NHKで聴覚過敏や視覚過敏などが取り上げられていましたが。
発達障害と統合失調を併発している私としてはそんなところに真の困難があるわけではないと自分の例をもって説明したいと思います。
なにより記憶力の精度の悪さです。
例えば物を分解する仕事があったとします。
これは物を見れば自分が何をして次はどうすればいいか物を確認することで記憶が欠落している部分を補完できます。
前回の分解手順を何一つ思い出せなくても(実際同じものの分解作業を何度繰り返しても1回前の分解手順を半分も思い出せないのだが)、今残ってるものが更に分解できないか物を手に取り調べる。
記憶すべきは”もっと分解できないか調べる”という一文だけです。
掃除は、小動物が食べ物を探してうろちょろする、掃除道具を片手に汚れやごみを探してうろちょろする。
と同じなので可能な仕事でした。
しかし物を組み立てる仕事は、組み立てたり調整した部分は目に見えなくなったり調整は目に見えません。
組み立ては、順列を間違えてはいけませんし、順列の中身も膨大です。
するとこれを記憶して次の作業記憶して次の作業といかなくてはいけないのですが、これが記憶ができないために自分が何をどうやったか思い出せないのです。
思い出せないので作業記録は記述できませんし、作業途中で自分のここまでの作業内容を忘れてしまうので、作業が完成しませんし出来上がり品は出鱈目になりやすいです。
普通の人より高い割合で混乱もします。
だからメモや作業手順があっても組み立てる、途中で間違ってるよと指摘される、分解する、組み立てる間違ってる、周りは3日で覚える作業をどうして1か月たっても覚えられないんだと怒られて首になる。
作業手順やマニュアルがある作業でも手順を記憶できないので、毎回何から始めたらいいかすらわからず、毎日やってる作業なのに作業の途中でしょっちゅう次に何をするのだったか思い出せず、現場で何の役にも立たない。
これが人生全般ありとあらゆることに及びます。
およぶので何かを経験しても経験値にならず成長が起こりません。
工夫しようにも、仕事の定型業務なら工夫できますが、人生で発生するすべての物事に工夫をしないといけないというのは膨大な作業量となります。
普通の人が経験*07=経験値=成長なら発達障害は0.3*経験=成長のように一事が万事、係数が低いのです。
また記憶と関連して学習曲線の向上が極めて悪いので、毎日やってる定型業務を初日のようにのろのろと作業し、毎日やっている作業内容なのに次どうするんだったかなと思い出せません。
記憶力が極めて悪いので、暗記が重要な資格をとるのは不可能です。
別の実例を出しましょう。
競技プログラムというプログラマ向け練習問題が世にはありまして、これを1時間ああでもないこうでもないと考えて解きます。
記憶は紙で補完できます。
さて、合格となり1分後、そういえば私は何の問題を解いたのだろうか?
と思い出そうとすると、何かを解いたことしか思い出せないのです。
紙を見て、ようやくおぼろげに思い出せます。
問題文を読み直してようやく自分が何を解いたのか思い出します。
普通の人なら何か作業したり考えたり学習した場合、後で他人に説明したりある程度の詳細さで思い出せるでしょう。
個人さはあれど健常者は記憶の精度が高く詳細に思い出せます。
一般人は 経験→記憶→成長です。
発達障害の場合 経験→制度の低い記憶→質の悪い成長
となります。
私の場合、思い出せない、説明できない、学習なら何を見て聞いたか思い出せないのです。
勉強などは用語などを10単語学んで1単語思い出せたらいいほうです。
記憶の精度が悪いのです。
学習動画を見ていても10分以上集中力が持たずしょっちゅう無音と変わらなくなります。
これでも30代になった今記憶力は非常に改善されています。
10代後半のころは布団の裂け目を直そうとして、裁縫道具の入った箱をみて2分、箱を開けないと作業にならないと考えるのに5分、箱を開けて中身がごちゃごちゃしていてよくわからないので10分。
針を手にもって糸を通すと考え付くのに5分、一針縫うたびに次になにをすればいいか考えるのに数分、そして次の一針をさせばいいと考え付くのに5分。
4時間頑張って結局十数針しかぬえず、針を布団の中に忘れたまま縫い終わり、あとで針が入ってると怒られ,縫い目はでたらめで布団は裂けたままでした。
10代のころの私はたえず頭にもやがかかったような状態で一事が万事こんな感じでした。
重度の発達障害とはそういう病気なのです。
工夫すればいいだろ、議論終わり?
という人は自分を支えている無意識の高い思考力に気付いていません。
その全く意識してない高い思考力を土台にして工夫をすれば解決すると語ります。
しかしその無意識の思考力の土台が発達障害にはないのです。
発達障害も確かに工夫すればある程度は対処できます。
それは間違いありません。
250CCのバイクレースにタイヤのパンクした原付で参加しても走り方を工夫すれば、上位に入れる。
発達障害に向けて工夫すればというのはそういう言葉なのです。
発達障害でも工夫すればは、タイヤをだましだまし何周も周回遅れでゴールできる。
発達障害の障害の重さにもよりますがここらへんが妥当な目標です。
そして人生全般でこの周回遅れが発生するので、大体発達障害は人生の問題を解決できず底辺へどんどん転落していきます。
人付き合いからは皆無意識に発達障害を排除してきます。
工夫すればいいだろ、議論終わり、というわけで発達障害は勝手に一人で頑張れ、俺たちとは関係ない。
そういう人が多いのは良い具体例です。
幸いにも私は、身体的IQは最悪でしたが、言語的IQはある程度はあり。
28歳ごろから奇跡の記憶力と認識力と思考力の回復によって今私はこの文章を書けるようになりましたが。
成長期に引きこもり、上にかいたような人間ですから、人付き合いによる成長も勉強による成長もなく、5歳児のまま28歳を迎え、そんな人間が社会に受け入れられるはずもなく、成長のためのチャンスをどこにも見いだせないまま日々を送っています。
私はリアルアルジャーノンに花束を 体験したのですが、現実は小説と違い、小説ほど劇的に頭がよくなりませんし、勉強だけしてても生きていくための多種多様なスキルや社会スキルは身につきません。
現実に人間が普通の行動が取れるようになるには多種多様な経験が必要なのです。
その2
発達障害+統合失調症の記憶力の悪さを認識してもらうには以下のような思考実験がよいでしょう。
貴方の記憶が意識、無意識において50%しか記憶できなくなり、その50%も普通人より早く忘れると考えてください。
この状況であなたは普通にふるまえるでしょうか?
断言できます、上手くいきません。
忘却したことで多くのことで齟齬が生じます。
また記憶もできないのに成長できるでしょうか?
例えば体験した事を何一つ思い出せない人が成長出来ないのは同意いただけると思います。
経験、記憶、成長のプロセスが阻害されています。
発達障害+統合失調症とはそういう病気なのです。
メモを取ればいいだろと貴方は安易に考えるでしょう。
しかしメモとは無意識の思い出しによってはじめて成立するものなのです。
なぜでしょうか?
例えば貴方がAさんについてメモを取ったとします、そのメモを見て貴方はAさんとすごした時間について無意識に大量に思い出してAさんとはなんだったかメモが役立ちます。
これが第三者がAさんに関するあなたのメモを見てメモだけから、Aさんに関する人間像を構築したり出来ません。
Aさんと貴方が過ごした時間を考慮したAさんの人間像は第三者がイメージすることは不可能です。
この第三者の立場が発達障害が自分の書いたメモを見たときの立場に近いのです。
Aさんとはどんな人物だったか思い出すのに必要なメモを書くだけで1日が48時間必要です。
それも観察力が非常に低いメモになるのでまず役立ちません。
また、これは人にかかわらず仕事や日常全てに同じことが発生します。
仕事場なら、暗黙知でない作業を全て詳細にメモすると、そのメモはものすごい分厚さとなります、それも頭が悪いのでまず自分でそんなメモは構築できません。
必要なページを探すだけで1仕事でそれだけで仕事に遅延が生じます。
メモを取ったこと事体を忘れ、とったメモもこれは何についてのメモだったかなと思い出せず、読むべきメモがあること事体を忘れて作業する。
しかし暗黙知が書いてないのでそれだけでは発達障害は仕事できません。
暗黙知を詳細に書かないといけませんが暗黙知は書きにくいから暗黙知なので困難が伴います。
資格試験も記憶が悪いのでまず突破できません。
そんな感じです。
最終更新:2017年07月16日 13:01