誰から聞いたのかが分からない。
誰から聞いたのか。
過去にそういった事例があったことを、死んだ子供から聞いたのか、教師から聞いたのか、同級生から聞いたのか。
教師がわざわざその程度のことを親に報告するとは思えない。
子供自身であれば追加情報は望めない。
同級生から聞いていたのであれば、今回も情報提供を依頼すれば良い。
以上の推測から、子供自身から聞いていたであろうことが予想される。
ここは掘り下げて考えよう。
では、仮に早食い競争があった場合どうなのだろう。
想像は難しくない。
校長へは「何故黙っていたのか」
担任へは「何故止めなかったのか」
他の児童へは「何故参加させたのか」
つまり、我が子がどうしようもない馬鹿で食事のマナーもろくに守れず、勝手に死んだのではなく、クラスぐるみで早食い競争が行われ、担任がそれを止めない不手際の末に学校側が情報を隠匿していたので「原因は躾の失敗でも子供自身の愚かさでもなく、周囲や学校に問題がある」ことにしたいという心理だ。
三点目。
死亡した児童は、その子自身がかなりの肥満である。
子供の肥満はほぼ親の責任で、肥満になる原因は大きく三つ。
・栄養過多
・運動不足
・食事作法
おそらくはこの複合要因だろう。
現代人は慢性的な運動不足であることに加え、仏前にまで供えるほどのコーラ(糖分)好き、パン一個を一口で食べるような食事作法、肥満要因を完全に満たしている。
この中で学校の指導で改善可能なものは運動のみで、他の二点に関しては家庭で改善するしかない。
嗜好の改善は簡単で、小遣いを与えず間食を購入しなければ良い。
嗜好そのものは変化しないが、絶対量が減少する上に手に入れた時の喜びもひとしおであろう。
勿論、大人になった後に反動で甘いものばかり食べるようになるかもしれないが、そこは大人になった後の自己責任なので問題ない。
食事作法に関しては、まず食物で遊んだり粗末にしない、よく噛んでゆっくり食べる。
テーブルマナーを教えるだけでかなり改善される。
つまり躾をせずに欲しいものを欲しいだけ与えていたであろうことが推測される。
では結論である。
この両親は、普段から子供の友達を軽視または無視、または存在すら知らず、気安い関係を築けず、子供が死亡するという重大局面において情報が全く手に入らなかった。
そして学校に対する不信感からか、自らの養育の不手際を認めたくないためか、校長の言葉を信用せず「給食いじめ」的な早食い競争を想定し、責任を他の親に押しつけたくて堪らず。
わざわざ自宅にマスコミを上げてその前で校長に頭を下げさせるような劇場化を行い、世間の耳目を一身に集めて同情を引こうと(失敗と思われるが)している。
ふむ。
なんだかボロボロな結果になってしまった。
自分ならこんな事態の場合、どう言うか想像してみよう。
「息子がご迷惑をおかけして申し訳ございません」
なるほど。
これでは違和感が拭えないわけだ。
中国から派遣され、はるか札幌へ中国語を教えに来て、はや半年が過ぎようとしている。その間ほぼ毎日のように、いわゆる「カルチャーショック」を経験している。毎日が疑問の数々、困り果てながらも、なかなか楽しんでもいる。
日常的に不思議に思っているのは、中華料理の「麻婆豆腐(マーボードウフ)」やら「青椒肉絲(チンジャオロースー)」やらが、日本では何故こんなに人気なのか?ということだ。これらは、本国・中国ではどこにでもあるありふれた料理だ。絢爛多彩な美味を世界に誇る中華料理のこと、日の目を見るべき料理はもっとほかにたくさんあるだろうに、というのがこちらの思うところであるが、一旦定着したイメージはそう簡単に塗り替えられないようだ。現にある日の授業で、学生たちにレストランでの会話を練習させたところ、彼らの「注文する料理」は決まって「麻婆豆腐」と「青椒肉絲」だったのだから。
さらに、実際教壇に立つと、「日本式中国語」にもよく出くわす。学生らに中国語での自己紹介をさせると、彼らほぼ全員が「どうぞよろしく」を意味する「請多関照」を末尾につけたがる。果たして中国人同士の自己紹介で、誰がお辞儀をしながらこの言葉を口にするだろうか?とその度に考えてしまう。実際、中国人はこのような格式ばった言い回しはほとんど使わない。しかし、テレビの中国語講座を見ると、中国人講師も福原愛ちゃん(編集部注/福原愛さんはNHK「とっさの中国語」に出演)も、こぞって「どうぞよろしく」を連発している。テレビ講座までがこの言葉の市民権獲得を応援しているのだから、これでは無理はないと思った。
以上の事例を鑑みて、結局辿りつくのは、異文化の移入には「ローカル化」というプロセスが必ず存在するということである。つまりは「郷に入っては郷に従え」ということだ。かくして、日本における中華料理の代表は「麻婆豆腐」や「青椒肉絲」となり、「日本式中国語」が誕生することになるのである。
いつか、上海の様子をリポートしたテレビ番組を見た。VTRは、現地の人々が日本料理店でマグロの刺身を食べている光景を映した。彼らは日本の常識では考えられないほどたくさんの醤油とワサビをつけて食べている。それを見て、「あんな食べ方はもったいない」と日本人ゲストの皆が口を揃える。しかし、考えてみれば、いったん中国に伝わった日本料理の食べ方は、中国人に任せるしかないのだ。彼らがおいしいと感じるやり方で食べるべきなのである。それと同じように、中華料理が日本に紹介されたら、その受け止め方も日本人次第である、と最近はついに諦念したのである。(張秀強/32歳/男性/在日半年/派遣教員)
さて、この中国人は二つほど大きい間違いに気づいていない。
最大の間違いの本質は、「他国語を習得することは、その国の人間になることではない」ということ。
これは後で述べることにして次。
「自分(やそれが属する集団)の価値観はその価値観を共有しない人間には伝わらない」。つまり文化の範囲は限定されている。
卑近な例だが、神戸の「そばめし」は本来ケミカルシューズの工場で働く女工さんの文化であり、神戸人が口にする時も「立派な料理」という意識はない。
しかし昨今各地の食事処でそれが進化し、「やきそばとご飯を絡めた料理」という、店で出すような料理となっていった。
関西地域を出て広まれば、最初にその料理が持っていた何とも言えない雰囲気は消え去っていくだろう。
これが文化の伝播であり、取捨選択して形骸のみを抽出する。
本質は伝わらないのだ。
何故ならば、本質とは常にそれを生み出した集団や個人が内在する文化的素養を無視しては成り立たない。
刺身は本来、「四方を海に囲まれ、新鮮な魚介類が豊富に手に入り、尚且つ肉食が禁じられていた」という日本の地理的要因から生み出される文化を背景に、「食物に恵まれていたため香辛料が発達せず、素材の味を楽しむ食文化が形成されていた」という食文化を理解した上で「新鮮な魚の旨みを引き出す簡素な料理」となるのだが、それが中国で料理としての見た目だけを引き継ぎ換骨奪胎されると、「魚の切り身に調味料をまぶした料理」となる。
同様に、日本では青椒肉絲なら、「中国料理風細切り肉の炒め物」だし、麻婆豆腐なら「中国料理風辛味あんかけ豆腐」となっている。
因みにそばめしの本質は、「多忙でさほど裕福ではない女工さんが昼休みに手早く栄養を摂る」文化を背景にして生み出された「持ち込んだ米と店の料理を組み合わせることによって安価で素早く腹を膨らませる料理」で、ファストフードの一環である。
内在する文化が共有できない限り、本質は伝わらないものだし、その必要もない。
では最大の違いに踏み込もう。
これは誰の目にも明らかで、わざわざ書くほどのことでも無いのだが…
例えば言語を習得する場合、移住を考えている人間の方がかなりの少数派だ。
文化的にも国境的にも本国より隣国に近く、更に経済も隣国が良く見える地域などに住んでいる人間はこの限りではないが、日本での話に限定するため少数派となる。
本格的な移住を考えていない人間にとっての言語習得というものは、「他国の言語で自分の内面を表現する」ためにある。
「我が国ではこんな言い方はしない」というのは、明らかに文法的に誤っていたり、それがスラングでまずい場合に警告するに留めるべきだ。
何故なら、相手が使っている言語が自国語でも、外国人であれば背景に共有する文化が違う。
以前「ありがとう」と連発するアメリカ人に感激して話を聞くと、「ありがとうってThank youの訳語だから、そのタイミングで使っているだけだ」と言われて感激したというような話を新聞かどこかで見たが、これも「文化の違い」が生み出した作用だろう。
この記事を書いた不遜な中国人が丁寧な言葉づかいを諌める背景には自戒の念など無く、我こそが正しいとの信念に基づいて行動している。
日本人が中国語を習う場合に、態度や振る舞いまで中国人に倣う必要は、どこにもない。
最終更新:2008年10月23日 17:36