大原幽学(おおはら ゆうがく) 1797~1858
幕末の農民指導者。
尾張藩士を辞しし、歴遊の後、天保・嘉永・安政にかけての混乱した世相の中、長部村(ながべむら)、現在の千葉県旭市を中心に房総の各地をはじめ信州上田などで、農民の強化と農村改革運動を指導し大きな業績を残した人物である。
長部村を拠点に、先祖株組合という農業協同組合(組合委員が一定の田地を出し合い、これから生ずる収益を積み立てて、農機具や生活用品の共同購入などして困った人々を助ける仕組み)を世界で初めて創設した。
道徳と性学(日ごろの道徳と暮らし方)を説き、農民や医師、商家の経営を実践指導し、
先祖株組合の創設の他に、農業技術の指導、耕地整理、質素倹約の奨励、博打の禁止など、農民生活のあらゆる面を指導した。
(相互扶助を説き、農村復興を指導)
1851年建設の、改心楼(性学の教導所)を中心とした強化活動に心良く思わなかった当時の関東取締出役は性学指導を弾圧するようになり、遂には1852年、農民の行き来を怪しれて幕府に取り調べられ、1857年に押込百日を言い渡される。
翌年、墓地で切腹して死亡。国指定の史跡の旧宅が残っている。
最終更新:2007年05月04日 14:55