その1
管理人ですがお金がないです。
若い時は軽度の認知症(おそらく前頭側頭葉認知症)と同じ状態でした(異常な性欲、物覚えの悪さなど、1日14時間オナニーを我慢できない生活を一年365日数年間送ったこれは病気のせいか性格のせいかは不明)が年齢とともに脳のほかの部分が代わりを担ったのか治りました。
ただ子供から青年期にかけて、全く物事を学ばなかったので25歳時点で10歳程度の知能でした。
(学校は引きこもり生活が長かったので実質的には小卒で、対人能力などは全くありません)
認知症に近い能力が治ると同時に側頭葉が委縮しはじめ精神病にかかりました(医者の診断済みです)
症状は薬で安定しましたが治療薬の副作用で肉体労働が不可能なほど太ってしまいました。
アスペ啓蒙動画をみると、アスペの症状が自分に当てはまりすぎます(とはいえ多分アスペではないと思うのですが、アスペかどうかは遺伝で決まるので遺伝子診断しないと駄目で診断を受ける勇気がないです)。
まあこんな人間なので私、金がないです。
どうしたらお金って稼げるんでしょうね。
貯金が18万円しかありません。
その2
誰かと遊びに行くニートは褒めてあげましょう。
対人能力や人的ネットワークの能力があるから遊びに行けるのです。
遊びに行けば少なくともコミュ障から離脱します,人脈も築けます。
遊びにすら行かないニートは対人能力が壊滅的になっていき最終的に、引きこもりになります。
引きこもりは、友達も知り合いもいませんし家族との会話もないので社会的に孤立しています。
ありとあらゆる人生のチャンスから切断されてなんの人生のチャンスもなく、チャンスが来てもそれにすがるための対人能力が壊滅しているためにチャンスを活かせません。
友達と遊びに行けるニートは引きこもり寄りはまだよい状況なのだという視点で見てあげてください。
最良の策は家族総出でニートが仕事場にいくのをバックアップすることです。
相談に乗ってあげたり仕事場でのふるまい方や常識を教えたり根気のいる作業が必要です。
社会経験がないので何をどう勉強すれば仕事場に入れるかもニートは知らないので勉強も見て上げないといけません。
家族内での肯定とニートの努力への家族からの称賛がニートを仕事場で働ける人間に育てます。
逆に最悪の策はニートなんだからお金も与えないし、ニートが遊んですごすなんてモラル的にいってとんでもないと否定することです。
遊びに行くことすら否定されるとニートは何もしない引きこもり、社会から完全に孤立した人間へ転落します。
誰かと遊びに行くならばという条件をつけてニートにお小遣いを与えることはとても大事なことです。
家族からすら自己の存在を否定されると、自分は何をしてもダメなんだとニートはあきらめ引きこもりへの転落率が高まります。
引きこもりは会話の訓練から始めないといけません。
引きこもりを救えるのは家族の辛抱強い愛情だけです。
一番重度の引きこもりは
話しかけられても、ハイとかいいえとかの一単語を発話することやうなずきや首ふりの一つですら、会話においてその必要性がある事を考え付かなくなります。
話しかけられても無反応なのが一番重度の引きこもりです(一時期の私です)。
よって引きこもりが会話においてうなずきやはいやいいえを言っただけでも反応があったことを褒めなくてはいけません。
会話にならないことを攻撃したりしては会話=怖いもの、会話=自分が否定されるものと認識しますます会話を怖がるようになります。
ある程度会話ができる引きこもりの場合、引きこもりが発話したこと事体をなるたけ肯定しなくてはいけません。
引きこもりの発話に対する否定や叩きが多ければ、会話は否定されるものとネガティブな感情をいだきます。
逆に肯定されれば会話は楽しものと理解し、色々なことを話題にするようになります。
家族はひきこもりが頓珍漢なことを言っても否定を少なめにする忍耐が必要です。
かなり会話ができる引きこもりは、人間として対等に扱わなくてはいけません。
引きこもりが偉そうにそんなことを言うな、社会に出てもない奴がみたいに否定してはいけません。
家庭とは社会に出るための訓練場です。
その訓練場で自己の思考力を鍛えるための会話が否定されると、引きこもりは会話そのものが出来なくなります。
引きこもりの身の丈に合った会話とはどんなものでしょうか?
想像してみればわかりますが、非常に矮小なことしか考えず会話しかできないことになります。
デフレスパイラルと同じ現象が起こります。
会話が制限されるから興味の質が悪化し。
興味の質が悪化するから会話の種類が乏しくなりこの連鎖はループします。
自分の身の丈を越えること超えないこと色々なことを会話すること事体が、引きこもりの知的興味を引き出し人間性を陶冶します。
話題をいろいろに取ることを褒めることで、引きこもりの心に人生に対する興味が湧いてきます。
会話の訓練だけで1年以上かかります。
それに比べたら友達と遊びに行けるニートは引きこもりよりずっといい状態にあります。
ちなみに引きこもりがアルバイトに行っても、コミュ障ではただ仕事場で頑張っているだけの存在で金銭面以外の何もえませんし築けません。
まあ金銭面すら危うい引きこもりよりはましですが、引きこもってる間、能力の増加がなく人生全般で経験値不足。
大抵仕事場でつかえない認定されて1っか月で家に帰ってくるだけです。
私の場合、引きこもりから最低限の会話ができるようになるまで5年かかりました。
アルバイトに行けるようになったのはそれからです。
フリーターになるまでの過程で最重要だったなと感じたことを書いたのが上記です。
今は私は側頭葉委縮で結局引きこもりに戻っていますが、上記のようなことを自分で努力したから一時期は引きこもりからフリータへ変身することもできたのです。
その3
私の最高学歴は通信制高校卒です。
通信制高校というものは教科書は薄くイラストだらけで、生物 化学 物理は実験が極わずかしかなく。
世界史などは単なる暗記で国語はパズルみたいなものでした。
なので科学知識といえばコンセントをつなげたら電化製品が動く以上の知識はないです。
Σベストの物理や化学、特に生物の本などを見て内容のレベルの高さに唖然とてしまいます。
数学は簡単な三角関数、3次方程式までの機械的な微積分、2次方程式の性質まででした。
数学は人生経験なくても実験などの実体験がなくても当たり前のことを当たり前に考えればできるので数学だけは少しだけ独学しました。
最近モノグラフシリーズを読みかえしてますがこれが結構面白い。
昔は、個々の問題を個別に機械的に解き方を覚えていただけでした。
今はあるページの記述が別のページの記述と関係があるという有機的な繋がりができ、これが別の本の別のページと関係を見つけられるという感覚になってきました。
普通の高校に行っていたら誰でも勉強してる内容をこの年になってようやく私も理解でき始めたということですねたぶん。
競技プログラムで会津大学オンラインジャッジの問題を自力で大量に解いて問題正答数30位以内に入ったこともありますが、これは世間では何の評価にもなりませんし、当たり前のことを当たり前に考えると解ける問題中心なので特に勉強になった感はなかったです。
欠片も自慢にならないことに大量の時間を費やした後悔があるだけです。
その4
子供のころ周りの人間が幸福そうだと私は恐怖感を感じ、周りの人間が恐怖していると安心感を感じていた。
よく考えるとちょっと違う。
誰かに余裕がありその人が私に注目する可能性があるとき、私はそのことに恐怖を感じ、皆私のことなんてどうでもいい忙しい時などは、私は誰からも相手にされない安心感を感じていた。
だから私に注目が集まらない授業中は幸せで、授業など聞かずに知恵遅れ特有の馬鹿さで落書きをしたり鼻水を垂らしてにヘラにヘラ笑いながらぼーとしていた。
休み時間などは最悪だった、とにかく楽しそうにしゃべる人が多くて怖かった。
それとすこしずれたところで純粋に幸福な人のそばにいると恐怖を感じていたのは確かだ。
これは何故だったのかわからない。
今でも幸福な人、楽しそうにしゃべる人の近くに行くと緊張してストレスを感じそのあと頭がすごく疲れる。
忙しそうな人や問題に対処している人、目的があって目的のために私に話しかけてくる人のそばでは逆に安心感を感じる。
子供のころ人が誰かの悪口を楽しそうに言っているのを聞くと心臓がどんどん冷たくなった(比喩でなくほんとうに寒気がして背骨が冷たくなって胃の内容物が逆流しそうになり、脳に負荷がかかって頭が重くなった)
このことを家族に相談したり私だけの現象だったのか家族に聴いてみたいがそういう重い話はめんどくさいと怒られる。
その5無関係な思索
セメントがしっぽりとぬれていた。
一歩ごと足元にまとわりつく泥は雨を吸い込んでいる。
私は廃墟の一角にいる。
今は崩落が見られるセメント作りの建物の屋根の下だ。
1階の窓ガラスが割れており私はそこから入り雨宿りをしている。
カメラを持っていた。
廃墟マニア。
そういうことだ。
その6無意味なラノベ
地獄の瘴気をものともせず輪と咲く花のような侍のお方方。
非力な私は無事を祈る事しかできません。
お守りを。
猫の夢より浅き所、現実との隙間から湧き出した犬頭の贄を求める舞踏、悪鬼の群れに立ち向かう。
その勇士を私は子々孫々まで謡語りつぎましょう。
朝焼けとともに勝鬨の声があらんことを。
全ての夜という夜、闇という闇を潜り抜けた先に陽光あらんことを。
月が昇る。
狂乱と狂気が具現化するその時刻。
陣屋にいる侍たちは張り詰める。
犬頭の化け物共が地面から湧き出てくる。
その7無意味なラノベその2
吸い込んだ空気が僕の胸を悲しみで満たしたから僕は秋が来たんだなと感じた。
風は冷たく見上げる空は高く高くどこまでも高く。
僕は重力の井戸の底にいる。
季節の到来に、箪笥から服を取り出し、着こむ服が一枚増えた。
ヘルメットかぶりバイクにのって街から出た。
コンクリートの建物も大学受験も、日常のこまごまとしたしがらみも全部、バイクが僕を日常から切り離し世界の果てまで行けるような気がしていた。
冷たい山の影になる道を通り、秋の風に乗って僕は海まで出た。
砂浜の波の音がここが僕の冒険の終点なのだとささやいている。
僕は自動販売機でコーラを買い、飲みそして家に帰った。
山の上からみる家の家の灯りが妙に明るかったのを覚えている。
最終更新:2016年10月19日 00:52