白川勝彦氏、悪質な職務質問を受ける2

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★罰としての長説教


最後に、私は副署長に「現場にいた4人でいちばん階級の高いものを呼びなさい」といいました。勘違いしたのか、警邏(けいら)の現場の上司と思われる警察官がきました。私は実際に職務質問した警察官に話したかったので、彼らの中で一番階級の高い者を呼びなさいと,、再びいいました。4人組の中の一人がきました。君がいちばんの上司なのかと聞いたところ、階級は同じだが年齢が一番上だということでした。彼の上司には後ろで聞いてもらうことにして、彼と副署長に対して、私はこういいました。

「今日の職務質問で一番問題だったことは、ズボンのポケットの中のものを見せなさいといって、ズボンの上から強く触ったことである。見せる見せないは、あくまで私の意思でやることであって、これを強制する権限は君たちにない。『怪しいものがないのなら、見せてもいいじゃないですか』と君たちは執拗にいったが、それは根本が違うのだ。自由主義社会というのは、国家からの自由も、できるだけ保障する社会なんだ。私は自由主義者として、そういう社会を作ろうとして努力してきたのだ。怪しいものを持っていないのなら見せなさい。見せないからといって、怪しいものを持っているからだろうと疑うことは、とんでもないはき違いなのだ。ここのところを、よく分ってもらいたい」

「君たちの中では、一体、誰が一番の大将なんだ。誰が現場において臨機応変な措置をすることになっているんだ。犯罪の現場だろうが、今日のような警邏であろうが、一つひとつの現場は決してマニュアル通りにはいかないのだ。そこで、経験と臨機応変さが必要になるのだ。私は国家公安委員長時代、これからは“はぐれ刑事純情派"の藤田まこと(正式には、安浦刑事)のような刑事を大切にしていかなければならないといい、そのよう制度を作らせた。それは、そういうことをいいたかったのだ。それなのに、今日の君たちの対応は一体なんだ。石頭すぎる。副署長、これは、このような編成で警邏させる方に問題があるんじゃないかな」…などなど。

例によって、私の長演説に付き合ってもらうことになりました。しかし、長い間私の自由を奪い、また私の名誉をいささか傷つける行為をしたのですから、このくらいは我慢してもらっても罰は当たらないでしょう。最後に私はこう付け加えました。

「今日、私が体験したことは、私のWebサイトに書くつもりだ。君たちもインターネットを見るんだろう。どう書くか、ぜひ見てもらいたい」

副署長は「今日のことはこれ限りにしてほしい」と頭を下げました。人のいい彼には申し訳ないことですが、私はこれには応ずることはできませんでした。私の体験は貴重であり、また空恐ろしいことであり、こんなことを野放図にしてはならないと思ったからです。これは、もう私の不動の信念となっておりましたから。

★自慢話ではないのです


「白昼堂々、4人組が!」などと大仰な見出しにもかかわらず、こんなことに過ぎないのか、大騒ぎする程のことじゃないではないか、という人もおられるかもしれません。しかし、私が経験したような状況の中で、私と同じ行動を取れる人が、果たしてそんなに多くいるでしょうか。私は弁護士です。私は政治家です。私は国家公安委員長をしました。また私は熱烈な自由主義者です。そんな私だから、ここで詳しく書いたような行動を取れたのだと思います。

私は自慢話をしているのではないのです。自慢話なら、もっと別の行動でなければなりません。非礼かつ無法な4人組をちぎっては投げ、ぶっ飛ばしたというような話でなければなりません。実際のところ、あまりにもしつこいものでしたから、突き飛ばして4人組の囲みから脱出しようと何度も思いました。しかし、そんなことをすれば彼らの思う壺だと思ったから、やらなかっただけです。私は狡猾だっただけなんです。考えてみれば、こんな意地悪な人物に目を付けてしまった4人組こそ、災難だったのかもしれません。

警察官に取り囲まれ、見せろ見せないなどといって揉み合う姿は、決して格好いいものではありません。東京の繁華街ですから、顔見知りの人はあまりいませんが、それでも私を知った人がいたかもしれません。名誉な光景では決してありません。だったら、素直に彼らのいうことを聞いていればいいじゃないかという人がきっと多いでしょう。確かに、そうしても私は困るようなものを持っていた訳ではありませんから、直ぐに無罪放免になっていたかもしれません。しかし、自由主義者の一人として、それだけは絶対に認めることはできません。

いずれにしても、私と同じような行動を取れる人の方が少ないと思うのです。それが彼らの狙いで、職務質問ということで、本来は許されないことを平気でドンドンやっているのでしょう。テロとの戦争また治安の維持ということで、こうしたことが平気で罷りとおる社会的風潮だと思います。アメリカでは、9 ・11以降、アラブ系の人々などに対して、法で保障された人権をまったく無視する違法なことが行なわれていると聞いています。何でもアメリカ追随の日本すから、こうなっても不思議ではないでしょう。しかし、そんなことは、絶対に許してはならないのです。

私としては、できるだけ忠実に私が体験したことを永田町徒然草に書いたつもりです。別に誇張をしなくても、十分に問題のある(私にいわせれば、違法な)職務質問でした。しかし、私は一方の当事者です。しかも、かなり緊迫した状況の連続でしたから、客観性を欠く惧れはあるでしょう。ですから、私は、もう一方の当事者である4人の警察官に、釈明なり、反論の機会を保障しました。若い警察官ですから、インターネットくらいは見れるでしょう。また、私は今回のことをウェブサイトで書くからとちゃんといっておいたのですから、見ているでしょうし、見ていないようじゃ困ります。

私が書いた事実に釈明なり、弁明や反論があったら、Eメールで私宛てに送ってくれれば、そのまま掲載することを約束しまました。もちろん、それに対する私の再反論の権利は当然のこととして留保しましたが。また彼らの上司であり、直接の責任者である渋谷警察署長の釈明や反論も同じです。さらには、今回の私のクレームをどう受け止め、どのような措置をとったのか、これはぜひお伺いしたいところでもありました。しかし、2004年12月1日現在、メールは届いていません。

★Due Process Of Law の精神


警察官というのは、名刺を出さないんですね。私が会った全部で8人の警察官の中で、私に名刺をくれたのは副署長さんだけでした。彼が私にくれた名刺にある標語が「好きだから 正義で守る この街を」でした。警視庁全体のものか、渋谷署だけの標語かは知りませんが、おおいに結構なことです。

しかし、正義とは何か。ここで問題になるのは、Due Process Of Law という考え方なのです。法の適正手続きなどと訳されますが、本来の意味はちょっと違うような気がします。国民の生命・身体・財産などに対する強制力の行使は、法が定める正当な手続きと方法に基づいて行なわれなければならないという、かなりポヂィティブな意味をもっている概念で、アメリカ法のもっとも基本的な理念のひとつです。

勝てば官軍とか、結果良ければすべて良しとか、長いものには巻かれろなどという言葉がある日本では、これはなかなか理解されない理念です。しかし、わが国が自由主義の国であるならば、絶対にないがしろにしてはならない理念なのです。今回私が遭遇した警察官には、この理念に対する理解がまったくないと断ぜざるを得ません。だからこそ、私は空恐ろしいと思ったのです。

Due Process Of Law は、正義です。特に警察権力の行使は、絶対的にDue Prcess Of Law の精神に基づいて行なわれなければなりません。わが国の警察権力や国家権力には、彼らが思っている程の信用はないのです。ですから、殊のほか Due Process Of Law が求められるのです。しかし、その自覚がもっともないのが警察官であり、検察官であり、官僚です。ですから、ちょっと油断するとわが国は、警察国家になり、官僚王国になってしまうのです。「権利のための闘争」…ドイツの法哲学者イェーリングの有名な言葉です。この“権利のための闘争"というビヘイビィアこそ、自由主義者としての私の発想と行動の原点です。

全体的国家では、人権など保障されません。国家は神聖かつ絶対な存在であり、国家の犯罪などという概念は、最初からありません。こういう社会では、国家の人権に対する犯罪は一般的であり、日常的に行なわれます。しかし、最低限の生存すら保障しえない北朝鮮は国民から見放されて、“脱北者"を多数生み出しています。こうした北朝鮮の現状を私たちは、不幸な他国のことといえるのか? といいたいのが、今回私が受けた職務質問なのです。

私が受けたような職務質問が公然と許されるようになれば、わが国は早晩警察国家となるでしょう。犯罪は現在よりも摘発が楽になるでしょう。治安も多少は良くなるでしょう。だが、私たちの人権は確実に侵され、私たちは国家に対して従順に生きていかなければなりません。テロとの戦争ということで、イラク国民を十数万人も殺したアメリカを公然と支持する小泉首相が率いる国家に、私たちはどうして従順に従わなければならないのでしょうか。私に対してあのような石頭的対応しかできなかった警察官のやることを、私たちはどうして素直に受け入れなければならないのでしょうか。少なくとも私はそういう社会には住みたくありません。日本をそんな国にはしたくないのです。

★職務質問の要件


警察官職務執行法(以下、警職法といいます)は、第2条において次のように定めています。

「第1項 警察官は、異常な挙動その他周囲の事情から合理的に判断して何らかの犯罪を犯し、若しくは犯そうとしていると疑うに足りる相当な理由のある者又は既に行なわれた犯罪について、若しくは犯罪が行われようとしていることについて知っていると認められる者を停止させて質問をすることができる。 第2項 その場で前項の質問をすることが本人に対して不利であり、又は交通の妨害になると認められる場合においては、質問をするために、その者に付近の警察署、派出所又は駐在所に同行することを求めることができる。 第3項 前2項に規定する者は、刑事訴訟に関する法律の規定によらない限り、身柄を拘束され、又はその意に反して警察署、派出所若しくは駐在所に連行され、若しくは答弁を強要されることはない。 第4項 警察官は、刑事訴訟に関する法律により逮捕されている者については、その身体について凶器を所持しているかどうかを調べることができる。」

以上が、職務質問といわれることに関する規定です。それほど、難しい条文ではありませんから、普通の人でも理解できると思います。職務質問に何かと問題があることを知っている方は多いと思います。この規定を読めば、4人の警察官が私に行なった職務質問は明らかにおかしいということを分っていただけると思います。私は弁護士ですから、若干説明を付け加えましょう。

まず、どういう者に対して職務質問が許されるのかということですが、次のような者に対してできるのであって、誰に対してもできるというものではないのです。
A. 異常な挙動その他周囲の事情から合理的に判断して、何らかの犯罪を犯し、または犯そうとしていると疑うに足りる相当な理由のある者
B. 異常な挙動その他周囲の事情から合理的に判断して、既に行なわれた犯罪について、または犯罪が行われようとしていることについて知っていると認められる者

Aは、犯罪を犯し、または犯そうとしている者です。しかし、ただ警察官がそう思っただけではいけないのであって、「異常な挙動その他周囲の事情から合理的に判断して、そう疑うに足りる相当な理由」が必要なのです。「現に罪を行い、または現に罪を行い終わった者」は、現行犯人として逮捕することができます(刑事訴訟法第212、213条)。現行犯逮捕は犯罪を行なったことが明らかである場合にだけ許されます。

4人の警察官からみて、私の挙動のどこが異常だったのか、そして私がどのような犯罪を犯しまたは犯そうとしている者と疑ったのか、これはぜひ聞いてみたいところです。警察署に行くタクシーの中で、ひとりの警察官が、「私が彼らを見てこれを避けようと通路を変更したから」といっていました。私は彼らをまったく認識していません。ですから、これを避けようとして進路を変更したこともありません。一体、私のどこの所作を指しているのかも分りません。百歩譲って、仮にそういうことがあったとしても、それだけで「異常な挙動その他周囲の事情から合理的に判断して、そう疑うに足りる相当な理由」があったとすることはできないでしょう。

Bは、既に行なわれた犯罪について、または犯罪が行われようとしていることについて知っていると認められる者に対して行う職務質問です。この場合にも、「異常な挙動その他周囲の事情から合理的に判断して」という条件が必要だと記されています。すなわち、問題にされている犯罪との現場性が必要とされるということです。ですから、一般の捜査の聴き込みのことではないのです。このようなことが許されるのは、犯罪の現場における捜査上の必要性と現に行なわれる惧れのある犯罪の予防という観点から認められたものと思われます。

一体、私に対する職務質問が行なわれた現場の近くで、どのような犯罪があったのか、または行なわれようとしていたのか、私にはまったく分りません。そのようなことについて4人の警察官や渋谷警察署であった警察官から明らかにされてもおりません。ですから、私の場合は、このケースではないのでしょう。

★職務質問で許されること


さて、次は、「警察官は、停止させて質問することができる」ということです。これは、二つのことを警察官に許しています。「停止させることができる」ということと、「質問することができる」ということです。

これに基づいて、4人の警察官はグルリと取り囲んで、私を「停止させた」のでしょう。しかし、正しくは停止させることができるのではなく、停止することを求めることができるということです。それは、次の第3項の規定から導き出されます。

職務質問を受けた者は、「身体を拘束され、又はその意に反して警察署などに連行され、若しくは答弁を強要されることはない」と明記されているからです。屈強な4人で私を取り囲み、行動の自由を奪ったことは、事実上身体を拘束したと同じことです。もちろん手錠をかけるなどされた訳ではありませんが、この不当な拘束を解こうとして、私が彼らを強引に振り切ろうとした場合には、彼らは私を公務執行妨害として逮捕することは十分に予想されます。いや、待ってましたとばかりに逮捕したでしょう。ですから、私はこの不当な拘束に抵抗することも許されなかったのです。

「質問することができる」ということですが、これは文字通り質問「することができる」のであって、それ以上でも以下でもありません。改めて考えてみると、彼らは、一体、私に何を質問しようとしたのでしょうか。「ズボンのポケットの物を見せなさい。財布を見せなさい」というのは、果たして質問でしょうか。これは、そもそも質問ではありません。あえて質問といえば、「ベストのポケットの物は見せたのに、ズボンの中の物を見せないのはどうしてか?」ということでしょう。

私は、彼らにベストのポケットの物を見せたのではありません。私は、突然の襲撃に反射的に身構えるために、ベストのポケットから手を出しただけです。その時、ベストのポケットの中で手にしていたタバコとライターが一緒に出てきただけです。勘違いされては困ります。

そして、この質問には私はハッキリと答えました。「どうして、私が君たちにポケットの中を見せなければならないのだ」と。それは、「私は、見せるつもりはない。君たちは、私のポケットの中のものを見る権限はないはずだ」ということです。それに対する彼らの答えは、「怪しいものをもっていないんならば、素直に見せなさい。見せられないというのは、何か怪しいものでももっているのか?」ということを何十回も繰り返し、ポケットの上から中のもの確かめようとして何度も何度も強く触ったのです。4人のグルリとした囲みは、20分も続いたのです。これが「答弁の強要」でなくて一体何だというのでしょうか。

★身体検査は許されない


第4項に、「警察官は、刑事訴訟に関する法律により逮捕されている者については、その身体について凶器を所持しているかどうか調べることができる」と明記されています。このような条件にかなわなければ、職務質問において、どのようなものを所持しているか調べるために、身体検査的なことをすることはできないのです。私は、職務質問で身体検査など許される筈はないと思っていましたので、「何で私の体に触るんだ」と抗議しました。すると、彼らは鬼の首でも取ったように、「体を触ることは許されているんだ」というのです。私は、現場の警察官に一体誰がこのように教えているのか、興味があります。いずれ調べてみたいと思っています。

以上が職務質問についての逐条的な解釈です。この職務質問については、制定当時から強い反対がありました。私はまだ小さかったので詳しく知りませんが、昭和20年代に数次にわたる警職法闘争といわれる出来事があったと、歴史で学びました。戦前の「オイコラ警察」に対する恐怖からだったのでしょう。そのせいでしょうか、警職法第1条第2項は、次のような規定をわざわざおいています。

「この法律に規定する手段は、前項の目的のために必要な最小の限度において用いるものであって、いやしくもその濫用にわたるようなことがあってはならない」

警職法が定めた最大の手段こそ、職務質問なのです。したがって、「必要な最小の限度において用いるものであって、いやしくもその濫用にわたるようなことがあってはならない」のです。少なくとも私に対して行なわれた職務質問は、濫用以外の何ものでもありません。

★偶然は2度続けて起きない


さいとうたかをの『ゴルゴ13』は、私が学生時代から好きな劇画です。もう30年以上も続いている連載漫画です。その中の名作のひとつに、「偶然は、2度続けて起きない」といって、正体不明なターゲットを暴き出す作品があります。私が体験した職務質問を単なる偶然とみるか、考えてみました。そして、たまたま私が粗暴かつ無礼(私にいわせれば違法)な職務質問に引っ掛かったのではなく、このような職務質問が一般的かつ日常的に行なわれていることの証拠だという結論に至りました。

私は、このことによって、何の被害もありませんでした。むしろ途中からしたたかな観察者としての目をもちながら、彼らと対峙し行動しました。これは、私が弁護士であったために、職務質問というものの限界をおおむね知っていたからです。しかし、一般の人々が同じような知識をもち、冷静に行動できるかどうか問うた時、そのような人がいたとしても、非常に少ないのではないかと考えざるを得ませんでした。Due Process Of Law の精神は、まだまだわが国ではそんなによく理解されていません。

わが国では、テロへの恐怖は、まだそれほど切迫感がありません。しかし、犯罪の多発化や凶悪化には、多くの人が恐怖を感じています。かつてのような日本の治安に対する神話は、もはやありません。当然のこととして、警察には、その責任が問われています。日本の治安を守るためまた犯罪を検挙するために、警察官がその職務を遂行する上で多少の強権をふるうのは仕方ないのではないかという風潮が強くなっていることは、容易に想像できます。

そういう中で、今回のような職務質問がなされたのでしょう。しかし、このようなことが許されるようになれば、日本という国はあっという間に警察国家となることは明らかです。警察国家になった時、その国の国民がどういうことになるか、これもまた明らかです。残念ながら、日本の警察にも、日本という国家に対して、私はそれほど楽観的になれないのです。そのような考え方は、決して危険思想でもなんでもありません。そもそも、自由主義というのは、権力への不信から出発した思想なのです。

★強い警察の条件


私は、国家公安委員長の時に、「国民に信頼される警察になれ」と口酸っぱく訓示しました。強い警察というのは、国民に信頼されてこそはじめて作られるものだという私の信念からです。それは、長いこと政治をやってきた私の経験に基づくものです。選挙をいつも戦っている政治家は、有権者の信頼があってこそ選挙もできるし、政治も行なうことができると、私はいつも思ってきました。威光や権限で選挙をやろうなどと思ったら、とんでもないことになります。

自民党というと政権党であるために、いろんな権限や人脈や利権があり、それ故に強いと思っている人が多いのですが、実はまったく違うのです。自民党の中にもそう思っている人が多いですが、それは間違っています。政党にとっていちばん大事なのは、選挙です。その選挙にそんな考えで臨んだら、まず負けます。自民党がいちばん選挙に強いのは、自民党に対する国民の信頼が強くある時です。それがないのに、政権党ということを嵩にきて、組織を締め付けたり、脅しをかけたりしても、選挙に勝つことはできません。私は党の総務局長をしながら、このことを嫌というほど味わいました。

警察だって同じです。警察が権限をもっていることは、当然です。それでは、権限があれば犯罪の捜査ができ、検挙率を上げることができるかといえば、そうはいきません。国民に信頼されない警察には、情報も集まらなければ協力も得られないからです。国民の情報提供や協力がなければ、犯罪の捜査といえどもその実をあげることはできないのです。それは、他の警察活動でも同じです。しかし、権限の塊ともいうべき警察組織の中で育った警察官は、意外にこうしたことを知らないのです。国民に恐れられる警察が強い警察だ、と勘違いしている人も結構いるのです。だから、私は「国民に信頼される警察になれ」ということを強調したのです。

あなたは、あなたに対して私が受けたような、粗暴かつ無礼な職務質問を平気でする警察官に好感を持てるでしょうか。好感をもてない警察に、国民は果たして協力するでしょうか。日本の警察は、彼らが考えるほど国民に好感をもたれていませんし、信頼もされていないのです。しかし、彼らはこのことに気がついていません。不幸なことに、そんなものは必要ないとすら思っている警察官が多いのです。強い警察を作るための根本が分っていないのです。残念なことです。このことを指摘し監理するのが国家公安委員会の仕事なのですが、この公安委員会がまたこのことを分っていないのです。悲しい現実です。 (了)

補足:ドイツの法哲学者イェーリングについて
イェーリング Rudolf Von Jhering 1818-1892 歴史法学の立場からローマ法を研究、さらに法を社会における目的や利益の観点から分析・研究する必要性を説いたドイツの法学者。主著“ローマ法の精神"“権利のための闘争"“法における目的"等。法は究極的に個人の権利を保障するものであり、権利とは利益であると考えて、その基本的な部分の考え方を「権利のための闘争」という言葉によって表わした。「法の目的は平和であり、それに達する手段は闘争である」 (ダス・ツィール・デス・レヒト・イスト・デア・フリーデ,ダス・ミッテル・ ダーツー・デア・カンプ)
最終更新:2010年02月03日 05:07
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