富についての考察③

3.新島との貿易の隆盛と衰退

  本島の人々は鉄の鍬や鉄のナイフだけでなく、他のたくさんの鉄製品を求めるようになった。新島の人々は米や野菜をたくさん食べたいと願うようになり、貿易は活発化してきた。本島の人々は毎年備蓄していた20人分の米のうち10人分を新島に送るようになった。野菜は、森の動物たちへやっていた20人分の中から半分の10人分を新島に送るようになった。このため、森の動物たちはたいへんな食糧難に陥り、果樹を食い漁り、森の木々の葉を食べつくし、それでも足りずに死んでしまう事態となった。本島の長老はこの事態を重く見、農業従事者に未開の山を開墾し、新しい田と畑を作り、10人分の米と野菜をさらに多く生産するよう要請した。開墾事業には鉄の鍬やナイフの類が威力を発揮した。もちろん、漁業従事者にもこの事業を手伝うよう要請した。数年の後、開墾作業は終わり、新たに10人分多く米や野菜が生産できるようになった。農業従事者の人口は変わっていないので、当然ながら、農作業の仕事が増え、農業従事者の苦労が増えることになった。農業従事者50人は本島と新島合わせて110人分の米と野菜を作り、さらに、毎年備蓄する20人分の米と動物たちへやる20人分の野菜を生産することになった。
 新島の製鉄所で働く5人は、たいへん忙しくなった。本島から貰う米と野菜の交換条件として、たくさんの鉄製品をフル稼働で生産しなければならないのだ。鉄鉱石を掘る作業は、他の漁業従事者5人に手伝ってもらうことにした。漁業従事者5人も米と野菜を貰うために喜んで手伝った。新島の漁業従事者5人の漁業捕獲量は半分以下に激減した。なぜなら、米を食べるようになったため、魚を食べる量が半減したためである。たくさん釣れすぎた魚は海へ開放し、漁獲高を調整するようになった。そのため、漁業従事者はかなり暇になった。これまでは本島の尺度で毎日20人分以上の魚を捕獲し、新島10人で分配していたのが、10人分(本島尺度)を捕獲すればよいことになったからである。本島では農業従事者が忙しくなり、新島では製鉄所の仕事が増え、漁業従事者の仕事が減ったことになる。
 しかし、製鉄所の仕事がいつまでも忙しいわけではなかった。ひととおり、本島100人分の鉄製品を生産し終わると、急激に仕事がなくなり、本島と新島の漁業従事者用の釣り針など、すぐに紛失してしまう小物制作が主な仕事となった。ときおりやってくる鍬やナイフの注文がある程度となり、それまで製鉄所を手伝っていた漁業従事者はお役御免となり暇になった。そして、米や野菜の輸入がいつストップされるのか心配するようになった。もう、米や野菜なしでは生活できない食習慣が身についてしまっているからである。
 本島では、農業従事者たちの仕事は以前より楽になっていた。鉄製品の普及により耕作の仕事が楽になったからである。生産量は増えたが、仕事自身はより効率化されたと言える。しかし、怠け心は人間本来の性質である。いつまで毎日野菜10人分を新島に送り続けなければならないのか、と不平を洩らす者があちこちで発生するようになっていった。そして、いつしか新島と本島の間で争い事が起きるようになった。新島と本島の間の貿易はいつしか衰退し、最初の約束事は反故にされ、米と野菜10人分を輸出する約束は一方的になくなった。そして、新島の人々は落胆し、本島の人々は鉄製品によって仕事が楽になったことを背景に、優雅な日々を送るようになった。ときおり、貢物を持って、新島の製鉄所に鉄製品の製造や修理を頼む程度となった。新島の漁業従事者たちは、また昔の米、野菜なしの生活を余儀なくされるようになり、不幸な自分を嘆き悲しむ毎日となっていった。
 さて、どうすれば皆が幸せになれるのであろうか。新島に農業を振興させては?という意見もあるであろう。残念なことに、鉄鉱石だらけの島なので農作物がちゃんと育たないのだ。では、いったいどうすればよいのであろうか?
 製鉄所の長老は新島の住民たちのためになんとかしなければならないと考えた。そこで、一計を案じることにした。本島からの鉄の依頼をすべて断ることにしたのである。貢物の中には米や野菜があり、製鉄所の5人はそれらがなくなることは断腸の思いであるが、島全体のことを考えれば、艱難辛苦、苦労を共にしてきた仲間たちのためにあえてそうすることにした。
 本島の長老のところへ、折れたり錆びた鉄製品をもった人や、釣り針がなくなって困ったという漁師たちがぽつぽつと訪れるようになった。長老はその話を聞き、これは困ったことになったと考えるようになった。長老自身も新しいナイフを注文しようと考えていたこともあり、村人みんなの意見を聞いて回るようになった。村人たちは、「貢物をやっても鉄製品を作らないなんて、製鉄所の連中はいったい何を考えているんだ。まったくけしからん。」と口々に言うようになった。「こうなったら、製鉄所へみんなで押しかけよう。」と言う者もいる始末であった。長老は、まあ、まて、とみんなを制し、長老と一部の農業従事者と一部の漁業従事者を連れて新島へいくこととなった。
 本島の長老と製鉄所の長老がそれぞれ仲間を連れ、一堂に会した。製鉄所の長老が言った。「毎年10人分の米と10人分の野菜を供給してほしい。貢物はいらないが、それさえ約束してくれれば、今までどおりに鉄製品を供給しよう。」 本島の長老はしばらくの間、長考に沈んだ。そして、ポツンと仲間に言った。「それでよいか?」 一人が言った。「10人分の野菜を毎日届けるなんでできない。」 また、しばらく長老は考え、そして、「毎年10人分の米と野菜を供給しよう。ただし、毎日の野菜は本島へ取りに来てほしい。港に野菜を毎日10人分用意しよう。」
 これで、貿易は再開されることになった。これは平和的解決であったが、もし、二人の長老のどちらかが平和主義者でなかった場合、いったいどういうことになったであろうか。どちらかが戦争を仕掛け、略奪の限りを尽くしたに違いない。平和と戦争は紙一重である。おそらく、豊富な鉄製品を武器にして、新島が戦争を仕掛けた可能性は高い。鉄でできた剣を生産できるのは新島の製鉄所だけだからだ。本島には鉄製品はあるけれども、農機具ばかりである。とても戦争には使えない。おそらく、新島の長老はいざとなれば鉄の剣を作って戦争を仕掛ける腹積もりであったに違いない。しかし、結果は平和的解決であった。これら二つの島の住民が出会うことがなければ、それぞれが新しい文化に出会うことがなければ、それぞれの住民たちが新しいものに出会いそれを欲しいと思わなければ、戦争などは起きない、平和な生活がいつまでも続いたのである。新しい文化やモノに触れることは、それらが出す甘美な誘惑と幸福の意識を生みだすと同時に、それがなかった場合の不幸もまた生みだす。人間は限りなく幸福の意識を求め続け、その結果、限りない不幸も生み続ける存在なのであろうか。ここで哲学しても仕方がないが、モノがあり続ければ、幸福感は薄らぎ、当然のものとして人々は受け入れるであろう。しかし、それがなくなった場合の落胆、不幸の意識はとても大きい。

富についての考察④

最終更新:2013年03月17日 18:37