「百万回死んだねこ」を取り上げた。授業の中での展開については、別途アップがあると思うので、この物語と基本的理念が同じであると考えられる名作「さまよえるオランダ人」の紹介をしておこう。
 「百万回死んだねこ」は、どんな飼い主もかわがってくれるが、ねこ自身はその飼い主が嫌いで、ちょっとしたことですぐに死んでしまう。しかし、すぐに別の飼い主に飼われている。そうして100万回死んだわけだが、あるとき飼われずにいて野良猫になる。りっぱな猫なので、たくさんのメス猫が求婚するが、「いまさら」と思ってとりあわない。しかし、あるとき、自分に関心を示さない白い猫に興味をもって、関心をひこうとするが、冷淡な対応をされるうちに、逆に惹かれるようになり、結婚して子どもがたくさん生まれる。そして、子どもや白い猫を愛するようになり、ずっと一緒に生きたいと感じるが、白い猫がやがて死に、始めて泣いたあと、ねこも息を引き取り、生き返ることはなかったという話である。作者は佐野洋子という人だ。

 実際の教材として扱うことを、まったく考えずに、以下のことを書いておく。
 ワーグナーの名作オペラ「さまよえるオランダ人」はハイネの名作詩を題材にしている。ワーグナーのオペラの筋を簡単にまとめる。

 ノルウェーへの帰郷の途中、船長ダーラントは嵐を避けて、ある港に停泊する。するとオランダ船が乗り付け、神の罰をうけたオランダ人は、永遠に海をさまよわねばならないが、7年に一度上陸して、その際真の愛を得られれば、救済されるという事情で、今その機会であった。オランダ人はダーラントに莫大な金銀宝石を見せ、娘と結婚させてほしいと申し込むと、財宝に目が眩んだダーラントは承知し、一緒に帰郷し、娘のゼンタに結婚するようにいう。オランダ人伝説を聞かされていた娘は、自分が救い主となる考えにとりつかれるが、婚約者のエリックに大反対される、その様子を見たオランダ人は、絶望し、出帆しようとするが、ゼンタは愛の証のために、入水し、オランダ人は救済される。

 では、このオランダ人の話と、百万回死んだねこは、どこが類似しているのか。

1 永遠に死ぬことができない。つまり、地獄を彷徨っている。
2 真実の愛,相手の死で、自身も救済される。

 100万年生きる、つまり、100万回死ぬというのは、もちろん、永遠に生きることであるが、それは幸福な生ではなく、嫌いな飼い主に飼われ、すぐに死んでしまうという繰り返しを課せられているということだ。明らかに、ねこは罰を受けている、罰の生を「生かされ」ている。そして、飼い主を「嫌う」という感情以外、ねこには感情がない。つまり、感情がないことが、罰を受けている原因であろう。
 しかし、あるとき、「嫌い」という以外の感情をもった。女の子に飼われて、間違って死に追いやられたとき、はじめて「ねこは しぬのなんか へいきだったのです。」と「へいき」という感情が示されている。これが転機となったのだろうか。それまで「嫌いな存在に飼われる」ことから、誰にも飼われないのらねこになる。100万回飼われたねこの最初の体験だった。「ねこは はじめて 自分のねこに なりました。」とされる。そして、ここでさらに積極的な感情が表明される。「ねこは 自分が だいすきでした。」「感情が欠落している」ために「嫌いな人に飼われて、すぐに死んでしまう」という罰を永遠に繰り返してきたねこが、じぶんのねこになったのは、「へいきだ」という、極めて弱い感情を示したからだろう。しかし、当初はまだ「消極的、否定的な感情」を示していたに過ぎない。求婚してくるめすのねこに「いまさら、おっかしくて!」と取り合わない。しかし、それは、「自分が 好きだった」からだ。そして、とうとう、他に関心を示さなかったねこが、自分に無関心な白いねこに、関心を示させようとアプローチをしかける。そして、次第に消極的だった感情が、積極的な感情に発展し、「いっしょに いてもいいかい」から、やがてたくさん生まれたこねこに「まんぞく」し、白いねこと「いつまでも 生きていたい」と思うようになった。
 しかし、その後、白いねこは死に、そして、100万回ないたねこもやがて死に、再び生き返ることがなくなった。

 オランダ人の「愛」とねこの「感情」は対応し、海を彷徨うことと、嫌いな人に飼われてすぐに死ぬことを繰り返すことは、対応している。そして、愛と感情を獲得したとき、永遠の救済である死を迎えると考えれば、このふたつの物語は、かなり正確に対応関係がある。(わけい)
最終更新:2008年07月28日 22:19