空也 903年~972
平安中期の僧。
諸国を遊行したのち、念仏の功徳を庶民層へ布教、市聖・阿弥陀聖・市上人と呼ばれ、民間における浄土教の祖とも評価される。
※浄土教は、阿弥陀仏を信仰し、来世において極楽浄土に往生することを願う教えである。10世紀なかばに、京都市中でこれを説き、積極的に民衆の中に入った。
[経歴]
尾張国の国分寺で出家。
南無阿弥陀仏の名号を唱えながら道・橋・寺などを造るなど社会事業を行い、貴賎を問わず幅広い帰依者を得る。
938年には京都で念仏を勧める。
948年には比叡山で座主延昌のもとに受戒したが、
天台宗よりもむしろ奈良仏教界、特に三論宗との関わりが強いという説もある。
951年、十一面観音像ほか諸像を造立(六波羅蜜寺に現存)。
また、950年より金字大般若経書写を行い、963年には鴨川の岸にて大大的に供養会を修する。
これらを通して、藤原実頼ら貴族との関係も深める。
門弟は、高野聖など中世以降に広まった民間浄土教行者「念仏聖」の先駆者となり、鎌倉時代の一遍にも大きな影響を与えた。
京都六波羅蜜寺に鎌倉時代、康勝作の木造がある。
最終更新:2007年05月04日 11:55