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産業革命以後の科学

産業革命以後の科学

産業革命

紡績機の発見と実用化に伴い、水力に代わる動力源が要求される→蒸気機関
原動機や作業機として広く機械が用いられると、
次に機械を作る機械の発達、またそのような産業の発展が促され、さらには製鉄業の需要を生んだ
1807年に蒸気船、1829年に蒸気機関車が生まれる

蒸気機関

ホイヘンスのアイデア 火薬の爆発力を利用
助手のPapin (1646-1712)は蒸気圧機関を試作、T.Newcumen (1663-1729)が大気圧機関を完成
J.Watt (1736-1819) これらを飛躍的に改良、工業的原動機へと仕上げた

月光協会

バーミンガムのLunar Society
Erasmus Darwin (1733-1804, Charlesの祖父) 進化論・断熱膨張の発見
J.Preistley (1733-1804) 酸素の発見
J.Dalton (1766-1844) 近代原子論

メートル法

パリの科学アカデミー Lagrange, Laplace, Borda, Condorcet, G.Mongeからなる委員会にて決定
秒振り子の長さが基準にはふさわしくない
地球の子午線の長さを40000kmとする基準を作り、1799年12月にメートル法制定

科学技術学校

1772年のフランス革命 Lazare Carnot (1753-1823)は砲身や火薬の生産法あるいは軍隊の創出などあらゆる面で貢献した
このような経験から革命政府はさらなる多くの科学者・技術者の育成に乗り出した

エーテル

一種の流体だと考えられていた「電気」と「磁気」の概念は、さらに広範囲の現象を数理化する為又はできるだけ統一的な理論的把握を目指す為に、「原子」と「エーテル」の概念が実体として導入されていく

元素

古代Aristotelesによって挙げされた4元素説は、Boyleにより否定される
Lavoisierは、科学変化の単位として元素の概念を導入 質量保存則を前提
しかし、彼の元素群には「光」と「熱素」まで掲げられていた
J.J.Berzelius (1779-1848)の電気的二元説は、後々の混乱の基となる

原子量と周期律

A.Avogadro (1776-1856) 全ての同体積の気体は等温等圧のもとで同数の分子を持つ 1811年
彼の死後S.Canizzaro (1826-1910) 重要性を示唆
L.Meyer (1830-95), D.I.Mendeleef (1834-1907) 独立した周期律を発見

熱の運動説

1738年にDaniel Bernoulliによって定義された「圧力」の概念
J.Herapath (1793-1868), J.J.Waterston (1811-83), J.P.Joule (1818-89), A.Kronig (1822-79), R.Clausius(1822-88), J.C.Maxwell (1831-79)によって統計的に展開され、平均操作の概念が導入

熱力学第一法則

N.L.Sadi Carnot (1796-1832) 熱と仕事の相互転換が議論され、Jouleによりエネルギー恒存則が編み出された

熱力学第二法則

Carnotサイクルにおいて「熱の仕事への転化のために何故温度の違う二つの物体が必要なのか?」
この問題は、Clausius, Lord Kelvin (1824-1907)らにより、エントロピー増大則の発見を呼ぶ

統計力学

L.Boltzmann (1844-1906) エントロピー増大の不可逆性と気体運動論の基礎である力学の可逆性の対立を、力学に立脚した立場でBoltzmann方程式を導きH定理を証明
しかし、これらの結論は力学的因果性のみから導かれるものではなく、確率的な法則であった
Maxwellは、この分子集団の確率的振る舞いを熱力学に対応させながら理論化させる試みをはじめた
1902年、J.W.Gibbs (1839-1903) 『統計力学の基礎的諸原理』において完成

大陸派電気力学

W.Weber (1804-91)は、あらゆる電磁現象を、互いに中心力を及ぼす電気粒子の運動によって論じようとした

電磁場の理論

電磁現象を空間に充満する媒質(エーテル)の作用によって理解しようとする探求から始まったエーテル仮説は、HookeやHuygensが光の運動論の基礎においたのをはじめ、説明のつかない現象に説明を与えるための便利な仮説として利用された

光エーテル

17世紀にHuygensによって述べられた「光の波動論」は定性的な考察にとどまり、18世紀には「光の粒子論」がむしろ支配的であった。
T.Young (1773-1829)はNewton環の測定をもとに干渉の原理を打ちたて、
A.J.Fresnel (1788-1827)は光の直進・回折・偏り・結晶内の光の伝播の数学的理論をつくりあげた
この中で光の波を伝える振動する実体としてエーテルを考えていたが、Fresnelによって光が横波であることが明らかにされ、このエーテルは固体的な弾性をもつとみなせねばならなくなった

電磁現象とエーテル

大陸派の電気力学と共に、FaradayとMaxwellにはじまる
空間を占める媒質を主役として、電磁現象を見る
Maxwellが「光が電磁波」であることを結論したことによって、電磁的作用の媒体として想定されたエーテルは、光エーテルと同一視されることとなった
さらにH.Hertz (1857-94)が電磁波を実験的に作り出すのに成功し、エーテルの存在が完全に証明されたかのように考えられた

エーテル一元論

20世紀初頭までには、これらのエーテルの仮説はあまりにも受け入れられ、世界の唯一の究極たる実在はエーテルである、ともされた

エーテルと物質

エーテルをめぐって最も深刻だった問題は、エーテルと物体の運動との関係だった
これに対してのFresnelの静止エーテル仮説は、エーテルと普通の物質とか力学的に見て互いに完全に独立であることを意味していた
しかし、物体内の電磁現象は、その物体をつくっている物質の種類や状態によって影響される電磁現象の担い手である
エーテルと普通の物質の間には、何らかの相互作用がなければならなかった

電子論

1890年代に入り、H.A.Lorentz (1853-1928)は物質が荷電粒子から成り、この粒子のもつ電荷を介してエーテルと電磁的な相互作用をするとした
しかし、電子論の根本的前提からすれば、エーテルに対して運動する物体の内部では、新しい光学的・電磁的現象が生じるのを観測によって見出すことができるはずだった

二つの雲

Kelvinの1902年の発言
「いまや物理学は、地平線上に小さな雲が二つ見られるほかは、きれいに晴れ渡った青空にも比せられる」
しかしながら、まもなく消散するに違いないと信じられていた二つの雲はだんだん広がって、やがて嵐を呼び起こす事になるのであった
一つ目の雲 エーテルと運動の問題
二つ目の雲 熱輻射のスペクトル分布の理論的決定
Kelvinは、エネルギー等分配則が熱輻射において矛盾に導かれることを示唆した

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最終更新:2007年11月15日 07:23