英エコノミスト紙はその理由を皮肉たっぷりに書いている。「(日本の)超過労働は経済にあまり恩恵をもたらしていない。なぜなら、要領の悪い労働文化と、進まないテクノロジー利用のおかげもあって、日本は富裕国からなるOECD(経済協力開発機構)諸国の中でも、最も生産性の悪い経済のひとつであり、日本が1時間で生み出すGDPはたったの39ドルで、米国は62ドルである。つまり、労働者が燃え尽きたり、時に過労死するのは、悲劇であるのと同時に無意味なのだ」 ITmediaビジネスonlineの 日本人、それってオカシイよ 「過労死」を生む日本企業の“常識”の中の一節である。全くその通りと思う。非効率であまり意味のない仕事に労働時間を割き、残業させる労働形態が蔓延していると思える。さらに、1時間当たりのGDP生産量の世界ランキング(2014年)は、
1. ルクセンブルグ 79.3ドル
2. ノルウェー 79ドル
3. アイルランド 64ドル
4. 米国 62.5ドル
5. ベルギー 62.2ドル
6. オランダ 60.9ドル
7. フランス 60.3ドル
8. ドイツ 59.1ドル
(G7の平均は54.5ドル)
だそうである。日本の非効率な労働環境が顕著に見て取れる。さらに、「過労死対策として日本は強制的に労働時間を減らすしかないのではないか。そして生産性を上げるようにする。東京都の小池百合子知事は9月14日に都庁での「20時以降の残業禁止」を発表したが、これは素晴らしい提案である。例えばドイツ労働省は2013年から勤務時間後に上司が職員に連絡するのを禁止しており、同様の対策はすでに世界では始まっている。」と、原因については一切述べず、強制的に労働時間を短縮することで問題が解決すると著者は考えているようである。
しかし、単に残業を禁止することで生産性は上がるのであろうか?それには疑問を呈する。やはり、なぜ、非効率な労働が蔓延しているのかを真剣に考える必要がある。いろいろと原因が考えられるが、ひとつは書類作成の煩雑さである。縦割り行政の弊害が末端に及び、どの会社でも膨大な量の書類を作成しなければならないジレンマに追い込まれている。一つの書類で済むものが、似たような書類をいくつも作成しないと認可が下りないような全く非効率なシステムが日本全体を暗雲のように覆っている。いくらコンピュータ化が進み、作業が効率化しても、なお、さらなる書類のオーバーワークが待っている。これでは迅速な決済は不可能であり、「Time is money.」の原理の大いなる障害となっている。縦割り行政の弊害は日本中に蔓延し、いまや日本経済の足を大きく引っ張っているのではないのではないであろうか? 戦後復興期の護送船団方式は無知な国民を高度経済成長へと導き大成功を収めたが、今や多くの国民は大学を卒業し、ある程度の知識を得るに至っている。それにも関わらず、相変わらず、いやそれよりもさらにパワーアップした護送船団方式のシステムが、縦割り行政の各部署で強力に推し進められているように見える。
もう一つの原因として、ピーターの法則がある。Wikipediaによると、
ということで、日本社会はまさに、無能者が仕事をする社会となっているのではないか? まったく恐ろしい話であるが、硬直化した社会の行きつく先は、まさにこのような社会と思われる。日本は官僚社会と言われることもあり、官僚の天下りは日常茶判事である。天下った官僚がバリバリ仕事をして会社に貢献するという話はあまり聞かず、週1日出勤するだけで高給をもらっているという、まったく羨ましい境遇を自慢している話をちらほら聞いたことがある。民間企業が官公庁との太いパイプを持とうとし、太いパイプを持つ人材を確保することは、ある意味、必要であろう。しかし、それがごく普通に慣例化すると、企業と官庁のなれ合いとなり、社会は硬直化する。硬直化した社会はピーターの法則に従い、無能集団化した社会が生まれ、経済効率は激減することになるのではないであろうか? Wikipediaによると、その解決策として、「ピーターの法則を逃れる手段としては、契約社員の採用が挙げられる。たとえば、IT企業における契約社員は、これまでの雇用者や経験に裏打ちされた能力によって選ばれ、一定期間ごとに契約が更新される。ある時点で不適当さが見られれば、契約を更新しないことで容易に解雇される。契約社員は、ヒエラルキーには組み込まれず、組織の昇進システムとは通常無関係である。現実には、雇用不安などの欠点が生じるが、原理的には報酬さえ十分であれば、被雇用者は契約社員の地位で満足することになる。」が挙げられている。しかし、この考え方には大きな誤りがあるように思う。ピーターの法則3.「その組織の仕事は、まだ出世の余地のある人間によって遂行される。」とあるように、出世の余地がない契約社員によっても仕事を遂行できないのである。つまり、契約社員も将来正社員になれると思っているうちは仕事をこなせるが、そうでないことを自覚したとたんに無能社員となる。今の日本の状況は、硬直化した社会によって生み出された無能社員が仕事をする無能集団化社会となっているように思える。
別の考え方として、経済規模として小さなパイに多くの企業が参入して過当競争を生み、結果として非常に効率の悪い労働環境が日本の様々な業種で起こっている、と考えられることである。つまり、ほとんどの仕事は他社を出し抜くための本質的ではない仕事に集中し、生き残り競争を日々繰り返している結果、実質的GDPには寄与しない労働が増大しているという見方である。この考え方にも一理あるように思える。企業淘汰によってよい企業が生き残ればよいのであるが、社員を使い捨てにするようないわゆるブラック企業が生き残り、健全と思える会社が次々と消滅しているように見える。不景気社会の悪循環である。解決策は、どこかで悪循環を断ち切り、好景気の好循環を生み出す処方箋を考え出すことであろう。今のところ、濃い霧に覆われている日本が見える。いつになったら霧を払拭することができるのか、先が見えない。