かさこじぞうの授業案(観点)

 かさこじぞうは、いろいろなことを考えさせることができる。
1 じいさんとばあさんの「やさしさ」「まずしさ」「日々の努力」など。
 ふたりはまずしいけれども、けっしてそれでめげたり、悲観的になったりしない。工夫をして楽しくいきようとしている。
 もちを買うことができないので、夏とった材料でかさを作ろうと提案し、それをさっそく実行する。しかもせっせと作ってじいさんが売りにでかけるあたりは、年をとっていても元気で積極的な姿勢が現れている。また、もちが結局ないことになって、もちをついたつもり、つけものを食べてもちを食べているつもりになっている。
 やさしさはいたるところに現れる。じぞうにかさをかけてあげるところだけではなく、売ることができなくて、てぶらで帰ったじいさんを迎えるばあさんの姿勢。

2 一番考えるところは、じぞうがお礼をもってきたことの意味だろう。これを「いいことをしたら報われる」という単純?な道徳的な話にするか、あるいは、違う意味をこめるか。
 たとえばじぞうさんのお礼は「本当の話」なのか。
(1)話としては本当のこととして書かれている。
(2)「おゆをのんで休みました。」とあるのだから、夢の中の話だともいえる。なぜなら、あまりに現実性がないし、また、そのときの情景があまりに反応性が欠けている。

 さらに、いい正月になったのは、「お礼」のせいなのか、あるいは、「いいことをした」という満足感からなのか。

 ここらを討論させるといいかも。
最終更新:2007年03月26日 20:20