石上宅嗣(いしのかみ かやつぐ)
天平元年(729年)-天応元年6月24日(781年7月23日)
奈良時代後期の公卿・文人。祖父は石上麻呂。父は石上乙麻呂。
[経歴]
761年(天平宝字5年)遣唐使の副使に任命されたが、唐にわたることなく辞任している。大伴家持らとともに藤原仲麻呂を除こうとして失脚するが、その後の道鏡政権で復権する。
770年(宝亀元年)称徳天皇が没した時、参議として藤原永手などとともに光仁天皇を擁立、中納言を経て、大納言正三位にいたる。
781年(宝亀12年)に没し、その後正二位に送られた。
漢詩人としても名高く、詩が「経国集」に収められている。
仏道にも通じ、「浄名経讃」「念仏五更讃」を著している。
旧宅に阿閦寺(あしゅくじ)を建立し、その片隅に書庫を設け、芸亭(うんてい)と名づけ、主として仏教経典以外の下典を一般に公開した。
芸亭は一般には我が国最初の公開図書館とみなされているが、平安時代の初期には人材を輩出していることから私学的性格を有する教育施設とする説もある。
最終更新:2007年05月04日 11:54