秋葉原の事件について


 2008年6月8日、日曜日の白昼、東京、秋葉原の歩行者天国で7人が死亡、10人が怪我を負うという凶悪な事件が発生した。事件を起こした犯人は25歳の派遣社員の男性であった。彼は中学時代までは勉強もよく出来、クラスの人気者であった。そして高校は県内でもトップクラスの進学校に進んだ。しかし、そこでは思うように成績は伸びず、劣等感を抱くようになったという。そんな彼は短大に進み自動車関係の勉強をした。その後は派遣社員として各地を転々としていたようだ。

 今回の事件の発生要因は何であったのだろうか。このような事件が起こった時、まっさきに取り上げられるのは家庭環境や生育歴である。この男性は幼いころから親の期待や周囲の期待に応えるために「いい子」を演じてきたという。この話からも彼が本当の自分を出せる場所は現実の世界にはなかったのだということが窺える。

 さらに、進学校という学業成績が物を言う環境の中で味わったプレッシャーや劣等感、そして希望通りではなかったが仕方なく進んだ短大での生活、納得することが出来ず、転々とした派遣社員としての生活。おそらく彼は自分の人生において安心や満足を得ることはなかったのではないだろうか。さらに追い打ちをかけるように、現在の職場でもリストラの動きが見られ、いつ自分が解雇されるかわからないという不安の中で生きていたのだろう。このように、環境によって積み上げられた感情の爆発が今回の事件を引き起こす1つのきっかけになったということもできる。

 また、事件当日、彼は静岡県から秋葉原へ向かう自らの行動を携帯電話の掲示板に書き込んでいた。彼にとって、携帯電話は生活の一部であったという。掲示板には日頃から不満や愚痴が書かれていた。交友関係が希薄であったため、感情を表せる場はネット上だけだったのかもしれない。

 しかし、今回の事件は単にこの男性が特異であったためだけに引き起こされたものであるとは言い難いのではないだろうか。家庭環境に不満をもつ者、進学校に通う者、そうでなくとも多大なプレッシャーの中で生きる若者は決して彼に限ったことではなく、現代社会には多数存在するのである。

 では、何が彼には欠けていたのであろうか。これについて私は他者との交流であると考える。彼は親や友人と心通う交流がなかったのである。その代りに、先にも述べたように、彼が感情を表す場所は携帯電話の掲示板であった。掲示板は彼の避難場所になっていたのではないだろうか。ネット上なら知り合いでなくても誰かが自分に関心を抱いてくれるだろう。そんな思いが彼にはあったのだと思う。しかし、当然、そこでも心の通う交流はすることはできなかった。他者から関心の持たれない不安や自分に対する劣等感。今回の事件はこの気持ちを満たすために、行われたのではないだろうか。全国に注目される自分、人の出来ないことをやってしまう自分、という理想像が事件を起こすきっかけになったのかもしれない。

 では、他者との交流を妨げているものは何であろうか。それは情報社会の歪みである。携帯電話はとても便利なものである一方で、それにまつわる事件も数多く発生している。携帯電話のみならず、インターネットを利用した他者との交流は情報を得たり仕事の効率化という面では有益にもなり得るが、過度の期待をすることによってそれは一転して不幸を招くだろう。情報社会の中で生きる子どもたちに現実世界とネット上の世界とをきちんと区別できる感覚を養うことが重要となってくるだろう。

 もちろん、今回の事件を起こした男性を情報社会の犠牲者とすることはできても殺人が許されることはない。命の大切さを知ることは人間として最低限度のことであり、ましてや何も罪のない人間を多数傷つけるという行為が平気で実行出来てしまうという点においてはこれまでの環境や教育に問題があったのではないかと投げかけられるだろう。
 けれどもやはり、現代社会に対するいらだちや不安を抱いているのは彼だけではない。実際に、彼の起こした事件に勇気づけられ、ネット上に殺人予告を掲載した大学生が閲覧した女性の通報により逮捕されたのだ。

 以上の点を踏まえて、私はこの事件は学歴社会と情報社会に対する警告であると考えた。親や周囲の過度の期待が子どもにプレッシャーを与え、それが本当の意味での親子の会話、ないし対人関係を阻害する。その一方で逃げ場は現実世界からネット上の世界へと移動し、そこでも欲求が満たされない場合、問題行動へと発展する。人と人との心の交流があったのならこのような事件を防ぐことができたのではないだろうか。そしてこのような逃げ場を作った情報社会の在り方をこれからは考えていかなくてはならず、単にネット上の書き込みを監視、規制するだけではなく、人と人との心の通ったコミュニケーションの取り方をもう一度、しっかり学んでいかなければならないのだと私は考える。

最終更新:2008年06月14日 15:34