1.ラジウムが放射能の形で大量のエネルギーを放出し続けていること
2.電磁理論が必要とする静止エーテルの仮定は運動の相対性の原理に反する
3.電子の質量が速度によって変化するという理論的・実験的結果
4.Brown運動は、エントロピー増大則を覆す
5.熱輻射のスペクトル分布の問題
W.C.Rontgen (1845-1923) 多くの不透明体を透過する→医療への応用・物理学解明
H.Becquerel (1852-1908) ウランの放射能
Curie夫妻 (Pierre, 1859-1906, Marie, 1867-1934) ラジウムの放射能
元素の不変性が崩れ、放射性変換説へ
P.Zeeman (1865-1943)が発見し、Lorentzが理論的説明を与えたZeeman効果により、電子の比電荷を得る
J.J.Tohmsonは、陰極線のもつ粒子性の確認より電子の比電荷を得る
この二つの一致により、原子より小さな概念を確認→電子は水素原子より遥かに小さな質量をもつ
E.Rutherford (1871-1937)は、ウランの放射線をその透過能の大小によってα線・β線の二つに分類
Curie夫妻はβ線が磁場で曲がることより負電荷を運ぶことを証明
Becquerelはβ線の比電荷を測定し、β線が電子から成る事を証明→元素の原子は不変でない
1903年、RutherfordとF.Soddy (1877-1956)は、放射性生成物の綿密な科学的分析により、放射性の元素は放射線を放出することによって他の元素に変換される事を確認
1913年、SoddyとK.Fajans (1887-)は周期律とは独立に変位則を発表、アイソトープ(同位元素)の存在を実験的に証明
E.Mach (1838-1916)は1883年の『歴史的・批判的に述べた力学の発達』で、
科学とは「頭脳の最小の労力をもって事実をなるべく完全に言い表そうとするもの」であり、
「最も広い範囲において成立し、また最もよく経験を補いうるところの思想」が最も科学的な思想であるとした
Machは著書の中で、分子の知覚性の無さを指摘し原子論を否定
G.Helm (1851-1923)は、仮説的な物理量を導入せずに原子についてのエネルギー・圧力・温度などの直接観測可能な物理量のみを用いて現象を記述することを推奨
→Energetik (エネルギー論)
Boltzmannらは原子論をもってエネルギー論に反論
反原子論者のMachは、α線が蛍光板にあたって発する閃光を自ら観測して原子を認め、
Ostwaldは、Brown運動についてのPerrinの研究を前にして、ついに分子の存在を認めざる終えなかった
1912年、M.von Lave (1879-1960)のX線回折の発見によって結晶格子を実験的に決定する方法を確立
「X線が波長1Å程度の電磁波」である事を、立方格子による回折の理論を展開して実験的に確証
1905年、P.Langevin (1872-1946)の常磁性の理論では、P.Curieの行った磁化率の温度変化の研究(Curie点の発見)を念頭において、気体運動論から磁性を論じる
P.Weiss (1865-1940)は、自発磁性の概念を導入し強磁性を論じる
ただ、Langevin理論によると、統計力学では磁性は常にゼロとなり、
Weiss理論によると、自然磁化の原因として想定された分子場の起源を説明できなかった
E.RieckeやP.Drude (1863-1906)により展開された
特にDrudeは金属内に多数の熱運動する自由電子が存在すると仮定し、1853年のG.H.Wiedemann (1826-99)とR.Franz (1827-1902)の見出した熱伝導率と電気伝導率との比が一定であるという法則を導く
Lorentzは、自由電子にMaxwell分布であてはめて理論を精密化しようとしたが、Drudeの温度ゼロの仮定よりも実験との一致が見られなかった
量子理論への重要なきっかけとなった研究分野
1859年、Kirchhoffの法則では輻射能と吸収能の比は温度のみの関数であった
J.Stefan (1835-93)とBoltzmannは、熱輻射の全エネルギーが絶対温度の4乗に比例する事を証明
W.Wien (1864-1928)の変位則やM.Planckの分布式、そして輻射を出す振動子の概念は量子仮説を呼ぶ
振動子がある決まった大きさのエネルギー又はその整数倍ずつのエネルギーしか持ち得ない
Planckの量子仮説についてEinstein がその深刻な意味を見抜いた
彼はこの分布式から、光の不連続性つまり粒子性を持つことをよみとった
1904年にLorentzが到達した理論は、数学的には後の特殊相対性理論と全く同じものであった
これに対しEinsteinは、原理的に相対性原理が成り立つべきだとし、Maxwell方程式の形を保持しつつ時間・空間の概念を変更することに解決を求めた
数学者のH.Minkowski (1864-1909)は、相対性理論の4次元的定式化を与えて時間と空間を一つに融合した4次元多様体を把握すべきことを主張した
I.Kantが言ったような時間・空間がアプリオリな存在でなく、経験に即するように作り上げるべきものと認めなければならなくなった
量子論はPlanckによって初めて導入されたが、1920年代になりEinsteinとN.Bohr (1885-1962)の手によって物理学の舞台の前面へ
Einsteinは、光の粒子性が蛍光現象と光電効果を生み出すことを示唆
これを、固体を作る原子の熱振動の場合に置き換え、比熱に関する新しい理論を展開
量子論は主として電磁波の輻射だけに関係するものだと考えられてきた
1913年、Bohrは原子構造論にて量子論こそが原子の世界を解明する最重要の鍵である事を示唆
J.J.Thomsonの原子モデル「原子は一様に広がった正電荷の球である」に反し、Rutherfordはα粒子が二価の陽イオンである事を証明し、その直径は原子全体の10万分の一しかないという結論に達する
Bohrの導出した原子構造は、水素スペクトルをもとに、定常状態とその間の遷移という二つの根本仮定に基づいたものであった
Bohrの定常状態の概念は、従来の物理学理論とは全く両立しないものであったが、J.Franck (1882-1964)とG.Hertz (1887-)によって実験的に証明
Bohr自信はこれが過渡的なもので微視的世界を記述するには全く新しい理論(対応原理)が必要であると自覚していた
この思想は1925年になりW.Heisenberg (1901-)のマトリックス力学として結実
これにより、実験事実に直接対応する原子の全エネルギーや遷移確率そのものを求める方法が追求された
Einsteinが指摘した光の二重性は、L.de Broglie (1892-)の物質波仮説を糸口として考えられた
E=mc^2という式の中に、「物質とエネルギーとが互いに同一実在の二つの側面」である事を見た
1923年には、光の粒子性とは逆の立場の物質粒子の波動性を、『波長が運動量に反比例する』という仮説によって提案した
1926年、E.Schroedinger (1887-1961)の波動力学で、波動方程式が定式化
Hamiltonの特性関数の理論において、力学と光学の理論形式が統一されている事に注目し、波動光学との類推から物質波の波動力学を根拠付けた
P.Jordan (1902-)とP.A.M.Dirac (1902-)によって変換理論が開拓
Schroedingerの理論と共に量子力学が誕生
これに対しEinsteinは「波束が瞬間的に収縮する」ことを指摘し、波動関数の表す波の実在性を否定
こうして保持しえなくなった波動方程式の実在波解釈に代わって、M.Born (1882-1970)の確率解釈が受け入れられるようになった
1928年、G.Gamow (1904-1968)のα崩壊の理論の成功によって、この事はめざましく示された
Bornの解釈の根底では、電子は古典力学におけるそれと同じように「一定の軌道を描いて運動しており、その軌道が一義的・因果的に決まる」のではなく、「軌道は確率的にしか与えられない」と考えがあった
この考え方は、確率の干渉や物理的に電子が存在しない場所においても波動関数が0でないなどのパラドックスに到る
Heisenbergは、古典物理学的概念の微視的世界への適用について厳密な検討を加え、不確定関係という画期的結果を得た
不確定関係は古典力学的概念の有効範囲と限界を具体的に規定するものであった
BohrのComplementarity(相補性)の考えでは、これらの結果を自然認識の構造についての考えにまで発展させ、一貫した量子力学の解釈を行った
物理系の状態を定義するには外部からの影響を除去することが必要であるが、作用量子の存在のためにどんな観測もできないことになり、とりわけ現象の時間・空間の枠の中での記述は意味を失う
また、観測が可能なように系と測定手段との偶然の交互作用を許すものとしても、系の状態を一義的に定義することは事実上不可能になり因果性を唱えられない
これらの二つは相補的でありながら、しかも互いに排除しあう特質とみなすことで満足しなければならない
相補性の観点から、もはや光の二重性も矛盾でないことが示唆された
つまり我々が減少を把握するには、古典的な言葉に頼らざるを得ないという事から生ずる摂理であり、
反対に相補性は我々の自然記述の原理なのである
1926-7年に、de Broglieは『pilot waveの理論』を唱え、因果的記述を確保しようとした
電子は本当はある非線型方程式に従うだけであって、量子力学はそれへの近似理論にすぎないという観点をとった
1952年にD.Bohmによってこの考えは復活した
Einsteinは、1927年のSolvay会議以来、量子力学の不完全性を主張し続けた
量子力学では基本方程式と実験によって得られる知識とが分離され、その間は確率によってつながれる
19世紀までの科学が信じて疑わなかった、「我々のもつ理論が、そのまま直接に実在そのものに合致している」という前提は、量子力学の出現によって決してアプリオリに普遍的に妥当するものでない事が示された