働くこととは
貧しくなる資本主義 アマゾンの人間オートメーションというネット記事からの引用であるが、「人間性より効率性を優先するアマゾンの人間オートメーションは、ディストピア(ユートピアとは正反対の社会)を英国人に連想させる。」、「アマゾンのマネージャーは記事の中で、配送センターで働く労働者について「あなた方は人間の姿をしたロボットのようなものだ」「人間オートメーションと表現しても良いかもしれない」とつぶやいている。」また、「これまで先進国が途上国に押し付けてきた単純労働がブーメランのように先進国自身にふりかかってきたことを物語る。ホワイト・カラー(事務労働者)ではなく、ホワイト・ワーキングクラス(白人の肉体労働者)が英国では増えている。この現象は西洋の没落のほんの序章にすぎない。」という内容である。ロボットのように指示されたとおりに動く単純労働を人間がさせられている現状、とくに途上国ではなく先進国でこのような仕事が増えてきている現状が浮き彫りになっている。いったい資本主義とはなんであろうか、と深く考えさせられる内容であった。
現代のコンピュータの目覚ましい発展によって、情報化社会が誕生した。これからはコンピュータをうまく使いこなさなければならないと皆思うようになった。一昔前はコンピュータが業務の一端を担い、人間がそれをうまく操作するという仕事形態であったように思うが、アマゾンでは肉体労働をおこなう人間達の行動をコンピュータが管理するという逆転現象が起こっている。つまり、人間がコンピュータを管理するのではなく、コンピュータが人間を管理する社会の出現が起きているのである。アマゾンの配送センターで働く人たちは、GPSを持たされ、コンピュータが行き先と仕事内容を素早く的確に伝えることで効率のよい作業形態を保っているという有様なのである。人間は考えなくていい、単純肉体労働だけしていなさい、考えるのはコンピュータですということになる。なんとも哀れであるが、考えることが苦手な人にとってはこれほど楽な仕事はないのかもしれない。
仕事とは何であろうか。我々はいくばくかの給料を貰いながら、どこかから与えられた仕事をしている。仕事人間にとっては、仕事そのものが自らの存在意義と考えている人も多い。コンピュータに指示されるとおりに動いていればいい楽な仕事は、そのうち飽きてくるであろうし、もっと高度な仕事をしたいという欲求が起きてくるであろう。とても長く続く仕事とは思えない。一生こんな仕事をするなんてとても考えられないと思うのであるが、他に仕事がなければ、ここで働くしかない。現代社会の悲哀の一断片でもある。そもそも仕事とは何であろうか。もう一度考えてみることは必要である。
2.近未来のロボット社会の到来と仕事の変化について
現代社会において、コンピュータの発達が仕事の効率化を引き起こし、多くの職場で仕事の再編が行われてきた。人間の手作業で行っていた仕事はコンピュータや機械が能率よく行うようになり、多くの人が職を失ったが、その代りコンピュータや機械を操作する仕事が増えたため、多くの人は仕事の質が変化してきたと思っている。しかし、実は仕事そのものが減っている。考えてみれば当たり前である。仕事の効率化が行われれば、人間が行う仕事の量が減ってしまうのは明らかである。しかし、資本主義社会は仕事をしないと食べていけない社会でもある。そして、ほとんどの人はなにがしかの仕事をして食べている。総じて仕事の総量は変わっていないようにも見える。実は、生産とは関係のない仕事、多くはサービス業と呼ばれる仕事が増えているのでなかろうか。金は天下の回り物、余裕のある人は高度なサービスを望み、それに対応した様々なサービスに携わる人々がまた増えるわけである。しかし、このサービス業も近未来のロボット社会の到来によって、多くの人がロボットに職を奪われることになる。
ロボットが人間の代わりに多くの仕事をこなせるようになれば、人々はどんな仕事をして生計を立てたらよいのであろうか?究極の仕事は、娯楽かもしれない。なにせ、仕事がないのであるから、遊ぶことを仕事にするしかないではないか。遊んで、給料をもらって、贅沢をする。これが、人々の仕事の最終形であろう。芸術に打ち込むのもよし、スポーツに興じるもよし、哲学や学問の追及をして、文明の発達に多くの人が寄与する社会が到来するであろう。しかし、だれが給料を払うのであろうか。現在の資本主義社会は、お金を稼ぐための競争社会である、競争に脱落した人間はお金を得られないルールである。そして、成功者には富が集中する。すべての人が豊かに生きられるのに、そうはならない。
一人で10人分の食料を消費できない。結局のところ、余った食料は腐る前に誰か他の人にあげるか捨てるかするしかない。その一方で、貧しさのために餓死する人々が沢山いる。資本主義社会はまったくもって理不尽な社会と言わざるを得ない。しかし、資本主義社会は文明発達の原動力となってきたのも事実である。科学技術の発達も資本主義社会のなせる業である。競争社会は様々な発明や工夫を生む原動力となっているのである。しかし、いつかはこの理不尽な競争社会の暗部を一掃しなければなるまい。ロボット社会の到来は目の前である。多くの人が職を失い、生活できなくなってしまうであろう。資本主義社会のいいところは残しながら、それに取って代わる新しい社会理論が打ち立てられなければならない。