4-4.光子の実在について
上図のような系で、レーザー光をフィルターなどで非常に弱くし、1個1個の光子が観測されるようにすると、ほとんど装置内には光子は1個しか存在しないようになる。そこで垂直方向の偏光板を通すと1個1個の光子が垂直方向の光子として観測され、水平方向の偏光板を通すと水平方向の光子として観測されることになる。この2つの光子を上図下のように合流させ45°の偏光板を通すとどうなるであろうか? 粒子ひとつひとつに偏光の属性があるとすると、垂直方向の光子|||
〉はcos45°の2乗つまり1/2の確率で45°偏光板を通過し、水平方向の光子|=〉はsin45°の2乗つまり1/2の確率で通過すると考えられるが、実際には100%の確率で通過する。ゆえに、粒子ひとつひとつに偏光の属性を考えることはできないとされている。
しかし、式(4-1)は光子が多世界へ分裂する右方向の変化と逆に多世界の光子が合流して別の光子ができる左方向の変化を同時に表現している(4-1')と考えれば、多世界解釈では垂直偏光と水平偏光の光子を合流させた時点で、45°の偏光を持つ光子が出現していると考えられる。それゆえ、45°偏光板を100%通過することになる。つまり、多世界で考えれば、量子力学に矛盾することなく、光子の実在を仮定することができるのではないであろうか?
| θ 〉 = cosθ||| 〉 + sinθ |=〉 (4-1)
| θ 〉 ⇔ cosθ||| 〉 + sinθ |=〉 (4-1')
つまり、波としての成分分解と合成の関係が光子においても成立していると考えることになる。こんなことなら波として考えれば済むではないかということになるが、粒子性を波の性質と矛盾しないように導入するためには、ファインマンの経路積分的な考え方と整合性がとれている必要があると思われる。光子のすべての可能な運動経路に対応して光子が共存していると仮定し、その存在を多世界の1個の光子に対応させることになる。上図の例では、位相が揃っているという前提であるが、||| 〉の光子の世界と|=〉の光子の世界の共存度は等しいと考えられる。それゆえ、共存度が等しいければ、θ=45°となり、(4-1')から|45°〉の光子が生成されることになる。位相が揃っていない場合、共存度がどのようになるのか、実験が証明してくれるかもしれない。現実の世界の光子は、(どの世界が現実かはよくわからないが、)共存度で表されるところの多世界の線形結合で常に表され、偏光板や偏光子を通過するたびに、共存度が変わることで多世界の粒子が現実世界へ投影される。多世界のイメージが明確でないにもかかわらず、多世界という概念を使用していることに問題があるような気もするが、異なる属性の粒子が同時に同じ場所に存在していることを表す必要があると考えている。多世界の概念は、異なる属性の粒子が同じ場所、同じ時刻に存在できるために仮定されるものと考える。多世界のより具体的なことは、まだよくわからない。
もし、正統的多世界解釈というものがあるのであれば、それはエベレットの多世界解釈に通じるもので、観測された事象の線形結合で表されるものであろう。この場合は、波束の収束問題以外は、従来の量子力学と変わるところがほとんどないように思われる。おそらく私がやろうとしていることは、正統的多世界解釈とは異なるもので、観測されない状態も粒子の存在を仮定して説明しようとしているところにある。電子スピンの観測も、おそらく光子の偏光状態の観測と同様に議論できるのではないかと考えている。量子力学ではEPR相関が非局所相関(遠隔作用)となっていると思われるが、多世界解釈の理論からは局所相関(近接作用)として説明できるように思われる。近接作用が否定されるのか肯定されるのかは、より詳細な実験による検証が必要である。
アハラノフ博士の時間対称量子力学と弱測定理論が、近年クローズアップされている。弱測定により波動関数を覗き見ようとする試みは、多世界解釈の検証にも使えそうに思える。
量子コンピュータは多世界解釈の考えを使って理論展開されたという話がある。量子コンピュータが完成すれば、多世界解釈も肯定されることになるのであろうか?
ところで、光子は±1のスピンを持っている。そして、それは回転偏光と言われている。進行方向と逆方向のどちらかが+1でどちらかが-1であったと思うが、アスペの実験では直線偏光が観測対象であった。つまり、右回りと左回りの回転偏光の重ね合わせで直線偏光を表せるが、通常、2つの波の重ね合わせで記述され、多世界で記述することはない。つまるところ、光子は今まで波として考え、観測されるときに様々な波の性格を持った光子として解釈されてきた。わざわざ多世界を導入しなくても波の重ね合わせで光子が記述できたわけであるが、EPR相関を実在の光子を仮定して局所相関で説明しようとすると多世界の力が必要になったわけである。量子力学では電子も光子も状態を表す波動関数で記述されるが、光子の場合、どのように多世界で表せばよいかが見えてきたように思われる。様々な光子の状態を実験データと整合性を取りながら、多世界の線形結合をどのようにとっていくかのより深い議論が必要と思われる。アスペの実験においては、Ca原子のS1からS0への2段階発光でなぜか直線偏光が反対方向へ飛び出している。(1)上スピン電子が1つの光子を放出して下向きになり、再度光子を放出して上向きになる。(2)または下スピン電子が1つの光子を放出して上向きになり、再度光子を放出して下向きになる。量子力学では(1)と(2)の重ね合わせの状態で放出される光子の状態が記述され、結果的に直線偏光になることが示されているが、多世界解釈では、上スピン電子と下スピン電子が等しい共存度で共存していると考えれば、自動的に直線偏光が放出されると考えられそうに思っている。つまり、多世界解釈の共存状態を想定して光の吸収と発光を説明しても、量子力学と一致する答えが得られるのように思われる。 ただし、この場合、Ca原子の2個の電子のスピン組み合わせが関わっているので、原子内の電子がエンタングルしている変化となり、電子と光子のエンタングルした系の実験であったと言える。
もっと詳しい議論をしたいが、これ以上は机上の空論にすぎない。
しばらくお別れにし、何らかの形でまたお会いしましょう。
2014-07-28
2014-08-28
1カ月ほど経過したが、今までに述べたことの中でいくつかの誤解があることに気付いた。ひとつは、私が述べた解釈は観測後の世界については何一つ述べていないものであり、観測後に平行宇宙が次から次へと発生するようなことは全く考えていないことを強調しておきたい。そもそも観測装置は共存する多世界の中からある世界をチョイスする働きを持つと考えているため、すでに波束の収束問題は粒子を観測した時点で単なる統計的確率の問題に置き換わっている。それゆえ、波束の収束問題を解決するための平行世界の導入はもう必要がなくなっていると考えられる。さらに、私の解釈が本当に多世界解釈と呼べるのかどうかいささか疑問に思えてきている。単なる経路積分法の多世界解釈版と言うべきかもしれない。
ところで、これまでの解釈を局所実在論のように解説したが、多世界の導入で実在性はある程度確保したように思うが、局所性は少々言い過ぎたと思っている。多世界を導入した時点で、ある意味、局所性は失われている。ある地点で多世界の1つを観測したら、遠く離れた地点にあるエンタングルした対粒子の世界が同時に確定するからである。これは、量子力学の「波束の同時収束」という言葉を「多世界の同時確定」に置き換えただけに過ぎない。多くの量子力学の本は自ら局所とも非局所とも言っていないものが多いが、ここで述べた解釈は経路積分法と齟齬がない形で展開されるべきものであり、経路積分法は量子力学と等価であるので、従来の量子力学と同程度の局所性を持つもしくは非局所性をもつ解釈となる。
ここで述べた解釈は経路積分法とほぼ等価と考えているので、量子力学の理論的枠組みを変えるものではない。しかし、この解釈自体は未完成で発展途上なので、間違いがあればすぐに訂正したいと考えているが、根本的に間違っている可能性もある。今のところ量子力学は正しいとされ、それにとって代るすぐれた理論はなさそうであるので、まずは量子力学は正しいと考えるのがよろしかろうと思っている。その上で、観測問題に関する解釈は量子力学と齟齬がない形であってもよいと思う。
量子力学のコペンハーゲン解釈は非局所・非実在の我々の一般常識から極端に鋭く解離したイメージを与える。しかし、3次元空間の世界で考える限り、このパラドックスを解決する方法はなさそうである。宇宙は11次元であるという最近の多元宇宙論と量子力学は今のところ何の関係もないようであるが、そのうち統一された理論が完成するであろう。そのとき、その理論はおそらく我々の一般常識から極端に解離したものであるかもしれないが、現在の量子力学のコペンハーゲン解釈とは違う別の何かかもしれない。
我々は、多世界解釈で言うところの多世界がどのようなものか、今のところ明確な答えを持っていない。イオントラップやトンネル走査顕微鏡の研究では、一個一個の原子や分子が区別されて観測されている。それらの研究から、一個の原子や分子の性質が明らかになりつつあり、局所・実在の粒子の側面を観測しているようなイメージを抱く。その反面、ツァイリンガーは巨大分子(C60など)の干渉を観測している。非局所・非実在の粒子の側面を見ていることになる。この2つの全く相反する実験事実から、我々は何を学ぶべきであろうか。量子力学のコペンハーゲン解釈を超えた新しい解釈が必要なのではなかろうか。
観測後の世界が分岐し平行世界が無限に発生し続けるという考えは、非局所実在論を局所実在論にすると思われる。量子コンピュータの生みの親とも言われるドイッチュが熱心に推し進めている考えであるが、「オッカムの剃刀」と多くの学者は考えているようである。つまり、あってもなくても同じであれば、ことさら複雑にするよりは単純化した方がよいという。正直、私も、そこまでする必要性を感じることができないでいる。局所性を犠牲にするか、パラレルワールドを導入して局所性を死守するかの選択を迫られたならば、パラレルワールドはあまりにも途方すぎる。しかし、その可能性を完全否定する理由も見当たらない。しかし、「オッカムの剃刀」は私がこれまで述べてきた解釈にも言えるのかもしれない。経路積分法と等価な多世界解釈ならばあってもなくても同じこと、無駄な解釈は必要ないとスッパリと切り落とされそうである。パラレルワールドはあるかもしれない、少なくともその可能性は否定できないと言わざるを得ない。
現在、様々な文献を調査中である。ツァイリンガーのGHZ状態やパラメトリックダウンコンバージョンの光子対発生と遅延選択実験そして量子消しゴム実験など、近年の研究は量子コンピュータに向けてヒートアップしている。いくつかの文献で多世界解釈を試みたら、かなり良い感触を得ているが、文献中の解釈は場の量子論が主流のようだ。しかし、結構、多世界解釈も定性的議論には簡単に便利に使える感触を得ている。そのうち、まとめようと思う。(2014-08-29)