紆余曲折を経て、多世界解釈について再考してみようと思う。
思考整理のため量子力学の歴史的経過を簡単に辿るが、あくまでも思考整理のためであるので、歴史的には重要かもしれない部分が欠落しているであろう。並木美喜雄著「量子力学入門」などを参考にしながら、書いている。
量子力学の歴史の中で、量子の不思議さは常に謎であり、多くの人々を魅了しつつも、その難解さのため理解することがとても困難であった。量子の不思議さは、勉強すればするほど激しさを増す。粒子とは何か波とは何かと自問自答を繰り返しても、いっこうに突破口が見えないままではないであろうか? ある人曰く、粒子の実在は存在しないと。またある人曰く、波動関数は実在の波ではないと。ヒュー・エベレットは波動関数は収束しないと言い、観測された実験事実は実は相対世界の一事象に過ぎないと述べている。DeWittはさらにこの考えを推し進め、観測によって世界は分裂し、多世界が生じると言う。
1900年、空洞放射(黒体放射)においてプランクの作用量子仮説が発表された。これ以上分割することができない電磁場(光)エネルギーの最小単位があることが示唆され、これを端に量子力学が始まったとされる。1905年、アインシュタインが光量子仮説を発表し、それまで波と思われていた光が粒子(光子)の性質を持つとして、光電効果を見事に説明した。(現代ではこの効果を波でも説明できるとする話があり、光子の実在が揺らいでいる印象がある。) 1913年、ボーアは、原子核の周りを回る電子の角運動量がプランク定数の整数倍とするボーアの量子条件を導入することで、水素原子のスペクトルを説明することに成功した。このことより、水素原子のエネルギーも量子化され飛び飛びの値しか持てないことがわかった。1923年、ドブロイは、光が波でもあり粒子でもあることから、物質も同じように波の性質を持つとする物質波仮説を発表した。1926年、シュレーディンガーは、古典的波の方程式にドブロイの関係式を取り込んだ波動方程式(シュレーディンガー方程式)を発表し、方程式を解くと水素原子のスペクトルが容易に説明できることがわかった。ボーアモデルが水素原子(水素類似原子)のみしか説明できなかったのに対し、シュレーディンガー方程式は他の原子や分子の計算にも適応できた。現在幅広く使われている量子力学は、1926年のシュレーディンガー方程式に基づくものがほとんどである。現代においてもシュレーディンガー方程式は様々な場所で活躍している†1。
このように、およそ100年前のできごとであるが、たった20年程度の間に量子力学という学問分野が起こり、実験事実を説明できる理論が建設された。シュレーディンガー方程式は、ハミルトニアン演算子Hに対する固有値と固有関数を求める問題となり、波動関数Ψi(r)と固有値エネルギーEiが求められる。実験事実に合う飛び飛びのエネルギー値Eiが得られたのはよいが、波動関数とはいったい何なのであろうか?シュレーディンガー自身は実在の波と考えていたらしく、ドブロイは物質には常に波がその周りに付随するという、パイロット波†2と今日呼ばれるようなものと考えていたようである。1927年、ハイゼンベルクは不確定性原理を提出し、位置と運動量を同時に正確に決めることはできないとする理論を発表した。ハイゼンベルクはボーアが率いるコペンハーゲン学派であり、波動関数が実在の波であるという考えは主流ではなくなった。ハイゼンベルクは、1925年、行列力学をシュレーディンガー方程式より先に発表していたが、理論が難解であったため、後から発表されたシュレーディンガー方程式の方が一躍有名になったという経緯がある。後年、シュレーディンガーは、ハイゼンベルクの行列力学とシュレーディンガー方程式は等価な理論であると言い、現代においてもそのことは広く受け入れられている。しかし、理論形式は全く異なり、行列力学に波動関数は全く出てこない。観測されるものに重点を置き、観測されないものは極力排除したものとなっている。それゆえ、観測されない波動関数や不確定の粒子の座標に関することは理論の外であり、実在するとは考えないことになる。ここにおいて粒子の実在が曖昧になり、粒子が連続的に3次元空間を運動するという古典的考えは通用しなくなった。また、シュレーディンガーが言うような波が実在するという考えも捨てられることになる。
ハイゼンベルクは、不確定性原理を観測することと関連づけて説明したため、あたかも観測することが不確定性を引き起こすという誤解を多くの人に与えた。しかし、不確定性原理は自然界固有のものであり、シュレーディンガー方程式から自然に導くことができる。それゆえ、観測行為とは無縁であると思われるが、波束の収束問題やシュレーディンガーの猫やEPRパラドックスなど、観測問題は現代においても未解決となっているため、混乱に拍車をかける事態となっているように思われる。しかし、はっきりと線引きをすることは難しく、観測しなければ月は存在しないという物理学者もいるので、事態は混乱の渦の中という印象である。ところで、シュレーディンガー描像では波動関数はあたかも実在しているかのような印象を受けるが、ハイゼンベルク描像では波動関数は実在していない。ハイゼンベルクが建設した行列力学の枠内では、不確定性原理は特別重要な位置を占めることになる。
1926年、ボルンは、波動関数の絶対値の二乗はそこに粒子を発見する確率を表すという、波動関数の確率解釈を発表した。現代でも、この解釈は通用し、一般的に正しいと信じられている。しかし、波動関数そのものに対する解釈は、現代に至っても統一的見解はなく、何らかの物理的意味はあるであろうという程度のままである。いったい波動関数とは何であろうか?ボルンの確率解釈は厳密に正しいのであろうか?もしかすると、波動関数の物理的意味が明確になり、確率解釈が近似的にでも導出できるのかもしれないが、今のところそういう話はない。(多世界解釈を使った議論があるにはあるが、一般的に受け入れられているわけではない。)
1928年、ディラックは、相対論的電子論を発表した。ディラック方程式と呼ばれる。ディラック方程式の導出はたいへん面白いので、導出してみようと思う。
多世界解釈について②
†1シュレーディンガー方程式そのものは、厳密に言えば正しい方程式ではなかった。後で述べるが、アインシュタインの相対性理論を取り込む必要がある。しかし、それでも、まだ完全に正しくなく、場の理論が登場するまで未解決の問題(ラムシフト)が残っていた。
†2後年、ボームは、実在の粒子とそれに付随するパイロット波の考えを推し進め、量子ポテンシャルの考えを発表した。ボームの量子論は賛同者も少なからずいたが、主流にはならなかった。