当時の中曽根内閣により設置された「
臨時教育審議会」は、個性重視の原則を掲げ「生涯学習体系への移行」「開かれた学校」を提唱する一方、共通テスト、六年生中等学校、教員の
初任者研修、大学審議会の創設など教育制度全般にわたる改革の方策を示し(熊谷,2005)、教育の自由化・個性化の流れを作った源流である。(岩木,2004)
これは、第1次答申(1985年6月26日)に表れる次のような懸念から出発している。
「我が国の教育は(中略)全般的に知能水準の高い国民が育成され(中略)他方、記憶力中心で、自ら判断する能力や創造力の伸長が妨げられ、個性のない同じような型の人間を作りすぎている(中略)制度やその運用の画一性、硬直性による弊害が生じている」
最終更新:2013年03月04日 16:11