◇特集 悠仁親王は「猿のぬいぐるみ」! 「陛下のガン」も笑いのネタにした「皇室中傷」芝居

その瞬間、あまりの下劣さに観客も凍りついた。
11月19日、日曜日。 東京の日比谷公会堂で開かれた『週刊金曜日』主催の「ちょっと待った!教育基本法改悪 共謀罪 憲法改悪 緊急市民集会」である。

会場を埋めた2000人近い観客の前で、悠仁親王は「猿のぬいぐるみ」にされ、天皇陛下のご病気もギャグにされる芝居が演じられた……。

その日、東京は冷たい秋雨が降っていた。 高橋尚子が参加した東京女子マラソンがあり、交通規制が都内に敷かれていたその時間に、日比谷公園の一角にある

日比谷公会堂でそのイベントの幕は開いた。

安倍政権への対立姿勢を鮮明にする左翼系週刊誌の『週刊金曜日』が主催する緊急市民集会である。

同誌の本多勝一編集委員の挨拶から始まった集会で、問題のパフォーマンスがおこなわれたのは、午後2時半頃からである。

司会を務めるのは、同誌の発行人でもある評論家の佐高信氏だ。

「えー、今日は特別な日なんで、とても高貴な方の奥さんにも来ていただきました。この会場のすぐ近く、千代田区1丁目1番地にお住まいの方です」

佐高氏がそう言うと、舞台の右袖から、しずしずと美智子皇后のお姿を真似たコメディアンが出てきた。

黒いスカートに白のカーディガン、頭には白髪のかつらと、帽子に見立てた茶托を乗せている。

そして、顔は顔面だけおしろいを塗って女装をした男である。

会場は、拍手喝采だ。

「本日は雨の中、多くの国民が集まっている中、なんの集会だかわかりませんが」

と切り出すと、大きな笑いが起こった。

「そう言えば、先日、主人と一緒に、ソフトバンクの王貞治監督にお会いしたんです。

王さんは“日の丸のおかげで優勝できました”と、仰っていましたが、この人が日の丸のおかげなんて言うのは、おかしいんじゃありませんか?」

そう言って、コメディアンは笑いをとった。先日の園遊会で、王監督が、天皇陛下に話した内容を皮肉ったのだ。

続けて、

「そう言えば、去年は皇室典範を変えるとか変えないとかで、マスコミがずいぶん騒がしかった。でも、ウチの次男のところに男の子が生まれたら、それがピタッとおさまっちゃいましたね」

と悠仁親王のことを話題に。

そして、

「今日は、実はその子を連れてきているの。ちょっと連れてきて」

と言うと、スタッフが舞台の下からケープに包まれた赤ちゃんの人形のようなものを壇上の“美智子皇后”に無造作に手渡した。

よく見ると、猿のぬいぐるみである。

“美智子皇后”は、そのぬいぐるみに向かって、

「ヒサヒト!ヒサヒト!」と声をかけながら、その猿の顔を客席に向けたり、ぬいぐるみの腕を動かしたりする。

場内は大爆笑。

大受けに満足の“美智子皇后”の芝居は続く。

やがて、抱いている猿のぬいぐるみに向かって、

「ヒサヒト! お前は、本家に男の子が生まれたら、お前なんか、イーラナイ!」

と叫んで、舞台の左側にポーンと放り投げるパフォーマンスが演じられた。

だが、このシーンで場内は静まり返った。

若者の中にはクスクスと笑いを漏らす者もいたものの、さすがにここまで来ると観客の大半が凍りついてしまったのである。

そして、ここで登場したのが『話の特集』の元編集長でジャーナリストの矢崎泰久氏と、作家であり、タレントでもある中山千夏さんだ。二人は何十年もの間、行動を共にしている“同志”である。

★静まりかえる観客

「これはこれは、さる高貴なお方の奥さんではないですか。その奥さんにお聞きしたいことがあるんです」 と、矢崎氏。

「天皇なんてもう要らないんじゃないですか。天皇なんてのは民間の邪魔になるだけでしょ?」 と聞く二人に“美智子皇后”は、

「あら、アタシは民間から上がったのよ」と、応える。

中山女史が、

「そもそも天皇になれるのが直系の男子だけという方がおかしいでしょ? 男でも女でも、長子がなれるようにすべきじゃないでしょうか。それで、ハタチぐらいになったら、本人の意志で天皇になりたければなり、なりたくなければ一般人になってそれで終わり。普通の市民のように選挙権も持てるようにすればいい。 そうしていけば、天皇家というウチはなくなります」

と、持論を展開。

すると、矢崎氏が、

「そう言えば、今日はご主人が来てませんね?」と“美智子皇后”に尋ねる。

「ハイ」

「どこか悪いの?」

と、矢崎氏。

「ハイ。知っての通り、病でございまして。マエタテセン?じゃなかった、えーと、あ、そうそう、前立腺を悪くしまして。あまり芳しくないのですよ」

「それはご心配でしょうねえ」

「そうなんです」

そんなやりとりが続いた後、突然、矢崎氏が、

「それであっちの方は立つんですか?」

と、聞く。

“美智子皇后”は面食らいながら、

「私の記憶では……出会いのテニスコートの時は元気でございました」と、応える。

場内はシーンと静まりかえった。

天皇のご病気までギャグにされたことで、さすがに観客がシラけてしまったのだ。

「笑い声なんてなかったですよ。何て下劣なことを言うのか、と思わず拳を握りしめてしまいました」 と、当日、イベントに参加した観客の一人がいう。

「その後も園遊会で来賓とお話をする両陛下の物真似で、笑いをとっていましたね。憲法や教育基本法の集会だと思っていたのに、結局、この人たちがやりたかったのは、安倍晋三のこきおろしと、皇室を中傷することだけだったんですね」

だが、あきれるばかりの内容は、まだ続いた。

今度は、元放送作家でタレントの永六輔氏が舞台に登場。永氏は、

「ここ(日比谷公会堂)は、昔、社会党の浅沼稲次郎さんが刺殺されたところなんです」

「君が代は、実は歌いにくい曲なんですよ」

などと語り、アメリカの「星条旗よ永遠なれ」のメロディーで『君が代』を歌うというパフォーマンスを見せるのである。

当日、集会に来ていた白川勝彦・元自治大臣がいう。

「永六輔さんが、はっきりとした歌声で、君が代を『星条旗よ永遠なれ』のメロディーで歌いました。

うまかったので、自然に聞こえましたよ。へえ、こういう歌い方があるんだ、とびっくりしたというか、妙に感心してしまいましたね」

君が代を『星条旗よ永遠なれ』のメロディーで歌う──

それは、この緊急市民集会とやらの“正体”がよくわかるものだったのである。

★“反権力”に酔う人々

今回“美智子皇后”を演じたのは、劇団『他言無用』に所属する石倉直樹氏(49)である。

永六輔氏に可愛がってもらって、全国各地のイベントで活躍している芸人だ。

「僕たち(注=メンバーは3人いる)は、テレビではできないタブーに切り込む笑いをやっているんです。

持ちネタは、色々ありますよ。杉村太蔵や橋本龍太郎、それに創価学会だって、やってます」 と、石倉氏がいう。

「中でも最近は美智子様の芸が目玉になってきてますね。実はお笑い芸人として活動を始めた頃、ちょうど昭和天皇がご病気になって、歌舞音曲慎め、と仕事が次々キャンセルされたことがありましてね。 その時、これはおかしいぞ、と思いました。16年経った今も、お世継ぎがどうのこうの、とやっている。何とも言えない怖さを感じます。美智子様のことは好きなんで、出来ればキレイに演じたいんですけどね」

悠仁親王を猿のぬいぐるみにしたことには、

「この小道具はよく使うんです。普段は、名前をそのまま言わないんですが、あの集会では、ついフルネームで言ってしまいました。(ご病気については)矢崎さんと中山さんに下ネタをふられ、乗せられてしまいました。僕は基本的に下ネタは好きではない。永六輔さんには以前、永さんがやっておられた渋谷の劇場にも出させてもらいましたし、去年は沖縄公演にも京都のコンサートにも出させてもらいました。 京都では、僕が皇后で、永さんが侍従の役で、色々やりましたよ。 僕自身は、これを(市民)運動としてやっているつもりはないし、あくまで自分が面白いと思うことをやっているつもりです」

お笑い芸人としてタブーに挑戦する──石倉氏は腹を据えて演じているらしい。

だが一方、司会を務めた佐高氏の反応は全く違う。

「皇后を中傷する劇? いやいや、そもそも劇の中で皇室なんて一言も言ってませんよ」 と、こう語るのだ。

「あくまで“さる高貴なお方の奥様”としか言ってないんですから。だから皇室の中傷などではありません。 それは受け取る側の見方ですから、こちらがコメントする理由はありませんよ。そんなこと言うなら核議論と同じで、こっちも封殺するな、と言いたいですね」

永六輔氏は、何というか。

「僕はあの日、3時に来いと言われて会場に向かったんですけど、車が渋滞して遅れ、3時半に到着したんです。だから、そのコント自体、見てもいないし、全然わからないですよ。だから『週刊金曜日』に聞いてくださいな」

と、知らぬ存ぜぬだ。

石倉氏に比べて、二人は何とも歯切れが悪い。矢崎氏と中山女史に至っては、取材申し込みに対して、梨の礫だ。

永氏は、かつて、童謡『七つの子』など野口雨情の名作を根拠もなく「強制連行された朝鮮人の歌」などと言ってのけ、関係者を激怒させた“前科”がある。

その関係者の一人、作曲家のすぎやまこういち氏は、今回のことをこう語る。

「そうですか。まだ(永氏らは)そんなことをやっているのですか。呆れますね。下品です。 自分に置き換えて考えてみればいい。自分の孫が猿のぬいぐるみにされて、放り投げられたり、病気のことを揶揄されたりしてごらんなさい。人権に対する意識も何もない。 彼らは、いつもは人権、人権というくせに、実はそれが彼らの正体なんですよ。」

主催者である『週刊金曜日』の北村肇編集長は、同誌の編集後記でこの集会の模様をこう記している。

<冷たい秋雨の中、2000人近い人びとが集まった。不思議なほどに穏やかな空気が会場には流れ途切れなかった。

永田町の住人に対する、満々たる怒りを深く共有しながら、しかし、そこに絶望はなかった>

“反権力”とやらに酔った人々──彼らに付ける薬は、果してあるのだろうか。

ソース:週刊新潮 12月7日号 30-32ページ  (エマニエル坊やがテキスト化)

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最終更新:2006年12月01日 09:45