稲毛金七


教育者。山形県出身で、地元の小学校で教師をやっていたが、のちに早稲田大学文学部に入学し、ドイツに渡って教育学を勉強する。帰国後は、早稲田大学教授となり教育学を講義した。

大正時代の八大教育主張と称される援説で、『人生は創造である』と創造教育論を主張し、形式的な注入教育を批判した。
最終更新:2007年03月20日 16:03