詩 「道」 草野心平


●導入

T:今日は「道」という草野心平さんの詩を紹介したいと思います。では、まず私が読むのでみなさんは目で追いながらイメージして聞いてください。


 「道」       草野心平
 いくどもいくども突きあたり。
 真空圏にのめりこみ。
 いくどもいくども。
 よろよろよろけ。
 たちあがり。
 よろよろよろけ。
 たちあがり。
 ああその果てに。
 己れの過信にどきりとし。
 行わざるものの。
 それは錯覚にすぎないと。
 よろけなどとはずいぶん立派なお話だと。
 天日のもと泪し。
 決意し。
 そして新しく行こうとします。
 わが行く道よ正しくあれ。
 石ころごろごろたりとも我が往く道よ大きくあれ。


T:では、次に誰かに読んでもらいましょう。○○さん、読んでください。
S:朗読
T:上手に読めましたね。さいごにみんなで読みましょう。
S:全員で朗読
T:3回読んでもらったので、なんとなくイメージができたと思います。はじめの感想を、ノートに書いてみましょう。・・・・・・誰か発表してくれる人?
S:最初は、ふらふらしていて大丈夫かな、と思いました。
S:すこし難しいところがあって、作者の伝えたいことがわかりにくかった。
S:最後は、決意をしていて、さわやかな気分になった。歩きだそうと思えた。

●展開

T:これからもう少しじっくり書かれていることを読み取っていきましょう。
  まず、はじめにこの詩を3つに分けるとしたらどこで区切ったら良いでしょうか。
S:いくども~たちあがり(1行目~7行目)
  ああその~よろけなど(8行目~12行目)
  天日のもと~石ころ(13行目~17行目)
S:いくども~たちあがり(1行目~7行目)
  ああその~天日のもと(8行目~13行目)
  決意し~石ころ(14行目~17行目)
T:今、2通りでてきました。これは、詩の内容を読み取ってから最後に考えることにしましょう。
  1つめの1行目から7行目から見ていこう。
  最初の「いくどもいくども突きあたり」とは、何に突きあたるのでしょうか。
S:困難、壁、辛いこと
T:次の「真空圏にのめりこみ」。この真空圏ってどんなところ?
S:真空パックっていうから・・・・・・空気がないところ、何もないところ、
T:「のめりこみ」ってあるけど、どういう時に使う言葉??
S:ゲームにのめりこむ、野球にのめりこむ、マンガの世界にのめりこむ、読書にのめりこむ
T:のめりこむってどういう状態?
S:熱中してる状態、もう抜け出せないっていう状態
T:なるほど。つまり、この詩は困難を感じながら何もない状態から抜け出せないっていう感じかな?
  じゃあそのあと、同じ内容が繰り返されてるね。ずばり、この詩のタイトル「道」から考えると、どんな道を歩いていることを連想するかな。
S:歩きづらい道、道を歩くのが大変そう・体力がないけど頑張っている感じが伝わる

T:では、次に2つめのかたまりを見ていきましょう。ここは少し分かりづらかったかな。
S:先生、過信ってどういう意味ですか?
T:過信とは、自分の能力を信じすぎてしまうことかな。自分ならできるできると思って失敗してしまったという時、過信していたといえるよね。他にはわからない意味はあるかな?大丈夫かな?
  ここでは「その」とか「それ」という指示語がありますね、これは何を示しているのでしょう?
S:「その」は、よろよろよろけ、たちあがったその後を示していると思います。
  苦労した後だと思います。
  何度もよろけてたちあがってを繰り返しているうちに。
T:「それは錯覚にすぎないと」の「それ」はどうかな?
S:「それ」はいくども突きあたってたってところだと思います。
S:何度も困難だと思ってたけど、実はそれは錯覚だったんだ。
S:「行わざるものの」っていうのは、何も行動してないってことだから、頑張ってきたつもりになってたってことで、それに気がついたのだと思います。だから、自分は頑張った気になってた!!と思い、、どきりとしたんだと思います。しまった!!みたいな感じで。
T:いろんな意見がでてきたね。では次の文の、「天日のもと泪し。」とあるけど、この泪にはどんな感情が込められているんだろうね。
S:つらいことだと思ってたことが、実はたいしたことない、錯覚だったと気づいて、これからもっと頑張らなくちゃっていう感じの嬉しさを表してる。
S:さっきの意見とは違って、困難だと思ってた自分が情けなくなって泣いたんじゃないかな?
S:甘えてた自分に腹が立って、悔しくて泣いたんだよ。
T:ここはいろんなことが考えられるね。
T:そして、いよいよこの人は決意するんだよね。「新しく行こうとします」。
S:どうしてこの文だけ「~します。」っていう終わり方なんだろう?
S:誰かに宣言してる感じがするね。
T:そうだね、どうしてかな。今までの流れは、自分の頭で思っていたことを述べていたけど、この一文は、他の人にも「新しく行こうとしているんだよ」って呼びかけている印象を受けるね。
  そして、再び、「わが行く道よ正しくあれ。」というように、今度は道への期待感が感じられるね。
  この「正しく」とは、何を示したかったのかな?
S:悪いことするなよって自分に言い聞かせてるのだと思います。
S:さっきは厳しい道のりだと錯覚してたけど、これからは錯覚するなよって思いが込められていると思います。
T:じゃあいよいよ最後の文。「石ころごろごろたりとも」、この道はどんな道だろう。
S:険しい道、歩くのがつらい道。
T:最初の道とは違うのかな?
S:違う。
T:どのように違うのかな?
S:最初は、過去に歩んできたことを思い出してて、最後は、これから自分が進んでいく未来の道だから違うと思います。
T:それもいい見方だね。
  では、最初にこの詩を3つに分けるとどうなるかってことを考えて、2つの意見がでました。詩を読み進めていって、こっちの方がいいんじゃないかな、など感じたことはありませんか?
S:読んでいると、13行目の「天日のもと泪し。」は、後ろの「決意し。」と終わりの音が「し」で同じだから、その方がきれいに読めると思います。
S:泪は、錯覚していた情けなさと、決意した嬉しさという意味があったから、これは両方の気持ちを考えると、次の「決意し。」と同じ方がいいと思います。
T:きちんと理由を踏まえて意見を述べることができましたね。よって、この詩を3つに分けるとしたら、3つめは「天日のもと泪し。」から最後までになるということが分かりますね。

●整理

T:ここで、今日の授業のふりかえりをしましょう。
  1つめのかたまりでは、何度も困難に突き当たり、だんだん何してるんだろうというような無の状態になりながらも、よろよろよろけてはたちあがり、必死に前へ進んでいる様子が読み取れました。これは過去を振り返っているんじゃないか、という意見もありましたね。
   そして、2つめでは、そのようなことを繰り返しているうちに、自分が己の事を過信していたんだと気づいたんだよね。苦労しながら頑張ってきた、それなりのことをやってきたんだ、と思いこんでいたってことにね。立ち止まって考えてみると、という現在を表しているようにも感じられるね。そしてその後、それに気づいたことによって、悔しいような嬉しいような泪を流して、新たな歩み方を決意したんだね。
   私がこの詩を読んで、感じたことは、「道」というものは自分自身の前にあるものがすべてではなくて、自分がその道に対してどのように見るかという捉え方を変えることによって、どんな険しい道も進むことができるんだ、ということを示しているように思いました。
   みなさんは様々な可能性をもっています。そして、これから先、たくさんの壁に突き当たるでしょう。でもね、そんな時はこの詩を思い出してください。どんなにつまらない、苦しいと思うことであっても、少し立ち止まって冷静に自分を振り返り、自分の「道」をしっかり見つめて一歩一歩、歩いて行ってください。
   詩は人によってとらえ方が様々だと思います。最後に、今日の学習のまとめとして、感想をノートに書いてください。初めの感想とどのように変わったかな。何人かに発表してもらいましょう。
S:初めは、暗い印象の詩だと思ったけど、深く読んでいくうちに前向きな詩だと感じた。
S:自分も、頑張ってきたんだと過信ばかりせずに、これからも努力して進んでいきたいと思った。
(はじめの感想に比べ、作者の意図を自分自身に置き換えて感想を述べることができるようになる。)
T:この詩は「道」というタイトルでした。「~の道」というように、自分で書き加えるとしたらどんな道を想像したでしょう?これをノートに記入して、今日の授業を終わりましょう。
S:人生の道、私の道、歩く道、未来への道・・・・・・



最終更新:2009年02月17日 12:30