第1話「輝夜」

 死こそが、ある意味においては、最上の救いである。



 目を覚ます。ぬめる何かが絡みつく沼地から這い出る様に、のそのそと意識が動き出すのを何の感慨もなく、感じていた。鈍い、それこそ蝸牛の歩みのように鈍いその思考の中で。彼、シン・アスカが感じていたのは悔しさでも絶望でもなく、諦観であった。
 諦め。自分は何を諦めたのだろうか、と自問してしばらく答えは出ないままであった。ただ、少なくとも諦めるに足る出来事がだったようには思う。自分は、負けたのだ。圧倒的に、どうしようもなく、何もする事が出来ないまま。理想は砕かれ信じた未来は引き裂かれた。これからどうするのか、どうすればいいのかなんて前向きな考えが思い浮かぶ筈も無い。ただ恐らく自分が意識を覚ましたと知ったら、飛んできそうな元上司の顔を思い浮かべ、シンは舌打ちを打とうとして、しかし体は思うように動いてくれなかった。

 ――――もう、どうでもいいや。

 そんな言葉を脳裏の浮かべながら、もう一度己の意識を深い闇の中へと沈めこんでいく。
 叶うのならば……もう二度とそれが浮かび上がらぬよう願いつつ。

 自分が諦めたものは、そう、未来なんだと、気付いた。



 次に目を覚ますと、先ほどよりも体はマシになっていたようだ。というよりも元々何処かが痛む様な事は無かったらしい。どちらかと言えば動く事を――――言い換えれば生きている事を――――心が拒否していたのではないだろうか、などと考えてしまう。

「……なんで、生き残っちゃったんだろうなぁ。」

 自分でも意外な事に、心の中に浮かべた言葉=想いが、喉を震わせ半開きの唇から漏れ出た。自分も死ねればよかった、なんて言ったらクローニングの所為で寿命が常人よりもかなり短い己の親友は怒るだろうか。その親友にしたってもう生きていないのだから考えても仕方の無いことだったが。

「なに、貴方。死にたいの?」

 独り言のはずだった、いやそれどころか発する気すらなかった己の言葉に返す声があった。鈴の鳴る様な声。シンの知らない声。声から想像するに声の主は女性なのだろうが、よくわからない。枕元に立っているのだろう。そんな気配を感じてはいなかったが、しかし今の自分の感覚がどれだけ当てにならないかは予想できた。

「悪い、かよ……」
「別にいいんじゃないかしら? 私だって偶に思うもの。」
「どんな、時にだよ。」
「そりゃあ、永琳が働けーとかぐーたらしてるなーとか口うるさく言ってきた時とか? まあ色々あるのよー。」

 少女の言葉になんだそりゃ、と言おうとして咽る。喉が酷く痛んだ。

「ねえ?」
「……げほっ、けほっ。」

 問い掛けには咳で返す結果となった。しかしそれを肯定と取ったのか、少女は居住まいを直した。まだ霞む視界の中で、長い髪のようなものが揺れるのだけ見て取れた。

「殺してあげましょうか?」

 ぞくりと、背筋が粟立った。寝たままで動けないこの状況で、この少女は何と言っただろうか。殺してあげましょうか? 本当にそう言ったのだろうかと考えなおすも、だがこの黒い冷え切った空気は、まさしく殺気のそれだった。

「あ、が……っ。殺して……くれる、のか?」

 掠れる喉から何とか声を絞り出す。そう、それはシンにとって願っても無いことだった。このまま生きていたって何があるのだろうと、そう考えれば特に何も思いつかなかった。ただ、何となくまた戦いを続けるのだろうという想像だけは出来たが、それは誰の為の何の為の戦いなのだろうか。そんな風に考えた瞬間、答えは出ていた。今、自分が想像した未来の先に、自分の求める未来はない。
 それならば。この名も知らぬ少女が与えてくれると言った死という選択は、なんと甘美なものだろう。もし死後の世界というものがあれば、きっと自分は失った全ての物と再会出来る。無かったとしても、あの戦争の勝者である彼らの元で、苦しみながら戦うことは無いのだ。

「なら……たの、「やっぱやーめた。」……え?」
「今貴方に死を与えて、永遠の安息に浸らせるのは面白くないもの。っていうか気に入らない。
 特別に教えてあげるわ。生きる事の苦しみ、死にたいのに死ねない事の痛み、失い続ける生の悲しみ。
 私が感じているそれらの千分の……いいえ、万分の一。それを貴方に与えてあげる。」
「何……を……」

 わけがわからなかった。いきなり殺すだのやっぱりやめるだの。

「ふふ、そうね。死んで楽になる、なんてのは却下よね。私にも出来ないし。
 とりあえず生きて苦しんで足掻きなさいな。絶対に死なせてなんてあげない。
 私にさえ――――そんな……」

 声を聞きながら、意識が闇へと沈んでいくのを感じる。やはりまだ本調子とはいえないらしい。激しい眠気に意識がぼやけていく。自分に向けて放たれる声が霞んでいった。

 ただ、最後にこれだけははっきりと聞こえたのだ。
 残酷でいて、しかし甘く蕩けるような響き。

 ――――これは、呪いよ。死ねなくなる、呪い。



「あら、姫様。こんな所に出てくるなんて珍しいですね。」
「あ、やっほー。永琳。なんか因幡が人間拾ったとか言ってたから、暇つぶしに、ね。」
「ああ、優曇華が見つけた人間ですか。そろそろ目も覚めるでしょうし、怪我も大した事ないようでしたから。
 外の人間かと思われますので起きたら博霊の巫女の所にでも……」
「それ駄目。」
「え?」
「駄目よ、却下、大却下。あれね、多分ほっといたらその内死ぬわよ?」
「はあ……別に気になさるような事では無いのでは?」
「ってか私の前で死にたいとか死んで楽になりたいとかふざけんじゃないわよー!」
「ああ、そういうことでって……ええと……姫様? それでどうなさるおつもりで……」
「うちで飼おう。」
「……何考えてんだこのNEE――――げふん、本気ですか?」
「だって気に入らないじゃない。私だってそんな真似出来ないのに。」
「それは……そうですけどね。」
「とりあえず! これは決定事項!」
「……自分は仕事しないくせに……」
「何か言った!?」
「いいえ、何にも?」
「ま、暇つぶしよ。暇つぶし。千年の倦怠をどうにかするにはこれ位突飛な出来事があってもいいじゃない。」
「……面倒な事にならなければいいんですけどねぇ。」

 らんらんと輝く満月に照らされながら。人知れず、と言うよりは誰かに聞こえるくらいはっきりとあるいは盛大に。彼女は自分の前を行く主の後姿を眺めながら、これからの苦労を考えて、溜息を吐いた。

 三度目の起床は素晴らしいものであった。己の今までの経験の中でも稀に見るほどの快適なそれ。寝起きにも関らず後を引くような眠気もなければ、気だるさも感じない。体も何の問題も無く動く。目が覚めた体勢のまま、自分の右手を眼前に持っていき、開いて閉じて、そしてまた開く。少しだけ筋が痛んだが、それだけだった。気になる程度のものではない。体自体はどうやら問題なく動くらしい。力もしっかりと入る。右手で体を支えて上体を起こすと、しばらく動かしてなかったらしい筋肉がぎちぎちと悲鳴を上げたが、とりあえず動く事は出来そうだった。

「ここ、は?」

 動けるようになって、辺りを気にする余裕がようやく出来た。見回すと目に映るのは木、木、木。木材で出来た床に壁に天井。機械的なものは何一つ見受けることが出来ない部屋に、自分が居る事にようやくシンは気付いた。更に言うなれば全身にかかるこの独特の重み――――プラントや戦艦で感じるそれとは違う――――つまり、重力が存在していた。

「地上だって? いや、ちょっと待てよ? 俺は、確か……」

 思い出す。最後の時まで、何があったか。アスランの駆るMSにやられ、デスティニーごと月に落下した。そこまでは覚えている。そこまでは確かに覚えているのだ。
 だがその先は記憶がごっそりと抜け落ちている。気がついたらここにいて、そして……
 何か、誰かと話したような気もした。が、それもはっきりと憶えていなかった。何かやたらと物騒な会話をだったような憶えはあるが。

「あれは、夢だったの……か?」

 そんな気がしないでも無い。そもそもあれは誰だったのか。少なくともシンの知り合いに該当するような人間はいないように思えた。

「何言われたっけな……死なない……死ねない?」

 よく思い出せない。呪いなんて物騒な単語が脳裏に過ぎるのはやはり怖い物がある。そんな事を考えながら、寝かされていた布団から立ち上がる。とりあえず此処が何処か考える必要があるように思えた。かけられていた布団がふぁさっ、と床に落ちる。

「……ん?」

 そこで気付く。自分を隠すものが何一つ無いことに。あえて言うならば胸と腕に包帯が巻かれている位だろうか。それ以外は何一つ身に纏わずに仁王立ちをしている自分がいた。生まれたままの姿で。仁王立ち。何も隠さずに仁王立ち。下をみると愚息がこんにちわ。やあ、こんにちわ。

「な……に……?」

 何故だ。何故何も着ていない。パイスーは何処に消えた。いや、確かに治療には邪魔になったのかもしれない。しかし、しかしだ。周りを見回しても着替えが見当たらない。どういう了見なのだろうか。もし自分が、それこそ今のように起きた時どうなるかなんて考えなかったのだろうか。いや、それに自分の体を見るに治療が施されてるのはどう見ても上半身だけなのに下まで脱がす必要はあったのだろうか。
 混乱した頭で、それでも何とか現状を理解しようとして考える。それこそ今此処が何処なのかなんてのはもうどうでもいいことだった。それよりも全裸だ。今自分は全裸なのだ。このタイミングで誰かがこの部屋に入ってきたらどうなる?

「お師匠様に言われて着替え持ってきたんだけど……流石にまだ起きて無いわよね。」
(おいぃいいいいいいいいいい!? 考えた途端これかよ!?)

 扉の向こうから――――ドアではなく引き戸だった――――若い女性の声が聞こえた。
(やばいやばいやばい、マジでやばい。どうする? なあ、どうしたらいい!? フラグか!? これがフラグって奴なのか!? 畜生、もっとアーサー副長の話聞いとくべきだったのか!)

 度々自分や他の若い連中捕まえて、あまり大声で叫べないようなゲームの知識を講釈していた副長を思い出しつつ、頭の中で叫ぶも空回りするばかりで体が動かない。まるで金縛りにあったようだ、なんて他所事を考える余裕はあるのに、言うことを聞いてくれないのだ。
 そうこうしてるうちに、立て付けが余り良くないのだろうか、ガタガタと耳障りな音と共に引き戸が開け放たれる。

「……え?」
「あー……オハヨウゴザイマシタ。」
「え? あ、はい、ご丁寧にどう……も? おはようございま……え? え?」

 なんとなく、挨拶をすると困惑しながらも返してくれる。が、その視線が徐々に下がっていきあんまり嬉しくない位置まで下がって止まるのが見て取れる。
 暫し互いに沈黙。動くに動けない空気を感じながら
 ふと目を引くものがあった。ぴこぴこと動くそれは、本来人間ならついているはずの無いものというわけではないが、ついているべき無い場所にあり得ない形状をしていた。

「うさぎのみ……「きゃあああああああああああああああああああ!!」ですよねえええええええ!! でも誤解だからちょっとまってえええええええええええ!」

 それを指差し、声に出した瞬間。人のそれとは違う形状をしている耳がピンと立ち、大きく開けられた口からけたたましい、耳をつんざくような悲鳴が辺りに撒き散らされた。当然の反応と思いつつも、しかしシン自身がまだ混乱している事もあってか、いまだに何かを見に纏う事は出来ずにいる。つまりは全裸だ。そしてこうなっては恐らく誤解も糞も無いのだが、しかしシンとしてはこの状況は非常に不本意なものなのだ。だから、脱兎の如く――――うさみみだからではなく――――自分に背を向け駆け出した彼女を、無意識のうちに追いかけようと体は動いていた。

「きゃっ!」

 その少女が自分の余りに急な動きによってバランスを崩し、倒れそうになった瞬間。その伸ばした手は余りにも自然にその体の一部を捉え、支える事に成功していた。なぜか妙に何かを掴んだ手が――――後ろから抱え込むようにしたので、シンからは何処に手が回っているのかわからない――――心地のいい感触を伝えてきたとしても、それは些事に違いないと判断した。判断、したかった。でないと、恐らく自分が更に追い込まれている事を認識してしまいそうになったからだ。そう考えている時点でやはり自覚はあったのだが。

「んっ……」

 つい動いてしまった手に反応して、くぐもった声と共にウサギの耳がまたびくりと跳ね上がる。

(またやっちまったぁああああ! ステラの時と同じってかもっと酷くないかこれ!?)

 心中で叫ぶ。守ると誓い、しかし目の前で失ってしまったステラとの出会いもこんなものだった。いや、なお酷い。自分は今全裸なのだから。これではラッキースケベどころじゃない。ただの変態だった。しかも恐らくは極めて特殊なタイプの変態。当然、この少女の耳が、こうなのもそう思ってしまう事に拍車を掛けていたのだが。
 シンがそんな事を考えいている間、もう一度沈黙。さっさと手を離して彼女を立ち上がらせればいいと頭で理解しても、何故か体はいう事をきかず。また、このウサギの耳をした少女にしても、同じだった。

「なにやってるの、あなたたちは……」

 この心底面倒くさそうに、かけられたその言葉を聞くまでは。目を向けると、ナース服のような――――使われている色調がナース服というには余りに毒々しい――――ものを着込み、長い銀髪をした美しい見るものに知的な印象を感じさせる女性だった。

「ダリナンダアンタイッタイ!?」
「し、しししし、し師匠!? や、これは、その、ええと……その、えいっ!」
「って、うおお!?」

 唐突に身を翻し、今更うさみみの少女が自分を突き飛ばす。いきなりの事もあって、その衝撃に逆らえず、元いた布団にシンは尻餅をついた。全裸で。

「とりあえず話をしたいし、聞きたいのだけど……まずその貧相なものをしまってくれるかしら?」
「……ハイ……ごめんなさい……」

 ひょこっと引き戸の影から顔だけ出した銀髪の女性がそう告げてくる。当然視線はある部分に集中して、だが。もそもそと布団の中に入りながら、思わず呟いてしまう。どうにも精神的に今の言葉は効く。

「……俺もうお嫁にいけない……」
「それはわたしの台詞だぁ!」
「うるせーうさみみ娘! お前に全裸をいきなり予告も無しに女相手にさらけだしちまった上に貧相なんて言われた俺の悲しみの何がわかるっていうんだよ!」
「わたしだってそんな貧相なの見たくなかったわよ、ふざけんなっ!」
「言いやがったな……!」
「言ってやるわよ、貧相貧相貧相!」
「二度も言った! 親父にも言われた事無かったのに!」
「いいからさっさと服をきなさいっ!」
「……ああ、もう。いきなり面倒くさい事になって――――」

 ぎゃあぎゃあとうさぎ耳の少女と言い合いをしながら、何故かナース服を着た女性のそんな呟きだけシンの耳に強く残った。

 ――――そんな事言われても俺の知ったことか。

「…………えーっと。本気でおっしゃってるのでせうか。」
「本気よ。信じられないのもわかるけど、幻想郷という世界なの、ここは。」
「幻想郷……えー。」

 あの後、うさぎ耳の少女が持ってきた着替えを受け取り、ぼろぼろの心を抱えたままシンは全裸から脱却した。そしてそれから半刻ほどの間に、まず自分が覚えてる限りの経緯を話した。次に長い銀髪を三つ編みにした女性から、色々と話を聞かされていたのだ。到底信じられないような話を、延々と。

 まず第一に。この世界は元々自分がいた世界とは別の世界、つまり異世界だと言うのだ。己がそんな場所にたどり着いた原因は不明だとも。更に、容姿からなんとなくとは思っていたが、先のうさぎ耳の少女を初めとして、この世界には人間以外の存在が多数生息しているという。つまりは妖怪や妖精などといった幻想<ファンタジー>の存在達が。だからこその幻想郷という名前の世界なのだろうか、と問うと彼女――――名前を八意永琳と名乗った――――は少し悩んでから軽く肯定した後、訂正をいれてきた。曰く、この世界は外の世界で幻想となった、つまり技術の発展等で存在を否定され追いやられてしまった存在を、ある意味保護する為の世界なのだ、と。聞いてなるほど、とシンは思い、そして軽く笑った。その言が正しいのならば自分がこの世界に着てしまったのも納得できると。あの世界にいても何も出来ない、出来なかった、出来ないであろう自分が。先に何かあるとすればそれこそ弾劾の対象になり続けるであろう自分がこの世界に来たのは道理なのではと。

「忘れられた、か……ははっ。いや、覚えてられていたとしても……」

 どうせ、憎しみの対象にしかならないだろう。と、心中で吐き捨てる。自分は敗者なのだ。議長は死んだ。恐らくレイも。ミネルバは無事だろうか。無事だったとして旗艦だったあの船に乗っていた自分の仲間達も、果たしてそうなのだろうか。考えても今更仕方ないが……まあ、勝ったのはあのオーブやラクス・クラインといった面々なのだ。彼らが作る世界に自分の居場所が無い、とは言い切れないが決して居心地がいい物ではないだろう。

「まあ、貴方がどう思っていても私には関係無いのだけどもね。」
「ああ、すみません。」
「それにしても……なんか思ったよりも冷静ね。もう少し驚いたら慌てたりがなったりするかと思っていたのだけども。」

 そう言われて考えてみると、確かにその通りだと感じた。どうしてか、と考えると……

「……あんだけ恥ずかしい思いしたらそんなのもうどうでもよくなっちゃって……」

 シンは少し遠い目をして、言う。初対面の異性に全裸を晒すなんて醜態は生まれて始めてだった。それこそ寝ている間に受けた治療では、などと言い出したらキリが無いがそれはそれこれはこれ。あのうさぎ耳の少女は仕事があるとかで既にこの場にはいなかったが、憂鬱に感じるのを止める事は出来なかった。

「さっきはごめんなさいね。ぽろっとほんnげふんげふん。思った事言っちゃって。」
「わざとらしく咳した所で言ってる事かわってねーよ! 何それ、ねえなんなのそれ!? ってか俺は平均(のはず)だーーーーーー!! 訂正を要求する!」

 叫ぶ。男して退けない所だった。

「……ああ、そうそう。」
「スルーした!?」
「これからの貴方の処遇なのだけど。」

 永琳が話題を逸らす様に――――事実そうなのだが――――口にした内容に、シンは動きを止めた。
 これからの事。異世界に来てしまった自分。信じがたい話だが。信じろというのが無理な話だが。しかし、不思議とシンの中では嘘ではないのだろうと思う部分があった。理由は自身もわからない。

「その気になれば元の世界に帰る事は出来ると思う。運が良くて、その気があれば、だけども。」

 すっとこちらを見る目が細められる。見透かされた、と思った。

「あの世界に戻って、どうしろって言うんだよ。」
「それは私達の知るところではないけれども。まあ、選択肢の一つだと頭に入れておきなさい。」

 天井を眺めながら、さながら独り言のように言葉を吐き出す。

「じゃあ、別の選択にはどんなのがあるっていうんだ……」
「それに答えるのは本来なら巫女の仕事なのでしょうけど……まあ、簡単に説明すると。」

 巫女? と一瞬首を傾げそうになるが、別段気にするような事でも無さそうなので、特に何も言わないでシンは先を促した。

「この世界にも普通の人間たちが住んでいる人里があるから、そこに行って何か普通の仕事を見つけて、普通に暮らして、普通に一生を閉じる。」

 人差し指を立てながら言う永琳を眺めながらシンは頷く。成る程。確かにそれが無難なのかもしれない。だが――――
 かぶりを振る。何と言えばいいのかわからない。何でそう思うのかわからない。
 だが、しかし。それではいけない様な気がした。許されないような気がした。何がかはわからない、が。
 ほう、と溜息が聞こえる。眼前の永琳が、何処か諦めたようなそんな表情をしていた。

「まあ、すぐに決めろとは言わないわ。最低でも傷が癒えるまでは此処に居てもいいから、その間に考えておきなさい。」

 言われた事に頷く。少なくとも自分にはある程度の時間を与えられているらしく、安堵も含めて。

「とりあえず、礼儀としてここの持ち主に挨拶位しなさいな。もう動けるでしょう?」
「主人って……ええと、八意さんだっけ? あんたじゃないのかよ?」

 先ほどの少女の反応から見て、偉い人なんじゃないかと当りを付けていたのだが、違ったのだろうか。

「いいえ。ほら、ついて来なさい。」

 言われるがままに立ち、そして先を行く銀の髪を追う。途中に通った廊下は長く、何処までも続くのではないかと錯覚さえしそうだった。ぎしぎしと木で出来た床が軋む音が自棄にうるさく感じる。途中、何匹かの兎が足元を駆け抜けていくのを見たが、飼っているのだろうか? と疑問を感じていると。

「さ、着いたわよ。」

 目的地には思ったよりも早く着いた。告げられ、永琳が開けたふすまの奥に目を凝らす。この屋敷――――と言ってもいいだろう。廊下の長さからその巨大さは推測できた――――の主というのだから、それなりの人物なのだろうとシンは想像していた。シンの中で思い当たるのはギルバート・デュランダル議長は、オーブの首長である――――気に入らないのは相変わらずだった――――カガリ・ユラ・アスハくらいだったが。

「姫様、お連れしましたよ。」

 永琳が部屋の中に声をかける。すると、中心辺りで何か、塊のようなものがもぞもぞと動くのが確かに見えた。なんなのだろう。そういえば永琳が先ほど妖怪がどうのと言っていたのを思い出す。まさかこの屋敷の主もその類なのだろうか。ぞくり、と背筋が粟立つ。借りた長袖の服の中で両の腕にぷつぷつと鳥肌が立ち、それが生地と擦れるのを感じた。想像する想像する創造する。この視線の先にはどんな異様が蠢いているのか。

(やばい……か?)

 別に変な感じがするわけではない。シン自身が勝手に想像を膨らませて、勝手に怯えてるだけだと、多少の自覚はあった。しかし知らないのだ。この世界の事を、この世界に住む住人の事を。

「んー……」

 が、唸るようなその声は、想像に反して恐ろしいどころか、可愛らしいとまで言えそうな、そんな声であった。

(ん?)
「あら、寝てましたか?」
「ちょっとだけねー。やる事無かったし。うー、寒い寒い……」

 目が慣れて来た頃には、永琳が入り口辺りに備えられてあった灯りに火を灯していた。
「……おい。」
「あら、姫様またその格好ですか。」
「ふふふ、永琳の案を採用したから中は温いわよー。顔とか寒いけど。」

 そこに居たのは少女だった。シンよりもまだ年下に見える少女。美人といえばそうなのだろう。どちらかと言えば可愛いの方があてはまりそうだったが。長い艶のある黒髪なども美しく感じられるのだろう、普通にしていたら。
 自慢げに、肩に羽織った掛け布団――――確かに今は寒い――――を開けて、内側に貼ってあるカイロのようなものを見せびらかす姿に、それらの感想を抱く事は出来なかった。

「姫様。それ、いいものでしょう?」
「ええ、永琳は流石よね。こんなのを考え付くなんて……凄くあったかい。」

 そんな事ないですよー、と手をぱたぱたと振りながら言う姿に先ほど感じた知性は感じられない。なんだろう、これ。なんだろうこれ。

「どうしよう、馬鹿が二人もいる……」

 頭を抱えて唸る。これは一体どういう事なのだろう。主人を紹介すると言われてここに来たはずだが、何か間違えたのだろうか。いや、しかしそれは無いと悟る。永琳の態度からあの布団に包まった少女こそがこの屋敷の主なのだと、遺憾ながら認めざる得なかった。

「あら、そうは言うけどこれすごくいいのよ?」

 名も知らぬこの屋敷の主人が、こちらを認めて少し不満そうに唇を尖らせる。確かに温かさはかなりのものだろうと思った。何か他に暖房器具はないのか、と考え思い出す。先ほど永琳から話を聞いた時に教えられていたのだ。この世界の文明は発達しておらず、機械は言うまでも無く、精々中正程度の技術レベルだと。つまりストーブだのヒータだのの暖房器具はこの世界にありえないらしい。が、だとしても、

「いや、普通に湯たんぽとかそういうの、ないの?」
「「――――ッ!?」」

 オーブにはそのような就寝時に暖を取る方法があったはずだった。シン自身は使った事はなかったが。何せあの国は基本的に温暖な気候だった。そんなもの無くても、よほどの寒がりで無い限り問題なく過ごせるし、そもそもそれ自体が骨董品レベルの代物なのだ。だが、この世界なら逆にそういったものがあるのではないか、と思ったのだ。どちらにせよ、この場合は寝る際と言うよりも起床時に布団を羽織る際の温かさを求めた結果のようなので、これはこれでどうかとシン自身思ったのだが。

「その……発想は、なかったっ。この、月の頭脳とまで呼ばれた、私がっ。」
「し、しっかりしてえーりん! 大丈夫、これ凄いって! 温かいし! ……あ、ちょっと冷たくなってきたかも……」

 とりあえず目の前で漫才を繰り広げている彼女達はどうしたものだろうか、とシンは半ば置いてけぼりを食らったまま考えていた。カイロに関しては中の鉄が酸化されつくしてしまったのだろうと予想はついたが、どうでもいい話ではある。何というか、第一印象って当てにならないよなぁ、等と感じてしまう。特に永琳などは。もう一人の名も知らぬこの屋敷の主の方は、第一印象からこんな感じの様な気もしたが――――むしろ今この時こそが第一印象ともいえる――――

「フ――――フフ、しかし私の頭脳に不可能は無いッ。湯たんぽ……そう湯たんぽを布団の中に仕込めばっ! 全体がじわじわと温かくなるし、更に低温火傷もふせげるっ。」「流石ね、永琳! 早速今夜試して見ましょう!」
「いや、普通に使えばいいじゃんか……って聞いてないしこの人たち。」

 閑話休題。布団についてはとりあえず、更に工夫を重ねるという形で落ち着いた。途中から自分も会話に加わっていたのがシンには不思議ではあったが……

「で、ええっと。あなたは……確か因幡の誰だっけ?」
「優曇華です。鈴仙・優曇華院・イナバ。」
「ああ、そうそう。あの因幡が竹林でぶっ倒れてたの拾ってきたのよね。怪我はどう?」
 黒髪の少女の問いに頷く事で答える。打撲の様な痛みが胸やら腕やらから感じられたが、動く分には申し分なかった。一礼して、感謝を伝える。

「たすかっ、じゃなくて助かりました。」
「拾ってきたのは因幡で、治療したのは永琳だけどね。」
「優曇華曰く、何かが竹林に落ちたから見て来る様に言ったのは姫様だったとか。」
「な、何のことかしらねー。と、とりあえず、一応名前とか教えてもらえる?」

 とりあえず、自分が彼女達に救われたのは事実の様だった。優曇華なる人物が誰かは定かではなかったが、後でその人にも礼を言うべきかと思う。助けられる事を、望んでいなかったとはいえ。

「シン、シン・アスカだ……です。」
「そう。私は蓬莱山輝夜。傷が癒えるまではこの永遠亭にいてもいいわよー。そんな体じゃなくても、貴方じゃここの外に出たら多分四半刻もしないうちに、餌になっちゃうから。」

 ごくりと喉が鳴る。さらりと口に出されたその言葉は、しかしシンにとっては俄かに信じがたい内容であった。

「餌……って、妖怪、とか化物……とか?」

 恐る恐る口にしてみると、目の前の二人が同時に頷く。どんな物か、なんて精々子供の頃見ていたアニメーションやら、漫画などに出てきていた化物くらいしか思いつかない自分は想像力貧困なのだろうか、などとある意味現実から逃避していると、

「まあ、そんなに気にしなくてもね。貴方は死なせないから。」

 何でもないように、輝夜が言った。脳で何度も何度も声が耳にこべりついたように、彼女のその声が鳴り続ける。

 ――――死なせないから

(ああ、そうだ。なんで気付かなかった。なんでわからなかった。俺は、この声を、知っている?)

 夢では無かったのだろうか。いや、それともやはり夢だったのだろうか。それこそ夢心地だったので断定など出来はしなかったが。
 死なせない。その言葉はどちらかと言えば恐怖からは遠い言葉だと、むしろ真逆の意味を含んでいるというのに。怖い、と思った。ざわりと肌が粟立つ。

「どうかした?」
「い、いや、なんでも、ない。」

 小首を傾げ、尋ねてくる彼女からはもう何も感じなかった。だが、声が震えるのは隠せない。隠し通せるはずもなかった。そんなシンの横を音も無く通り過ぎ、廊下に出た輝夜が言う。

「さて、今日は……いい満月ねー。永琳、例月祭の準備は大丈夫?」
「ええ。優曇華達が何時もどおりに。」

 窓から差し込む柔らかい光が、そこから月を眺める輝夜の横顔を照らす。そこには先ほど感じた恐怖を思い起こさせるものはなく。ただ、少量の憂いを帯びた微笑だけがそこにはあった。
 ゴクリ、と己が息を呑む音を聞いて、いつの間にか呆けていた事にシンは気付く。

「そう、良かった。じゃあ……って、何ぽけってしてるの?」
「え、あ、いや……何でもないっ。」
「本当にぃ?」

 慌てて言い繕う。シンに言える筈も無かった。唇の端を持ち上げ、にやにやと面白そうな目でこちらを見ている彼女に、見惚れていたなどと。横目で助けを求めて見れば、永琳も輝夜同様であり、自分に逃げ場は無いのだとシンは悟った。

「あっ。私に見惚れてた?」
「だ、誰がっ。俺は、そんな年下趣味じゃない!」
「……いや、多分あなたってかシンって呼んでもいいわよね? 呼ぶわよ。シンより私のほうが年上なんだけど。」
「はあ? いやどう見たってあん……輝夜って呼ぶけどいいよな? 答は聞いてない。誰が見ても俺より輝夜のが年上ってことはないだろ。」
「どこがよ。」
「いや、そんな貧相な見た目で言われても。」
「ひ、貧相っ!? す、好きでこうなっ……たっけ、私。でも仕方ないのよ! シンにはわからないでしょうけど!」
「……いや、貧相って言うならどっちもどっちだと思うのだけど私は。」
「ほっといてください!」「えーりんは黙ってて!」

 途中で茶々を入れてきた永琳に同時に叫んだ所で、言葉の応酬が途切れた。顔を見合わせながら、少し冷静になった頭でなんでこんな事になってるんだろうと今更思う。思った所で結局悪態しか吐き出さないのが自分の口の常ではあったが。

「大体、俺より年上ってどれ位だよ。」
「えー……えっと。」

 確認の意味もあって聞いてみる事にした。指を唇に上げて、視線を上に向かせている姿はどう見ても年下にしか見えなかった。そして気付く。年齢がどうにせよ彼女がこれから厄介になるこの場所の主人である事に違いないということに。横に立っている永琳からの視線が地味にちくちくしだしたのは一体いつからか、全く覚えが無い。
 傷の痛みからくるのとは違った冷や汗をかいているシンには気付かず、口元を歪めて輝夜が言い放った。

「――――1000歳くらいかな?」

 唖然としたシンの顔に満足したのか、足取りも軽く先を行く輝夜の背中。それを呆然と眺めるシンの肩を叩きながら、ちなみに私は永遠の17歳などとのたまう永琳は無視して。
 大きく息を吸い、吐き出す。なんだか色々ありすぎた。正直混乱しているのは否定できない。首を振る。
 どうなるか、なんて想像も出来ないが。

「とりあえず、生きてみるか。」 

 死ねないようなので。

 生きるという責め苦を甘受しよう。

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最終更新:2009年11月23日 20:10
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