寛政異学の禁

1790年(寛政2年)、江戸幕府老中松平定信が寛政の改革で行った学問の統制。


定信が柴野栗山(りつざん)の建言を入れ、儒学のうち農業と上下の秩序を重視した朱子学を正学とし、それ以外の学派を異学として聖堂学問所で教授することを禁止したもの。(当時流行していた古文辞学や古学を「風俗を乱すもの」として禁じた)

朱子学の官学化と教学統制を図る。




最終更新:2007年08月26日 09:25