日本国憲法第13条

第十三条  すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

 この条文は幸福追求権と言われています。また、自己決定権などもここから出てくるとされています。

 女性にとっては「生むか生まないか」という選択は自己決定権の代表的な例とされており、国民の多くの人はそれが女性の権利であると認識するようになっていますが、いろいろな側面で認めない人もいます。
 いまでも世界で中絶を認めない宗教は決して少数派ではなく、イスラム教はいまでもそうです。
 逆に「女性は生む機械」という発言も、逆の意味で、自己決定権を否定する考え方ともいえます。しかし、「少子化」が問題だというのは、多くの人が感じていることで、そうすると、「生む」ことに対する自己決定権と少子化は問題だという認識とは、どういう関係になるのでしょうか。

 「生む」のとは逆の「死ぬ」ことの自己決定権も大きな論点です。終末医療については、日本ではまだまだ自己決定権という形で行われていません。人工呼吸器を外すかどうかを、本人よりも家族の意思を確認する医者が多いという調査結果が先日だされました。日本ではドナーカードや終末医療を受けるかどうかの意思表示がほとんど普及していないこともあって、本人の意思よりは家族の意思を重視している傾向があるのです。
 そうすると、本人は無駄な治療はやめてほしいと思っても、家族の願いでチューブを巻かれた余生を送る人もかなりいます。

 公共の福祉とは、個人やグループの利益よりも公共の利益の方が大きいとき、個人やグループの権利を制限するときに使われる「論理」です。例えば新幹線の音が線路付近の住民の生活を乱すとしても、新幹線を利用する国民の利益の方が大きいときにはがまんせよ、ということです。
 これはいろいろな裁判で争われていることですが、具体的な事例で多面的に考える必要があります。
最終更新:2007年02月25日 22:49