第二次世界大戦後、
戦前の水平社運動
(「吾々に対して穢多及び特殊部落民等の言行によって侮辱の意志を表示したる時は徹底的糾弾を為す」とした、各地で糾弾闘争を展開し、社会に存在している差別の不当性を徹底的に明らかにした糾弾闘争主導の時代)
を引き継ぐ形で1946年(昭和21年)、
部落解放全国委員会が結成された。
経済面での解放運動を中心としていたが、その後、オール・ロマンス事件がおこり、行政の問題も重要だとして行政闘争を展開するようになった。
そして、1955年(昭和30年)、名称を
部落解放同盟と改称し、運動の大衆化を進めていった。
最終更新:2007年05月04日 17:51